CB-01-001: 黒い女

カセドラル・ブラッド・本文

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 なんだなんだ。何が起こった?

 全身が鈍く痛む。たとえるなら強烈な全身筋肉痛である。目を開けたつもりが、真っ暗で何も見えない。これ以上ないっていうほど暗い。手足の感覚もあまりなかったが、鈍い痛みがあるおかげで身体は存在するということを認識できている。聴覚的には「何か聞こえる」程度のもので、まるで水の中にいるようだった。そこに来てひとつだけはっきりと知覚できたものがある。臭いだ。病院を連想させるような、ツンとした臭い。リノリウムの床とセットで記憶に残るアレだ。

 俺は何とかして声を出そうと試みる。しかし、なんとなく息が漏れるばかりで音にならない。

 というか、俺、息をしているのか? なんで?

 ひとしきり考えてみるも、感じられるのは闇と臭いだけで、誰も答えてはくれない。俺は思い切って起き上がってみようとした。多分、俺は転がっているからだ。

「おはよう、羽斯波ハシバルイ

 何とかして俺は自分が起き上がるのをイメージする。闇がほんの少し晴れてきた、気がする。

「一年間の熟睡ってのはどんな気分?」

 硬質な女性の声が左斜め前から聞こえてきた。俺は目を凝らしてその声の主を視野に入れようと試みる。暗い空間に黒いワイシャツを着た女性が見えてくる。小さな顔の女性だ。

「無理しなくても良いなんて言ってあげたいとは思うけど、残念なことにそういう状況でもないのよ」

 この言い回し、どこかで聞いたな?

 俺はお前たちに少しは休んで欲しいと思っているんだが、残念ながら案件が立て込んでいてな――。

「案件はキャパを考えて取って来るものですが」
「そうね、でも、そうも言ってられないのよ」

 それも常套句。俺は首を振った。俺は別のブラック企業に売り飛ばされたのか? 今までの会社も大概だったが、俺の長い社畜経験によって培われたブラック企業レーダーはビシバシ反応している。

 意識が急速にはっきりしてくる。ここは病室かなにかだと思うが、医療機器の類は見当たらない。入り口は前方に一つ。俺はなぜか入り口から一番遠い隅っこに寝かされていた。

「あ」

 ベッドサイドの小さなテーブルの上に、見慣れた黒いフレームのメガネが置かれているのに気が付いた。俺はそれを手に取ってあるべき場所に装着する。ああ、これこれ。この感じ。なんだかひどく懐かしい。システムエンジニアときたら眼鏡だよなってことで、大学卒業前にこの眼鏡をゲットしたんだ。別に視力が悪いわけではないが、眼鏡があれば職場に溶け込めそうだとか、今思えば偏見と思い込みの産物でしかない思考の結果で、俺とこの黒眼鏡は邂逅したのだ。

「眼鏡との感動の再会のところ悪いんだけど。手短に状況を説明するから、あとは自分で考えて何とかしてほしいわ」

 うわ、ブラック発言の三連発。与える情報は最低限。しかし自己責任で現場を何とかしろ。具体的な指示はなし! 失敗したら俺の責任、成功したら上司の功績!

「私は黒咲クロサキ。ニューロのエージェント。よろしく」
「よろしく……って言われましても」

 俺の声はまだかすれている。だが、聞き取れなくはなかったはずだ。しかし、この黒咲という黒尽くめの女性は俺の言葉を完全に無視スルーした。

「あなたがニューロに相応ふさわしいかどうか、見極めさせてちょうだい」
「面接の申し込みはした覚えはないんですが」
「相応しくないと判断したら、私が殺すわ」

 聞いたことがないほどのブラック発言に、俺は混乱する。「殺す」って面と向かって、しかも大真面目に言われたのは人生で初めてだった。

「ええと、ちょっと待った。ストップ。俺は何も状況が理解できてない。こんな中で何やら怪しくて危険なプロジェクトに投入されるなんて、まったくもって承服できない」
「あなたの意思なんてどうでもいいのよ。あなたはここでニューロの一員になるか、それとももう一回死んでみるか。そのどっちかなの。二択。理解した?」
「いや、無理」
「バカね」

 黒咲の言葉の暴力が俺を打つ。しかし俺は社畜戦士。この程度ではめげない。俺は常日頃から会社がテロリストに襲われる妄想をしている。そしてそのテロリストを倒すのだ。妄想の中で。その激しい戦い(妄想)に比べれば、上司のパワハラなんてどうということはない。

「ていうか、俺はあなたを上司と認めたつもりはないぞ」
「上司よ。世界がそう決めたの」

 うわ。

 文字通り絶句する俺。

 俺は絶句の硬直時間を利用して、この黒咲というブラック極まりない女性を観察する。うん、美女だ。腹が立つほど美しい。小さい顔に切れ長の目。小さな口に、整った鼻。そうだな、悪の組織の女幹部といったらこんな感じかもしれない。だとしたらもうちょっと露出度の高い服を着て欲しいものだが。

「この世界は作り変えられたのよ、あなたが死んだあの時に。どう作り変わったかの説明はダルいから後回し。もうじき死ぬ可能性が高い人に時間をかけて研修しても無駄だものね」

 社員教育なんて後回しで、とりあえず現場。OJTという名の実戦投入。即戦力という名の人身御供。そういう文化は是非とも厚生労働省に頑張っていただいて根絶してもらわねばならぬ。とりあえず採用しておいて逃げた社員は放置して生き残った社員を死ぬまでこき使おうという魂胆も透けて見える。なんだこのニューロとかいう組織(?)。俺のいた企業よりやばい。というかこの黒咲がやばい。

「さ、ナーヴのエージェントが登場するわ。殺してきて」
「……は?」
「殺せなかったらあなたが殺される。くだらない戦い方をしたら勝ったとしても私があなたを殺す。死にたくなかったらちゃんとやって。簡単でしょ?」

 黒咲ィィィィィ!

 俺はそう叫ぼうとしたが、その直前に黒咲がシーツをベッドから引き剥がした。不意を打たれた俺は、テーブルクロス引きに失敗された食器のごとくベッドから落下する。

「痛ぇ」
「世界にはもっと痛がってる人もいるのよ。それに比べればたいしたことないでしょ。それにそのくらいじゃ人間は死なない死なない」

 だめだこいつ、早くなんとかしないと……俺がなんとかなっちまう。

 俺はよろよろと起き上がって、気がついた。水の音のような。べちゃべちゃとした気持ちの悪い音だ。

「何の音だ、これ」

 俺は部屋にある唯一の入口の方へと視線をやった。

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