トバースたちのところに転移して、グラヴァードは周囲を見回す。
「カヤリはどうした」
「あそこです」
トバースが穴の底を指さした。擱座した魔神の足元に、カヤリが立っていた。だがその様子は普通とは言い難い。穴の底はまるで星空のようにまばゆく輝いていた。その星あかりのような青白い光が、闇色の魔神の姿を浮かび上がらせている。
カヤリはグラヴァードたちを見上げると、全身から淡い水色の輝きを放ちながら、ゆっくりと上昇を始める。
『ハインツ! あなたは、間違えている!』
断罪は、確かにカヤリの声だった。
『悲しむ人がいるんだから、そんなことがみんなのためなんてことはない! ありえないんだから!』
カヤリの全身が燦然と輝く。カヤリを捉えようとしていた闇が一瞬で払拭されてしまう。
『ならばどうするというのだ、カヤリ。私を滅ぼせばこの街も滅ぶ。お前がやろうとしていることは我々と何ら変わることはない。お前の正義のために、このエクタ・プラムの人間数千を死に追いやるというのだからな。その覚悟はあるのか、小娘』
『それは……』
カヤリの輝きが曇る。ハインツの哄笑が響く。
『百万を救うために数千を犠牲にしようというお前。さてそれはみんなのためかな、カヤリ』
『私は……私は……』
『罪も咎も背負えぬ身分で、しゃしゃり出てくるものではないぞ、小娘!』
闇の魔神が哮る。その号砲によって生み出された衝撃波は、街を覆う結界で乱反射し、いくつもの建物を破壊した。新たに生じた人々の犠牲も少なくはない。
『お前の罪を一部肩代わりしてやったぞ? さぁ、どうする、小娘』
街のあちこちで火の手が上がり、空が焦げた。トバースは燃える建物たちを一瞥してから、浮かび上がっているカヤリに向き直る。
「カヤリ! ハインツを倒すんだ!」
『で、でも……!』
「難しいことは後で考えれば良いんだ! いま大事なのは、そいつを撃破することなんだ。そしてそれができるのは、今はカヤリ、君だけだ!」
「ごめん、カヤリ」
ヴィーが穴の縁に手をついて、頭を下げた。
「あたしたちがやらなきゃならないことなんだ、それは、ほんとうは。でも、それをあんたみたいな子どもにやらせちまうなんて」
顔を上げたヴィーの目から涙がこぼれる。
「悔しいよ! 本当に。こんなことになるなんて、あたし、あたしは!」
『ヴィー……』
「でも、頼む。情けないあたしたちに代わって、そのクソ野郎をぶっ殺してくれ! あんたに罪は背負わせない。あたしが――」
「いや」
グラヴァードが剣を収めながら首を振った。
「この罪咎は俺がどうにかする。カヤリはハインツを殲滅することだけを考えてくれれば良い。少なくとも今、それを成し遂げられなければ、ここの幾千の人々だけでなく、数百万、あるいは数千万の命が危機に瀕するだろう」
『数千……万……?』
小さな村で生きてきた八歳の少女にとって、その数字は大きすぎた。ただひたすらに甚大な数だと、その程度しか理解できなかった。
「カヤリ、今はハインツを倒すことだけを考えろ。それが果たせなかった時に負わされる幾千万の慟哭は、俺にも重すぎる」
『……わかった』
カヤリは上空数十メートルまで舞い上がった。その背中には限りなく銀色に近い水色の翼のような形のエネルギーの奔流が発生している。あまりにも強い魔力によって形成されたそれは、おそらく大魔導ではない人間にも視認できたに違いない。輝く翼を背にしたカヤリの姿は、さながら小さな天使のようだった。
「グラヴァード様は、これから何を……」
「妖剣との接続装置を破壊する」
トバースの問いかけに、落ち着いた様子で答えるグラヴァード。
「アレを壊せばハインツへの魔力供給も途絶えるだろう。恐らくは、だが」
「しかしそれをしたら本当にこの街は」
「トバース」
グラヴァードは諭すように呼びかける。
「エクタ・プラム内部の犠牲だけでその何百倍、何千倍もの人間が救われる。エクタ・プラム幾千の怨嗟は俺が引き受ける。今はそのことに四の五の言っている暇などない」
「ならば僕も」
トバースはグラヴァードを見据え、グラヴァードはほんのわずかの逡巡の末に頷いた。そしてセウェイの方に顔を巡らせる。
「セウェイ、君は」
「心得てるわ。この炎使いを連れて退路を確保せよ、でしょ」
「頼んだ。ハインツが倒され次第、即座にカヤリも連れて逃げろ。俺とトバースはそれを見計らって装置を破壊する」
「りょーかい」
セウェイは頷き、膝をついたままのヴィーを助け起こした。
「あんたも一仕事あるわよ。呆けてる場合じゃないのよ、今は」
「……わかってる」
ヴィーはゆっくりとグラヴァードを見、カヤリに視線を移し、そして変わり果てたハインツ――闇の魔神に目を遣った。
「ハインツ様……あなたから愛情を感じたことは一度もなかった」
そう呟いた瞬間に、空が、否、カヤリが光った。その輝く翼から無数の星の雨を降らせ、魔神を撃った。たちまち魔神は悶え、吼えた。反撃と言わんばかりに魔神の放出した闇色の弾が、カヤリを襲う。だが、それらのほとんどは、カヤリに届く前に消えてしまった。
グラヴァードは「やはりな」と満足げに頷いた。
「あの子はそもそもハインツ以上の大魔導だ」
「あのハインツを超える……?」
驚愕するトバース。セウェイやヴィーも、凄まじい光と闇の応酬に目を奪われていた。
「さ、行くぞ、トバース」
「はい」
そう言って二人は姿を消す。
取り残されたセウェイとヴィーは、目を合わせて頷いた。
「炎使いさん、あんたの覚悟はいまさら聞かないわ」
「あたしはカヤリを助けられるなら何だって良い」
「そういう自己犠牲の精神、アタシ好きよ」
セウェイは白い髪を掻き上げながら言った。ヴィーはエクタ・プラムの外縁を見て指をさす。
「あそこの通りから出るように道を作る」
「了解。火災が酷くて人もいなさそうね」
「いくらかでも逃したいところではある……」
「カヤリの魔力が通過することを考えると、逃げたところで魔力に当てられて死ぬわ。一般人は」
セウェイの非情な分析は、しかし、正確だった。ヴィーは唇を噛みながら頷いた。
「ところで」
「ん?」
「あんたは何で人間なんかに協力しているんだ」
「闇エルフだ人間だ、そんなことどうだっていいじゃない。根本からの違いはあっても、同じ世界に存在している仲間よ」
セウェイはたくましい胸筋を見せつけながらニヤリとした笑みを見せる。ヴィーは肩を竦めた。セウェイは表情を変えずに続ける。
「そもそも無制御と一般人だってそうじゃない。グラヴァード様もアタシと似たようなもん。博愛主義なのよ」
「あたしたちは無制御のための……」
「支配被支配の構造は、上位にとっては快適に見えて、その実そこに収まってみると窮屈で退屈なものよ。そもそも下位あっての上位なのに、その上位が下位を愚民とか言ってるんじゃ、そもそもお話にならないわよ」
辛辣なセウェイの言葉に、ヴィーは曖昧に頷いた。
「かもしれない」
「さ、反省会はあとにしましょ。今はカヤリの勝利を祈りつつ、アタシたちのするべきことをするのよ」
「わかった。あんたのそういうところ、けっこう好きだ」
「あら、ありがと、おてんばさん」
セウェイはそう言うと一足先に空間転移を行使した。
「カヤリ、さっさと片付けよう!」
ヴィーが空に向かって叫ぶと、空中戦を展開していたカヤリは確かにヴィーを見た。
『だいじょうぶだよ、ヴィー。私は絶対に勝つからっ!』
そんな言葉がヴィーの頭の中に響いた。
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