循環想像リアクション 第壱話

美味兎屋・本文

 コンビニでカップラーメンとおにぎりを買い、入り口の外で座り込んでいる粋がった連中を心のなかで見下みくだし、信号のない道路のなかなか途切れない車列に軽く腹を立てながら、いつものように、いつもの帰り道を急ぐ。

 外はもうだいぶ寒くなってきていて、サラリーマンの中にもコート着用者が目立ってきていた。その一方で私はまだ、一張羅のスーツで通している。身体はともかく、手が冷たい。冷水につっこんだ後で扇風機の前に晒されたくらい、痛い。コンビニの袋でさえ、このびりびりと痺れる手の前には凶器だ。忌々しい。実に腹立たしい。

 一刻も早く家に帰って、ストーブの前で熱いカップラーメンを食べたい。腹も減っていたし、疲れた。明日もまたきっと、疲れるんだろう。仕事も忙しければ、人間関係も面倒くさい。書類なんてもってのほかだ。あんなものを書くために仕事してんじゃねぇぞ、こんちくしょうめ。手が冷たいのも、苛々するのも、全部書類という人類にとっての諸悪の根源のせいだ。

「む?」

 やれやれ、こんな時間に子ども連れかよ。

 道路を渡った先に、まだ小学校に上がってないくらいの女の子と、その母親らしき若い女がいた。女の子は眠そうに目をこすりながらも、母親に引きずられるようにして歩いている。母親は子どもの方を見もせずに、車列が途切れるのを待っているようだった。スッピンのその表情は、車のライトに照らされるたびにイライラとしているように見えた。

 パチンコ帰りかな? とんでもねぇな。

 私は思わず目を細めて母子を見た。彼女たちはそれには気付かない。母親が手を上げる。何度も大袈裟に手を上げるその姿は、何だか不自然だった。

 私の後ろを掠めるようにして、タクシーが通り、彼女たちの前で止まる。冷たい風が、母親の声を運んでくる。

「○○病院に」

 ああ、病院だったのか。

 私は開いている手をポケットから出して、頬を引っ掻いた。自分に無性に腹が立った。

 凍てついた小石を蹴飛ばしながら、私は家に急いだ。一分くらい歩いたその時、ふと顔の右側に強烈な視線を感じた。

「あれ?」

 あんなところに、あんな建物なんてあったっけ?

 二車線の道路を挟んだそこに、それはあった。奇っ怪なほどに几帳面な立方体である。それはよく見れば「家」のようにも見えた。

「ここは……」

 確かその角地は工事中だった気がする。その前には古びたなんちゃら荘とかいう建物があったような。でも、曖昧すぎてよく思い出せない。記憶にもやがかかったような感じだが、そもそも建物が何であったかなんて関心がない。コンビニと会社の場所さえ覚えておけば、とりあえずは困らない。実際にそのあたりにしか行かないのだし。

 私が感じた視線の主は、その謎の立方体の前に立っていた。こんな寒さの中、白衣を着て立っている。男は、何をするでもなく、ポケットに手を突っ込んで、私を見ていた。眼鏡をかけた長身痩躯の男だ。白衣と痩せた顔が、街灯の影響で一層病的な何かに見えた。そんな男が、ただ立っていて、ただ私を見ているのだ。ゾッとする。

 その名状しがたい視線を、私はなんとか無視して帰路を急ごうとしたが、男はまだ私を見つめている。無性にイライラした。

 私は二車線の道路を横切ると、男のすぐ目の前まで行った。男はその間も、ずっと私を見つめていた。まるでカエルを目の前にしたヘビのようなその表情に、私の内面は確実にひるんでいた。

「あの、何ですか? さっきからずっと俺のこと見ていますけど」
「用? お前にか?」

 男は眼鏡の奥の目を細めた。私はカッとなった。

「お前って、初対面で『お前』はないでしょう! 何でそんなに俺を見ているんですか。ぶしつけでしょう!」
「はっははは!」

 男は笑った。これみよがしに、背中を反らしつつ。

「俺がお前を見ていただって? お前なんて見ていない。つまらんよ。それに、仮にそうだとしてだ。俺がお前を見てはいけないという決まりがあるわけでもないだろう」

 男は可笑おかしそうに喉の奥で笑っている。

「何がおかしいんだ! 俺は腹が立っていると言っている!」
「で? それが俺と何の関係があるんだ。言っておくが俺は論理的ロジカルな回答以外は受け付けないぞ」

 真顔で言う男に、私はさらに感情的になった。思わずその白衣を掴み上げそうになる。が、右手にはカップラーメンとおにぎりの入った袋を提げていた。この男は命拾いをしたようなもんだ。

「喧嘩売ってんのか! 俺は疲れてるんだ!」
「これはまた面白いことを言うヤツだな」

 男は眼鏡の位置を直す。凄んでも、全く動じていない。こいつはバカか? それとも武道の心得でもあるというのか。

「お前が疲れていようが、俺には関係ない。それに、俺はお前のことなど、これっぽっちも見ていないのに、お前はそうだと言い張る。そして俺がお前のその自意識過剰に端を発する決め付けを否定すると、今度は喧嘩を売ってるのか、ときたもんだ」

 論理的とはこういうことだ、と言わんばかりに男は言い放つ。私はますます頭に血が上るのを感じていた。

「とぼけてんじゃねぇよ! お前、俺のこと見てただろうが! 見てましたって言えばいいのに、ヘタなとぼけ方しやがって! ナメてんのか!」
「これは、俺の方が喧嘩を売られてるように思うぞ。まず、俺はお前なんかに関心はない。お前ごとき、どうでもいい。見る価値も感じていない。この寒い中、なんでお前なんぞを見ていなければならん。お前など、そこらの有象無象と同じ、むさくるしいだけの何の魅力もない、何ひとつ誇れるものを持たぬつまらない男ではないか」

 やれやれとそいつは肩をすくめやがる。

 私はコンビニの袋を地面にたたきつけた。ぐしゃっと音がした。カップラーメンのカップがおしゃかになった音だろう。多分、おにぎりも犠牲になったに違いない。その事実にますます腹が立った。私がこうしてしまったのは、全てこの男のせいなのだ。

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