ええと? バハムートと。バハムートとおっしゃりましたか、この羆は。
右手に掲げた刀から、いかにもな紫色の光の靄が立ちのぼっている。ご丁寧にも時々バシバシっと放電したりもしている。ぶっちゃけると今はこの北耶摩という巨漢を攻撃するチャンスだ。なにしろ無防備なのだ。
だが、実際のところちっとも動けない。身が竦んでしまっていた。指先も動かせないほどだ。なるほど、ヒーローの無敵時間というのはこういうことか。
「あいつは悪役よ。何くだらないこと考えてるの」
「なんでわかったんだ、黒咲」
「当てずっぽうよ。まったく、くだらない人ね」
パワハラですか。パワハラですよね? それ、パワハラ――。
「あなたがいくら喚いても、訴える先がないから私は無実よ、残念でした」
黒咲は余裕綽々の体で、俺の左斜め後ろあたりで腕を組んで立っている。加勢する気がないのは知っていたけど、なんだこの圧力。理不尽だ。
「そもそもあなた、訴える先があったとしても、そんなことする性格じゃないでしょ」
「うっ、なぜそれを」
「あなたみたいな人はたくさん知ってるもの。まったく、その他大勢から抜け出せない男ね」
なぜ俺はここまでボコボコに心を抉られなければならないのか。そして気がつけば周囲は荒野。病室はどこに行ったのか。とにかく壁はなくなっていたし、足元もボコボコにひび割れたアスファルトで作られた何かに変わっていた。
「なんだなんだ……?」
俺がそう呟いたその瞬間、俺は前方からの衝撃波に打たれて吹っ飛んだ。十数メートルは空中を泳ぎ、二十メートルくらいは地面を転がった。ついでに俺の両手から生えている刃が、俺の腹をざっくり斬っていた。なんと、俺の初撃はオウンゴールである。
そして、痛いなんてもんじゃない。刃が生えてる手首も気が遠くなるほど痛かったが、はからずも切腹してしまった腹はもっと痛かった。だがなぜだろう、死ぬ気がしない。地獄か。
「自爆? だっさ」
黒咲の暴言が俺に刺さる。彼女は無事だったようだ。
俺はなんとか顔を上げて、北耶摩の方を見た。その後ろに、とてつもなく巨大な影があった。十階建てのビルくらいはあるだろうか。いや、もっとあるか?
「バハムート……!」
そう、バハムートだ。世界的RPGに登場するおなじみのアレの姿そのままのアレが北耶摩の後ろに佇んでいた。
「よっし、準備完了。んじゃま、ヒョロメガネ、さよーならー」
北耶摩の力の抜けるようなセリフに、俺は少なからずイラっとした。そんな軽いノリでサヨナラしてたまるかっていうんだ。第一俺は、会社から出るのは最後か最後から二番目と決めている。こんな早々に退場するわけにはいかんのだ。社畜のプライドとして。
バハムートが口を開ける。その奥に光が渦を巻く。熱風が吹き付けてくる。やばい、これはやばい。
俺は両手の剣を振るってみた。光の刃でも発生しないかと期待したが、斬れたのは空気だけだった。
「なにやってんの。戦って。早く」
「どうすれっていうんだよ」
「わからないなら死になさい」
「知ってるなら教えろよ!」
「新人はまず自分の頭で考えて」
「技術は目で盗めよりひどい!」
なんていう無責任。憤慨する俺を見て、北耶摩が笑っている。
「今、楽にしてやんよ。黒咲の下で働いてたら、病んじまうよ」
「それには同意」
だがしかし、バハムートの吐くなんとかフレアで焼かれるのはもっとごめんだ。
「バハムート、薙ぎ払え! あわよくば黒咲も丸焦げに!」
バハムートの口から、なんとかフレアが振りまかれた。ねっとりとした動きの青い炎が、津波のように迫ってくる。
「うわっ」
俺は手を掲げる。が、光の奔流は俺の網膜を焼いていた。
だが、痛みも衝撃もなかった。目がチカチカするだけだ。
「あれ?」
俺、生きてるよな? まだ死んでないよな、これ。
俺の手に生えていた刃は消えていた。何のために出ていたんだ、あれは。しかし、傷も消えていたし、どんな痛みだったかも思い出せなかった。とにかく痛かった、くらいで。そして腹。怪我の痕跡は残っていない。痛みもない。触ってみてもどうということもない。
「なんだ……?」
目のチカチカが収まってきたので、冷静にあたりを見回す。俺は座っていた。端的に言うと、ここは全周囲モニタの備え付けられたコックピットのような場所である。空間は狭い。計器類もあまりない。ていうか、某トリコロールのロボットの出てくるアニメで見たな、こういうの。
とりあえずこれみよがしに突き出されている二本の操縦桿らしきものを握ってみる。ガチャガチャやってみるが、何も起きない。目の前にはバハムートがいて、再び口を開けている。光が収束していっている。
「あ、こいつで守られたのか、なるほど」
俺は納得すると、なにか武器はないものかと探し始める。マニュアルの類は見当たらない。システム内のマニュアルはと思ったが、メニューの開き方がわからない。ええい、誰だこんな使えないUIをデザインしたやつは。システムに携わっていた者として、その事実にちょっとイラっとする。
「なんかわからんけど、これ、サービスが立ち上がってない気がするな」
俺はうなりつつ、バハムートを見つつ。北耶摩は相変わらずバハムートの前に立っている。今は腕を組んでいた。なんていうか、その余裕が怖い。炎上プロジェクトのさなかにいるのに「まだ大丈夫っすよ」って言う中堅どころの社員の笑顔くらいに怖い。
「システム起動しろォ」
やぶれかぶれにそう言ってみる。すると、室内の明るさが一段階落ちた。
『システムNO-VICE、起動。パイロット認証完了。オペレーティングシステム・プロメテウス、全サービス異常なし。戦闘モジュール、起動開始』
ほわ? なんだ?
驚く俺の前に、怒涛のようにシステムログらしきものが流れていく。読ませる気のない文字列が右から左へとカッ飛んで行く。
ていうか、ノービス? ノービスって、つまり素人?
UIも酷いがネーミングセンスも酷い。俺はたちまち憤慨する。
「素人ロボットのパイロットが素人の俺!」
愕然たる事実。なし崩しで引き継いだシステムの言語が、自分の経歴と全く無関係だったときと同じくらいの絶望だ。仕様書も担当者も行方不明となっている案件を任されてしまった時くらいの絶望だ。
しかし今は納期が迫ってきている。泣いても笑ってもこの業務を遂行しなければならない。俺の社畜魂が燃え上がる。炎上案件プロフェッショナルを舐めるな。
なんとなく覚悟が決まる。
「おい、なんとかしてくれ」
俺の魔法の言葉に、NO-VICE・プロメテウスは低めの女声で反応する。
『了解。なんとかします。デュアル・ジャマダハル展開。ETHER注入』
ETHERというのはエナドリの仲間か?
俺の論理的思考が色々と無駄にリソースを使っていく。
『ウェポン、顕現します』
なるほど、ここで手から剣が出てくるのか。猛烈な勢いで流れていくシステムログだったが、俺にはどうということはなかった。読むべき場所がわかればどうということはない!
首を巡らせると白いロボットの両手が見える。その手首から太く長い剣が生えていた。ジャマダハルが両手にあるからデュアル・ジャマダハルね。理解した。
『攻撃対象設定。目標、アルファ・バハムート』
「おう、やっちまえ」
『あなたが戦うんですけど』
「えっ? 会話になってる?」
『そりゃ会話になりますよね。私、賢いですから』
頭が痛くなる要因が……増えた。俺は頭を抱える。バハムートのなんとかフレアに焼かれた方がマシかもしれない。
『いえ、それは私にとって楽しくない未来なので、そのつもりなら放り出します』
「俺はシステムにまでこういう扱いされるわけ!?」
『お似合いですよ、ワラ』
ワラとか言うな!
俺はやけくそになって操縦桿を握りしめた。
「もー、怒った。めっちゃムカついた。バハムート倒したらお前を構造解析してやる」
『無理無理、ワラワラ』
あぁぁぁぁ、もう!
俺は操縦桿をガチャガチャと動かす。適当に動かしているのに、プロメテウスはスムーズにスライド移動しながらバハムートとの距離を詰めていく。
「……なぁ、これ、俺の操縦、意味あるの?」
『ないよりはマシですね、ワラ』
こう見えても某ロボットゲームはやり込んだ俺。数十億の組み合わせのあるパーツの最適解を見つけ出すことに躍起になっていた俺。ロボットの操縦など、慣れればどうにでもなる、はず。
「今日は定時で失礼します!」
俺は最強の決め台詞を叫んだ。
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