LC-00-000:タケコとショーガツ

ロストサイクル・本文

 なぜだかどういうわけだかは僕にはサッパリなわけなんだけれど、明日、四月九日に高校三年生の始業式を迎える今になって、突然家庭教師が現れた。まぁ、うちの親が勝手に契約したんだろうけど、僕と親は多くの高校生がそうであるように、あまりコミュニケーションというものを取らない。だから正直、何が何やらである。

 でもとにかくも今、僕の目の前には母が出した紅茶を上品に飲んでいる、どこをどうやって見ても美女に属するであろう女子大生がいるわけで。腰まである黒髪をサラリと流した、黒目がちの白皙の美人である。白いブラウスに薄いピンク色のフレアスカートを身に着け、この上なくお嬢様然とした人物だ。そんな彼女は僕を見てニコリと微笑む。本音を言うと、それは十七歳童貞な僕を殺すには十分な表情だった。

 ついでに言うと、ふんわりとしたブラウス越しにもハッキリと分かる巨乳である。僕は何度でも言うが十七歳童貞であり、つまり、こういうものがあればそれは当然目がいってしまう。視線誘導に引っかかっている気がしないでもないが、その白い首筋からブラウスに消えていくそのラインに、僕は思わず唾を飲み込んだ。

 この人の名前は、朱野あけのたける。男みたいな名前でしょう、と彼女は笑う。ついでに言うと、僕の名前は春賀はるが正月まさつき。凄くおめでたい名前だよね。ちなみに誰も僕を「まさつき」とは呼ばない。全員が全員、先生すら僕のことを「ショーガツ」と呼ぶ。僕の部屋に移動中のつい今しがた、この女子大生にも「ショーガツくん?」と呼びかけられたところだ。

「いえ、まさつき、です」
「私の事はタケコと呼んでね」

 この人、話を聞いてないし。

「タケルって呼んだらぶっ殺すわよ」

 うわ物騒。

 居間で母と共にいた時とは全然別の声音で言われたその言葉に、僕は思わずゾクっとした。ああいや、別にがあるとかそういう話ではなくて。ていうか、よりによってタケコさんか。まぁ、いいけど。

 しかし、どこかで見たことがあるんだよな、この人。

 僕は愛用のブローフレームの眼鏡をクイと押し上げて、タケコさんを見た。僕は乱視が激しくて、それに伴ってあまり目つきがよろしくない。全国の乱視の皆さんならおわかりいただけるとお思うが、モノをちゃんと見ようとすればするほど、「殺意の眼差し」になってしまうのだ。それがちょっとしたコンプレックスだったりするのだが。

「その目! たまらないわっ」

 タケコさん、涎を垂らしそうな表情で僕をいる。

 そう、タケコさんは背が高い。僕は高校三年生にしては背が低く、クラスでも先頭だ。正直に言えば、百六十センチジャストだ。女子の大半にも抜かされてしまっている。特に、中学からの知り合いである夏山ルリカには、中学時代からずーっと一センチの差をつけられていて、それが何より僕の自尊心を傷付けていた。

 そしてこのタケコさん、百七十五センチあるのだという。容姿端麗高身長スタイル抜群ついでに巨乳。その上K大の教育学部で英米文学を専攻しているという才女。まだまだ秘密を隠し持っていそうな、そんな人だ。ミステリアスかと思えば物騒だし、黙っていればやっぱり美人だし、巨乳だし、脚綺麗だし。ついでに言うとその白い顔の肌もきめ細やかで……ってこの観察力は童貞ならではなのかもしれない。

 僕は自室のドアを開けて、タケコさんを招き入れる。タケコさんは部屋に入るなり、ササっと自分の髪をまとめ上げてポニーテールにした。うなじの後れ毛がたまらない。僕はたまらず唾を飲む。ていうか、この部屋に女子を上げたのは初めて……ではなかった。三年ぶりに同級生になった夏山ルリカは、ここ六年ばかり当たり前のようにこの部屋にいて、しばしばベッドで漫画を読んでいたりするっけ。今日は塾の日だからいないわけだが、なんだか物足りない気がしないでもない。あ、夏山ルリカは僕の中ではそういう――ありていにいえば性的な――対象ではないし、彼女にしてみても同じだろう。あ、夏山ルリカは可愛い。それは認める。でもなんだか、ムラムラしないんだよね。

 だが、この女子大生は圧倒的なフェロモンを放っている。そう、圧倒的だ。今にもブラウスを脱ぎだすのではないかと言うほど……。

「ってなんでボタンを外してるんですか」
「え。だって暑いし?」
「四月ですよ、四月。むしろストーブついてますけど!」

 本州以南の方々のために解説しておくと、僕ら道民は「温風が出るモノ」は基本的になんでもストーブだ。ヒーターとかそんなおしゃれな表現はしない。ストーブである。ついでに言うと、エアコンはうちにはない。新築物件でもない限り、ないのが……そう、わりと普通である。

「良いじゃない別に」

 タケコさんはそう言って僕を椅子に座らせる。そして僕の隣に立ち、腰を折って僕の顔を覗き込む。が、僕の視線はタケコさんのブラウスの奥に見える、魅惑の白い何かに釘付けである。視線が離せないのだ。だって十七歳童貞だし。

「ん、ブラジャー見えちゃった? あは♡」
「え、なんですか、大丈夫です」

 何が大丈夫なのか――僕は哲学的に自問する。生理学的にはちっとも大丈夫ではない。女性のブラジャーなんて、夏山ルリカのシャツの背中に透けて見える部分くらいしか見たことがないからだ。ああ、母がたまに下着でうろついているが、あれは僕の記憶には残らないようにできている。海馬が拒否してるのかな。

「もー、ごめんね、もっとしっかりガードするね」
「お気遣い無用です」

 僕はそう答えたが、つまりこれはまったくもって迷走の果ての答えであって。ガードするねからのお気遣い無用、というのはつまり、「もっと見せてください」と言っているに等しい。いや、言いたいんだよ、本当はそんなふうにさ。言いたいけど、それを言ったら童貞感丸出しじゃないか。さすがの僕もそのくらいの自尊心はあるのだが、それと言動が釣り合わない――童貞あるあるである。

「うふふ、ショーガツくんは可愛いなぁ。ショーガツくんは可愛いなぁ」
「まさつき、です」
「その目! 蔑むようなそのフレーム越しのその目! 年下の小さい子に蔑視されるこの感覚は、そう、まさに視姦! タケコたまんない!」
「僕、貞操の危機すら感じているんですけど」
「ないない! って言ったら傷付くでしょ」

 う、それは。

「でも、小さい子は余計です」
「私は大きいのがコンプレックスだからちょうどいいじゃない」
「なにが!?」
「私は大きい。ショーガツくんは小さい。神様お願いします。ショーガツくんをこれ以上大きくしないで!」
「やめて!」

 本気でやめて、そういうの。

 僕は頭を抱えつつも、なぜか英語の教科書を開いている。こういう所がと呼ばれてしまう所以ゆえんなのだが、長年の生活で染みついてしまった習慣と、生真面目な性格はそう簡単には変えられない。

「さ、お勉強しましょ♡」

 いったい何の勉強をしようというのか。

「英語が終わったら、保健体育♡」
「それは」
「嫌なの?」
「それは……」

 何だこのAVみたいな展開は。現実にこんなことが起きるわけがない。何かの罠に違いない。夏山ルリカあたりならこのくらい仕組んで来たっておかしくはない。僕はキョロキョロと部屋を見回し不審なモノがないか探す。視線を彷徨わせるうちに、いつの間にか僕の視線はタケコさんの豊かで柔らかそうな某所の谷間に落ち着いてしまう。鎮まれ、鎮まりたまえ。

 そんなことを祈願しつつ、俺はタケコさんの顔をギギギと首を鳴らしてもう一度見た。

「ああっ、思い出した。バス停で何故かいつも隣にいる……」
「うふふふ、やっと気が付いた? おっそいなぁ」
「で、でも、なんで。なんで僕の家とか知ってたわけ!?」
「調べたのよ」

 怖。

「そりゃ当然でしょう? 私好みの男子が、私を迷惑そうに見つめてきたわけなんだから、そりゃ身元特定するでしょうよ」
「いや、当然でも何でもないと思う」
「できればその子のおっぱい揉みたいとか思うじゃない?」
「思いませんよ。しかも僕は男子だし」
「おっぱいに男女なし!」

 か、かあさん、先生変えた方が良いと思うよ――僕の良心がそう呟く。

「というわけで、いただきます♡」

 タケコさんは僕を後ろから羽交い絞めにして、文字通り胸を揉んでくる。ということは、僕の後頭部はタケコさんのおっぱいによって包み込まれたりしているわけで。

 ここいらで夏山ルリカがドアを蹴り開け「どっきり成功!」とかでも言うんじゃないかと思ったりもしたが、現実にはそんなことはなく。僕はそれからたっぷり三分間は男乳を弄ばれた。ひどい目に遭ったと呟く厨二病的むっつり良心と、めっちゃラッキーと喜ぶ僕の男子スケベ心がせめぎ合っている。

「タケコさん、どうしてそこまでして僕に」
「うふふ」

 タケコさんは意味深に笑う。

「性癖ドストライク。この出会いを逃したら、私、もう男子のおっぱいは揉めないと思ったからよ」
「じゃぁ、満足したでしょう?」
「人間の欲望は尽きることを知らない……」
「何哲学っぽいこと言ってるんですか」
「深淵を覗く時、深淵もまた君を覗いている」
「タケコさんから這い寄ってきましたよね、どちらかというと」
「童貞は細かいこと気にしたら負けよ」
「うっ……」
「でもビシバシ来るわね、その視線。たまんないわ!」

 乱視ゆえに、勝手に睨むような目つきになってしまうわけだけど、タケコさんはどうやらそれがたまらなく刺さるらしい。僕に後ろから覆いかぶさったまま身もだえするものだから、僕の首のコリがすっかりなくなってしまうほどに揉みほぐされているわけで。柔らかい二つの魅惑の丘のフィット感がマジパナイ。生物学的に、これは求愛行動なのではないだろうかと思うわけだけど、いやいやそれはいかんと僕の自制心が何だかいろんな脳内物質を放出して、暴走を食い止める。

家庭教師カテキョのバイトは三年で辞めたんだけど、あなただけ特別よ、ショーガツ君。私が卒業するまで付き合うからね」
「ええ……」

 げんなりしたか、というと、そうでもない。むしろこのおっぱい押し付け先生と一年過ごせるとか、どれだけ色々助かることか。うん、色々と助かる。ていうか、女性の肌に触れたのなんて、夏山ルリカが気軽に腕を組んでくる以外に、記憶にない。ぶっちゃけ夏山ルリカよりもスタイルは良いし(主に胸)、夏山ルリカよりお姉さん感が半端ない。女性として見ざるを得ない対象だった。しかも、僕が何もしなくても、タケコさんが率先して痴女行為を繰り出してくる。十七歳童貞が自制心を維持できるはずがあろうか、いやない。(反語)

「ってちょっと待って。タケコさん、家庭教師だよね」
「ええ、そうよ。保健体育もお望みのままよ♡」
「そうじゃなくて!」
「保健体育しかしなくていいって?」
「そうじゃなくて!」
「保健体育さっさとやれって? いいわよ?」
「そうじゃなくて!」

 思わず三連発。そうこうしている間に、タケコさんはブラウスの三つ目のボタンを解放している。ブラジャー丸見え。いかん。眉間が熱くなってきた。鼻血が出る。

「僕はH大に行きたいと思ってるんだけど、ちょっとだけ足りないんだ。その辺真面目にやってくれるわけ?」
「お給料分はしっかり働くわ。でもそうだね、H大に合格したら、私の身体、好きにしていいよ♡」
「それ、好きにされたいだけと違うのだろうか?」
「ウィンウィンじゃない?」
「いや、まぁ、うん……」

 このシチュエーションで、この誘いを断れる男子がいるなら是非インタビューしてみたい。無理だって、絶対。

「ただし、条件があります」
「え?」
「私の身長を超えないこと! 私は私より背の高い男子には興味がありません」

 う、それは。

 僕は牛乳を飲むべきか。飲まざるべきか。それが問題だ。

 どうしよう、どうすべきなんだ、僕は。

「さて」

 タケコさんはおもむろにブラウスの袖をまくり始めた。

「英語の勉強、サクッと片付けちゃいましょう。英米文学専攻の力を見せてあげるわ!」

 鼻息荒く、タケコさんは気合いを入れた。

 なんだこの切り替えのスピードは……!?

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