いつものとは違う暗黒色の鎧に身を包んだグラヴァードは、一切の躊躇なくハインツの胴を薙いだ。ハインツは背骨付近までばっくりと斬られ、そのまま後ろに倒れた。夥しい量の血液が焦げた床に広がった。
「グラヴァード様、魔力は……」
「俺の大魔導という肩書は、一時返上する必要があるだろうな」
無表情にそう答え、グラヴァードは油断なくハインツを見下ろした。
「ククク……私はまだまだ終わらんよ、グラヴァード」
ハインツは黒い霧を凝集させるやいなや、傷を回復させた。落ちた腕もいつの間にか再生している。部屋を満たしていた霧が完全に晴れ、カヤリがばたりと倒れた。ピクリとも動かず、呻きもしない。
「……自ら妖剣テラと接続するか」
さして感慨もなく、グラヴァードは呟いた。カヤリは妖剣テラとの接続を強制解除され、その反動で生命力の大半を失っていた。
「トバース、セウェイ。闇の子を確保しろ。ここから先は俺が始末をつける」
「しかしグラヴァード様、まだ力が」
「この場では一番余力があるのが俺だ。ならば、これが筋というものだろう」
『ならば――』
ハインツが両手を緩やかに動かし、空中に印を結ぶ。
『おとなしく死して無限循環の渦に落ちるが良い!』
衝撃波が同心円状に広がる。グラヴァードが展開した魔法障壁がなければ全員が挽き肉になっていたことは疑いようがなかった。セウェイがカヤリを咄嗟に確保していなければ、カヤリもまたそうなっていただろう。
だが、グラヴァードの防御も完全ではなかった。本調子であれば無傷で済んでいただろうが、今は全員が少なくないダメージを受けていた。
「トバース、セウェイ。二人を連れて退避しろ。エクタ・プラムから出るんだ」
「しかし、グラヴァード様は……」
「俺にも余力はない。急げ」
グラヴァードの短い命令を受け、セウェイは黙って頷いた。カヤリを肩に担ぎ、トバースの肩を叩く。
「行くわよ、トバース、ヴィー」
「しかし、セウェイ」
「信じなさい。今はグラヴァード様に託す他にないわ」
セウェイの言葉に、トバースは渋々頷いた。もうすでに悠長にしていられる時間でもない。周囲を渦巻く魔力は猛毒だ。触れたら即死――本能がそう悟っている。
「ヴィー、君も行くよ」
「……わかってる」
ヴィーは暗い表情で頷いた。
『どこへ逃げるというのか』
ハインツがトバースたちの進路に火球を撃ち放つ。それは着弾を前に、グラヴァードの剣技――殲撃――によって撃墜される。
『なるほど、魔法がなくともそれがあったな、お前には』
ハインツの言葉が終わらぬ内に、グラヴァードは第二、第三の殲撃をハインツに叩き込む。ハインツは半ば肉片と化したが、それでも死ぬことはなかった。どころか肉体は一瞬で再生し、纏う魔力は増していく。
『ははははは! 素晴らしいな、魔神の力は! 私の肉体を無限の魔力が満たしている!』
ハインツはトバースたちへの関心を失い、グラヴァードだけを敵と認めた。その手に闇色の剣が生み出され、そのあまりの魔力に空間が歪む。陣魔法を凝縮したような剣だった。
ダン、と、グラヴァードは床を蹴った。床材が大きく抉られる。
音速近くまで加速したグラヴァードの一撃がハインツを狙う。ハインツは闇の剣を用いてかろうじてそれを受け止める。だが、グラヴァードは止まらない。左手から牽制の光弾を放ち、ハインツの注意がそれた隙に短距離瞬間転移で背後へと回り込む。
一切の迷いもなく、バッサリと袈裟懸けに切り下ろす。ハインツは背中を割られたが、血は一滴も出なかった。まるで火山が噴火したかのように、甚大な魔力が噴煙となって吹き上げられる。
『笑止……!』
今度はハインツがグラヴァードの背中に回っていた。ハインツが必殺の一撃を繰り出そうとした瞬間、グラヴァードの姿が掻き消えた。
『……?』
どこにもいない。検出ができない。
ハインツは狼狽えた。魔力の流れであらゆるものの位置は把握できるはずだった。だが、グラヴァードの気配だけはどうしても検出ができない。
『逃げたのか? いや、まさかな』
ハインツはそう呟いたが、やがて気を取り直して呪文を詠唱し始めた。ハインツの纏う不安定な霧が、やがて巨大な、身の丈二十メートルを超えるほどの化け物の姿に変じていく。人型の、そしてそれでいてこの上なくこの世のあらゆる生物に対して冒涜的であるとも言えるその姿は、まさに魔神と呼ぶに相応しいものだった。ハインツの身体が上昇していき、魔神の胸のあたりに吸い込まれようとしたまさにその瞬間に、ハインツの目の前にグラヴァードが現れた。
『なっ――!?』
驚愕に目を見開くハインツの喉を、グラヴァードの剣が切り裂いた。
甘い! グラヴァードは舌打ちする。
喉から魔力の瘴気を噴き上げてもなお、ハインツは不愉快な声で嗤っていた。
グラヴァードは再度ハインツの首を落とそうと剣を振るったが、それはハインツの闇の剣で弾き返される。完全に押し負けている。
やはり足りない……!
剣に込められる魔力量が明らかに足りない。これならいっそ、銀の刃連隊の新人の方がマシな戦いができるだろう。グラヴァードは表情こそ変えなかったが、内心はかなりのところまで歯噛みしたい気分でいた。
『はははははは! 素晴らしいぞ、この力は!』
浮かんだまま、ハインツは電撃を放つ。障壁でかなりのところまでは軽減したはずだが、それでもグラヴァードは十メートル以上の高さから床に叩きつけられる。グラヴァードの放った衝撃波で床が爆砕され、それによってグラヴァードは体勢を立て直す。霧の魔神がグラヴァードを踏み潰そうとするが、グラヴァードは短距離転移で飛び退った。だが、その出現地点に向けて五本の闇色の槍が落ちてくる。
「ちっ!」
剣でその全てを叩き落とし、すかさず魔神の頭部近くまで跳躍する。剣を突き立てようとしたその瞬間に、魔神の全身から闇の波動が放たれる。グラヴァードは壁に叩きつけられ、そのまま落下した。
その隙に魔神は無数の目玉の貼り付いた闇色の翼を生じさせた。天井が物理的に消え、夜空が見えた。渦巻く雲に迸る稲妻。暗澹たる夜空が、閃光で汚されていた。
「行かせるか!」
グラヴァード自身が攻撃的なエネルギーの塊と化す。浮かび上がり始めた魔神を追うように打ち上がると、その胸に剣を突き立てた。
「ハインツ!」
裂けた旨の筋肉状組織の内側に、グラヴァードはハインツの顔を見た。が、その眼球は暗黒に染まり、表情にも人間だった頃の名残はない。冒涜的な冷笑は、道化師のそれのように無機的でもあった。
『私の邪魔をするな、グラヴァード! ギラ騎士団の目的は、人類全ての悲願のはずだ!』
「驕るな、ハインツ! 貴様らごときに勝手に人類の代表を名乗られるのは、甚だ迷惑だ」
『そう感じるのならば、貴様も所詮は愚民よ』
魔力の触手がグラヴァードを拘束しようとする。グラヴァードは衝撃波を放ってそれらをやり過ごす。
『魔力を失った身で、どこまで戦えるかな?』
挑発的なその言葉に対し、グラヴァードは沈黙を貫いた。攻めあぐねているのは事実だった。決め手に欠くのもまた――。
『……?!』
ハインツが暗黒の目を見開いた。魔神の上昇が止まっていた。エクタ・プラムにその全容を見せたところで、それ以上の上昇ができなくなっていた。下から強烈な力で引かれているかのように、ブルブルと震えて、徐々に穴の中に引き摺り込まれていく。
魔神の姿が完全に穴の中に没したその瞬間、穴の中から吹き上げられた閃光が周囲を薙ぎ払った。危うくグラヴァードも直撃を食らうところだったが、寸でのところで回避することに成功する。それでも穴の縁から数十メートルの位置まで後退せざるをえないほどの衝撃波に殴打された。
エクタ・プラムはその全域が大地震と大嵐に見舞われたかのような惨劇に陥っていた。全域を走り抜けた衝撃波によって、建築物のその殆どが崩壊した。とても立っていられないほどの暴風によって、砕けた人工物が吹き上げられ、容赦なく人々を襲った。魔神の闇の力と、何処かから放たれた光の力の反応で、魔力が暴走したのだ。
阿鼻叫喚、地獄絵図。
グラヴァードは首を振る。
「カヤリ、か……?」
グラヴァードは周囲を見回し、穴を挟んだ反対側にいるトバースたちを発見した。
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