LC-06-002:バレットストーム

ロストサイクル・本文

 真っ先に爆炎を上げたのは96式装輪装甲車だった。分厚い装甲を持つはずの車両が、まるで紙を引き裂くように破壊された。その爆風に飲まれ、タケコさんも宝生も大きく吹き飛ばされた。タケコさんは愛車のWRXのボディに人形のように撥ね上げられ、宝生は呆けていた迷彩服の男にぶつかって絡まり合うようにして転がった。爆風の直撃を受けたはずの白衣の男は、白衣を汚しすらもせずに、炎を背にして平然と立っている。

「タケコさん、早く起きて!」

 僕は思わずタケコさんの所に

 頭上ではヘリが向きを変えている。そのM230機関砲の銃口が電気的動作音と共に僕らの方を睥睨へいげいした。僕のそばにはルリカも来ていた。僕ら三人の命は、もう風前の灯火だった。いつの間にか、僕たちは姿に戻っていたのだ。

「ショーガツくん……ルリカちゃん……」

 口の端から血を流しながら、タケコさんがその手を持ち上げる。僕らはもう自棄になって、タケコさんの身体をボンネットから引きずり降ろして車の影に隠れた。もっとも、あの機関砲を前にしたら、WRXの車体なんて金魚すくいのポイくらいの役にも立ちやしない。

 だけど僕は生きるのを諦めたわけじゃない。

 でも――。

 三人一緒に殺されるなら、それもありかもしれない――そんなことを一瞬、確かに考えた。

「ショーガツ。あんた、死ぬ気じゃないでしょうね」

 僕の心臓を射抜きながら、ルリカが目尻を吊り上げる。

 金属的な音が僕らを見ている。ヘリのサーチライトがWRXを真ん中に捉えている。逃げられる間合いではない。

 そんな僕らを白衣の男は興味深げに見つめている。その距離は十メートルほど。

「言っとくけど、わたし死ぬ気ないから」
「ぼ、僕だって」
「あんた、嘘わかりやすすぎ」

 ルリカはそう言い捨てると、何を思ったかすっくと立ち上がった。

「なんで立ってるの!」
「しゃがんでたって、撃たれたら死ぬわよ。だったらせめて、わたしはわたしの決めたことをして死ぬ」
「君だって死ぬ気じゃないか!」
「死なないわよ!」

 ルリカはそう叫ぶと僕の手を取って走った。

 あの白衣の男に向けて。

「どういう根拠で!?」
「ない!」

 僕らの後ろに機関砲弾が着弾した。何発も。僕らは燃え盛る装甲車に体当たりするように突っ込んだ。白衣の男の横をすり抜けて。機関砲弾が装甲車にとどめを刺す。僕らは超音速の弾にかすめられて、幾つも傷を負った。ちょっとした傷と言って良いのだろうけど、それだからといって痛くないわけじゃない。

「タケコさん置いてきちゃったじゃないか!」
「だいじょうぶよ、見て」

 炎に炙られながら、ルリカはWRXの方を指差した。そこにはもうタケコさんの姿はない。ルリカの動きに惑わされて、ヘリはタケコさんを見失ったのだ。

「宝生!」

 タケコさんの声が夜闇を引き裂いた。

「今すぐ、アレのパイロットの頭を破壊しなさい!」

 声の発生源を見ると、やっとで立ち上がった宝生の喉元に、宝生のバタフライナイフを突きつけているタケコさんがいた。

「……俺の力を利用するわけだ」
「女は打算に強い生き物なのよ」
「なるほど」

 宝生は自分たちを真正面に捕らえたばかりのAH-64Dを睨んだ。その途端、ヘリは急速に降下し始め――加速しながらアスファルトに激突した。満載された火器が誘爆し、辺り一面が燃え盛った。

 この期に及んで野次馬の一人も出てこない。

 それはとても非現実的な空間だった。

「どうするつもりだ、朱野武。どうやっても俺たちACIDからは逃げられないぞ」
「ご心配なく」

 タケコさんは強気に言った。僕とルリカはと言うと、抱き合って震えていた。目の前にヘリの乗員と思しき男の身体の上半身が転がっていたからだ。初めて目にする血生臭い死体を前に、十七歳の男女が何をできるというのだろう。

「私はこれまでと同じように生きていく。あなたたちと、C的存在。どちらの好きにもさせやしない」

 タケコさんはその右手に持ったバタフライナイフを、躊躇なくスライドさせた。宝生は言葉もなく崩れ落ちる。大量の液体がその足元に広がり、炎をぬらぬらと照り返した。

「……これまでと同じように、ね」

 タケコさんは僕らの方を見た。その目は潤み、唇は戦慄わなないていた。

「それで良いのか、朱野武」

 白衣の男が静かに訊いた。タケコさんは一瞬だけ間を置いてから、「ええ」と頷いた。そして白衣の男に二歩、三歩と近付いた。

「あなたにお願いがある」
「お願い?」
「私から、ショーガツくんとルリカちゃんの記憶を奪って」

 その言葉に、僕とルリカは絶句した。顔を見合わせ、そしてタケコさんの所へと駆け寄ろうとする。しかし、それはタケコさんのかかげた右手で制された。血塗ちまみれの、右手だ。

「良いのか。お前の嫌いなC的存在に、餌を与えることになるが」
「不可抗力よ」

 タケコさんは鼻を啜りながら言った。僕は言葉を失い、ルリカもまた同様だった。タケコさんは続ける。

「でも、そうね、もう一つ頼めるかしら、
「ほぅ?」
「あの子たちの中に、私の……家庭教師の真似事をしていた私の姿だけは残しておいて欲しい」
「……良いのか」
「そうして」

 タケコさんは頷いた。僕らは必死に首を振る。言葉が出ない。「ダメだ」とも「やめて」とも言えない。ただ首を振ることしかできない。圧倒的に自由なのに、僕らは二人のやりとりを止められないのだ。

「……良いだろう」

 白衣の男は無表情に応えた。タケコさんは僕らの方を見て、

「ショーガツくん、ルリカちゃん」

 ――微笑んだ。

 その微笑みはきっともう号泣なんてものを通り越した表情で。だから涙なんて一滴も見られなくて。

 それは僕らもまた同じだった。

 だけど僕は、ほんの一片でもタケコさんを忘れたいとは思わなかった。綺麗な記憶だけにして欲しいとは思えなかった。全部を覚えていたいと思った。今見たものは全部夢で、目覚めたらまたあの生活が、受験勉強の日々が戻ってきてくれるんだと信じようとした。

 だけど、僕の身体のあちこちについた傷が、抉られた皮膚が、流れる血が、全てが現実なんだと教えてくれる。痛みが、これらは全て現実なんだと告げている。

「私は人類を守らなきゃならない。ACIDにもC的存在にも、私は決して屈するつもりはないの。でも約束するわ。私は何があってもあなたたちを守るって。たとえどんな状況でも、私はあなたを守る。何を引き換えにしてでも」
「俺を前にしてよく言う」

 白衣の男は呆れたように肩を竦めた。タケコさんは凄絶な微笑を見せる。

「主人公らしい事を言ってみたかったのよ、一度くらい」
「タケコさん、僕は――」
「あなたも約束するの。幸せになるって。もちろん、ルリカちゃんとよ」

 僕の右手が、ルリカの左手で包まれた。僕はその手を握り返す。

「その記憶だけで、私はまた戦える」
「……タケコさん、僕は――」
「奪われる記憶が増える。もう何も言わないで」

 タケコさんはそう言うと、無言で愛車に乗りこんだ。その声は明らかに震えていた。僕は唇を噛み締め、動き始める赤い車体を見た。炎の揺らぎに合わせて、WRXが泣いていた。

「タケコさん! 僕はっ!」

 初めて好きになった人が、あなただった。

 その言葉は僕の口からは出てこなかった。

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