LC-01-001:真っ赤なWRX

ロストサイクル・本文

 四月は春先とはいえ、桜はまだ一ヶ月も先になるはず。例年GWに合わせて桜は咲く。北海道におきましては、GW=桜であるから、必然的にその時期は、円山まるやま公園がジンギスカン臭くなる。カラスも肥え太る季節である。

 そして四月と言えば新年度。今日は四月九日の月曜日。今日まさに、僕にとって一生に一度の高校三年生の生活がスタートするわけだ。うちの高校は男子は昔ながらの学ラン、女子はなんだか可愛らしいブレザーである。胸元のリボンが可愛いと思う。

 教室の扉を開けると、奥の方から野郎がひとり、ひょこりと顔を覗かせた。

「よっ、ショーガツ。また同じクラスやな!」

 出たな、似非えせ関西人。この無駄に背が高いお調子者は、川居かわい合気ごうき。ぼさぼさの髪のクセに何故か散らかっているようには見えない不思議なヘアスタイルの持ち主だ。いわゆる一つの無造作ヘアというやつだろう。それが似合う爽やかイケメン、それがこのゴーキだ。チビで目つきが悪い僕からしたら、嫉妬の炎で焼き殺したくなるような奴だ。ただし、テストは酷いもので、赤点常習犯である。ただし、保健体育には滅法強い。ついでに言うと、選択教科では美術を選んでおり、ゴーキとは思えないほどの繊細な絵を描く。素人目判断だが、上手い。ついでにいうと僕は、絵は致命的に下手だ。そもそも二次元の紙に立体的にモノを描ける原理が分からない。円や直線をフリーハンドで描ける意味もわからない。

 僕は教卓に置かれた座席表を見て溜息を吐く。よりによってゴーキが僕の前だ。窓際というのもこの時期から夏にかけてはなかなか辛い。直射日光がガンガン刺さるからだ。

「やっほう、おはよう、馬鹿コンビ」

 いきなりご挨拶な言葉を掛けつつ、僕の隣の机の上にバッグを置いたのが、夏山なつやまルリカだ。

「同じクラスなのは中学以来だな、夏山ルリカ」
「どうしてあんたはわたしをフルネームで呼ぶわけ」
「さぁ、どうしてかな」

 「夏山さん」だといまさら何だかよそよそしいし、「ルリカ」と下の名前で呼ぶのはなんだか気恥ずかしい思いがある。そんな男子心が悪魔合体ちゃんぽんされた結果、「夏山ルリカ」と呼ぶことになったわけだ、何となく。

「まぁいいけど。わたし、今朝測ったら161センチあったわ。あんたは昨日160って言ってたから、まだわたしの方が高いわね。おほほほ」
「むかつくわー」
「まぁまぁ、ショーガツ」

 ゴーキが僕の肩を二度叩く。

「小さい男にも需要はあるし、あそこが大きければなんだって」
「あんたねー、さすが保健体育の鬼」

 夏山ルリカが腰に手を当てて溜息を吐いた。夏山ルリカはかれこれもう六年目の付き合いになる、僕の友人だ。カノジョとかそういうのでは断固ないのだが、夏山ルリカはずんずん遠慮なく僕に近付いてくる。たぶんプライベートゾーンの概念が違う人なんだろうなと僕は思っている。昨日うちに押し掛けてきた女子大生タケコさんとはまた違ったタイプの美人であるが、夏山ルリカにはおっぱいはない。本人もアスリートに乳は不要だと、日々声高に唱えている。

 夏山ルリカは、僕やゴーキに対してはこんなふうにガサツな対応をするが、他のクラスメイトや先生方にはこれ以上ないくらいに完璧な対応を見せる。成績優秀な上に陸上部員でもあり、運動神経も抜群だ。スポーツ少女らしく、髪もショートボブで綺麗にまとめており、サッパリ爽やかな性格を顕現けんげんさせているようにも思えた。いわゆる一つの完璧JKである。難点を言えば、僕に対する距離感が異常に近いこと。放課後は塾のない日は毎日のように家に上がり込んでくるし、人のベッドで平気で寝るし、晩御飯を食べていくことすらある。悪いことに夏山ルリカの母とうちの母は気が合い、「泊っていったらどう?」なんて言いだしたりする始末だ。僕がほんのわずかでも夏山ルリカを女性として考えているなら、こんなヘヴンな環境はないだろう。だがしかし悲しいかな、僕にとって夏山ルリカは戦友のようであり悪友のようなものだった。性的なモノを感じたことはない。ないと思う。ないはずだ。きっと。

「あ、夏山さん、おはよう」

 見慣れない男子が夏山ルリカの背後から声を掛ける。眼鏡をかけた小太りの男子だが、当然僕よりは背が高い。ぐるりと見回した所、このクラスには僕より背の低い男子は見当たらない。がっかりだ。でも卒業までにはせめて真ん中くらいの身長になりたいななんていう野望があるのだ。僕の成長期はまだやってきていない、はずだ。

「ああ、チョッカも同じクラスかぁ」

 チョッカ?

 夏山ルリカがニックネームを呼ぶということは、そこそこ心を許した相手だということだ。夏山ルリカは僕たちを順番につつきながらざっくりと紹介する。

「こっちの二人はショーガツとゴーキ。きっと気が合うと思うから、仲良くしてやってね」
「どうも、僕は直河なおかわ卓琉すぐる。中学の頃からずっとみんなにはチョッカって呼ばれてる」

 漢字を見れば一目瞭然だが、つまり、「直河チョッカ」ということだ。僕はゴーキと顔を見合わせる。ゴーキが「あれ?」と首を傾げて言った。

「そういえばサッカー部のエースストライカーがチョッカって名前じゃなかったっけ」
「ああ、そうさ」

 チョッカは幾分得意げに頷いた。

「サッカー部の動けるデブ、チョッカ。それは誰あろう、僕のことさ」

 長めの髪の毛をいじくりながら、動けるデブことチョッカ氏は言った。

「サッカー以外の運動はからっきしだけどさ」
「走るのは速いよね」

 夏山ルリカがフォローを入れる。

「陸上部にスカウトしてたんだけどね」
「へぇ」

 全然知らなかった。てっきり夏山ルリカは僕に何でも話してくれてるものだと思っていたから、なぜか少し腹が立った。

「僕は春賀正月。ショーガツとは呼ぶなよ」

 かなり棘のある声が出て、誰より僕が一番驚いたに違いない。しかしチョッカは眼鏡の位置を直しながら、その脂ののった丸っこい顔に邪気のない笑みを浮かべる。レンズの分厚さからすると目が随分悪いらしい。

「ショーガツでいいじゃない」

 夏山ルリカが杜撰ずさんな声を出す。「いや、だめ」――僕はそう即応するわけだ。

「なんで?」
「僕はマサツキ。ショーガツじゃない」
「ショーガツでいいわよ」

 夏山ルリカも何故か意地になってそう言った。僕は憤然たる気持ちになったが、それ以上は無駄だと思って腕組みをして黙り込む。そんな僕の肘あたりを、ゴーキがつつく。

「なぁ、ショーガツ。なんかあったん? えらい不機嫌そうな目してるけど」
「この目は昔から!」

 僕はかなり苛々しているんだと思う。その理由はよく分からない。ただ、無性に腹が立っているのだ。情緒不安定なのかもしれない。時計を見ると、朝のHRホームルームまであと五分という所だった。

 そんな最中、ゴーキが僕の机で頬杖を突きながら尋ねた。

「ところでさ、チョッカはルリカとどういう関係なわけ?」
「一年二年と同じクラスだったんだよ。夏山さんからはショーガツくんとゴーキくんの話は色々聞いていたよ」
「だからショーガツじゃなくて、マサツキ」
「ごめんごめん。でも夏山さんがずっとショーガツショーガツって言っていたから、僕の中ではもう君はショーガツくんなんだよね、ごめん」

 謝りながら全身の脂肪を揺らして笑うチョッカに、僕はまた無性に苛立った。でも、原因の分からない怒りに身を任せてはいけない――僕は必死で自制した。

 そんなこんなでHRが始まり、体育館で年度初めの諸々があり、あってもなくても良いようなHRがあって、下校となった。他にもいろいろあったけれども、語る必要もないのでざっくり割愛する。

 僕とゴーキ、夏山ルリカ、そしてチョッカの四人は何故だか連れ立って玄関から出た。陽は高いが、暑くはない。ていうか、寒いくらいだ。今日の最高気温は九度。最低気温は二度。昨日は雪も降ったし、常識的に考えてとても寒いのだが、夏山ルリカはフトモモからフクラハギまで惜しげもなく素肌を露出させていた。

「寒くねぇの?」

 ゴーキが尋ねると、夏山ルリカは「え、普通じゃん」と答えになってるかなってないかよく分からない応答をした。

「ショーガツくんはさ」

 なんだかごく自然な流れで夏山ルリカの足に見とれていると、僕の隣に密着しているチョッカがハァハァと息を吐きながら声を掛けてきた。

「好きなスポーツとかあるの?」
「いや、別に」

 塩対応。まぁ、野郎相手にデミグラスソース味になんてなってやる必要もない。

 そこで僕ははたと気付いた。校門の前に真っ赤な車が停まっていることに。それを見てゴーキが口笛を吹いた。

「うお、あれ、WRXやないか」
「WRX?」
「スバルのスポーツカー。国産車ではロードスターと86ハチロクの次に人気があるヤツやで!」

 その二台は何となく知っていた。でも、WRXと言われてもピンとは来ない。

「しかもS4のD型じゃないか」
「よく知ってるなゴーキ。お前、そんなに車に詳しかったっけ」
「詳しいとか以前によ、ジョーシキだろ、ジョーシキ!」
「いや、違うと思うけど」

 僕はいささかながら釈然としない気持ちになりつつ、歩を進める。車まで十メートルという所に至って、僕は気付いた。

 運転席のドアの向こうにいるのは、朱野武タケコさん。

「ハロー!」

 窓を開けて、タケコさんが手を振った。咄嗟に僕は他人の振りをしようとしたが、タケコさんはそんな僕の退路を断つように呼びかけてくる。

「ショーガツくん! 迎えに来たわよ!」
「ええっ、ショーガツ、なんや、あの美人さんと知り合いなわけ!?」
「い、いや、ゴーキ、これは誤解だ」

 しどろもどろになっている僕。どうして僕がしどろもどろになっているのか。僕は哲学的に自問する。しかし、なぜか夏山ルリカが僕を見る視線も、鋭い槍のごとく突き刺さってくるかのようにすら思える。

「誤解って何?」

 夏山ルリカが剣呑な声で尋ねてくる。

「いや、あの人は僕の従姉いとこみたいなもので」
「そんな話聞いたことないわよ」
「え、いや、言ってなかったっけ、あはは」
「怪しいな……!」

 夏山ルリカが僕の肘に腕を絡めてくる。それを見たタケコさんの目つきが変わった。明らかに生肉を狙う肉食動物の顔である。夏山ルリカが危ない!

「お母さんから聞いているわよ、ショーガツくん。その子がルリカちゃんね?」
「え、何の話?」
「そーです、わたしが夏山ルリカです」

 反射的にすらっとぼけてしまったが、これは完全に悪手だった。夏山ルリカは僕の肘の内側をつねると、さっさとWRXの方に向かっていってしまった。取り残された男三人だったが、僕の両サイドから同時に肘打ちが決まる。かなり痛い。

「何か言っておきたいことはあるかね」

 ゴーキが低い声で訊いてきた。

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