めちゃくちゃ。
めちゃくちゃ、おなかが、すきました。
生命維持に必要な栄養は、おくすりで摂取できる。だからかろうじて死んではいない。しかしそれにしても、この一週間、おくすり以外、何一つ胃の中に入っていない。野草でも食べようかとも思ったが、不幸にしてこの地方の植物の知識はなかった。
褐色の肌の少女は、小さな広場の木陰にぐったりと腰をおろしている。
彼女は遥か北方のアイレス魔導皇国から旅を始め、アルディエラム中央帝国を突っ切り、メレニ太陽王国を横断した。だが、そこで路銀が尽きてしまった。目的の物の手がかりはほとんど得られなかった。ここから南の方向にあるディンケル海洋王国にあることだけはほとんど確信が持てたが、王都にたどり着くための足代がなかった。
「メレニのギルドがあんなにわからず屋だとは」
恨み言を口にするが、当然事態は好転しない。少女の言うギルドとは、錬金術師ギルドのことだ。メレニの錬金術師ギルドは、お金を貸してくれなかった。理由すら曖昧だったが、大方嫌がらせだろうと少女は思っている。
史上最年少の三級錬金術師、それがこの痩せ細りやつれた少女、シャリーだ。風に遊ぶはずの長い黒髪も、長旅で汚れていて絡まっていた。青緑という不思議な色合いの瞳も曇っている。肩書、功績、なんとなく目立つ容姿、それらすべてがシャリーにとって不利に働いたのだ。
「うう、お腹が」
ぐぅぐぅと鳴り続ける胃腸。シャリーは手を当ててなだめすかそうとする。
「こんな街で霊薬買い取ってくれるところなんてないし」
シャリーはカバンから小瓶を取り出し、水筒から一口分の水を注いだ。そして落ちていた小石を拾うと、小瓶の中に落とし入れた。そして瓶の蓋を閉じて、両手で包み込み、目を閉じる。
「いち、にぃ、さん」
三つ数えて両手を広げると、小瓶の蓋を取って中身をあおった。小石だけを器用に避けて飲み干し、小瓶をひっくり返して小石を捨てる。一度使った石は、しばらく使えないからだ。
「生き返るぅ」
シャリーは真南に輝く夏の太陽を見上げて息を吐いた。これがシャリーお手製のおくすりである。簡単に言えば栄養ドリンクだ。あまりに効果が強力なので、服用は一日三回――シャリーはそう決めてそれを忠実に守っていた。それ以上飲むとおそらく良くない効果が出てくるだろうと見込んでのことだ。錬金術師はこのようにして霊薬を作れるが、その運用には正確な知識も必要なのだ。
「とりあえず王都に行かなくちゃ」
少女は頷いて立ち上がる。荷物も食料がなくなった分軽い。だがこれは生命の危険を感じる軽さだ。
なんにしても、まずは王都に行かないと。そして魔石を手に入れないと。
魔石がなければ昇格試験には合格できない。夢が叶えられない。
シャリーは意を決して、目の前に止まった乗合馬車の御者に声をかけた。
「あのぅ!」
「おわっ、びっくりした。お、お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
馬を繋いでいた御者の男は、心底驚いた表情を見せた。シャリーがあまりにも痩せこけ、やつれていたからだ。
「お腹が空きました!」
「物乞いかよ」
「いーえ」
シャリーは気丈に首を振る。御者の男は眉根を寄せて首をかしげる。
「この馬車、ディンケル海洋王国まで行きますか」
「何言ってんだい、お嬢ちゃん。この村はもうディンケル領だぜ?」
御者の男が肩を竦める。
「え? そうなんですか?」
「ああ、まぁ、このへんは勢力図がわかりにくいからな、無理もないが。つーか、お嬢ちゃん。あんた今、ディンケル語で喋っているじゃないか」
「あ」
そういえばそうだったとシャリーは頭を搔く。いつの間にかメレニ言語圏からディンケル言語圏に変わっていたらしい。シャリーは旅立つ前にしっかりと各国の主要言語を学んできていたから、会話に苦労をしたことはなかった。ここまで来る乗合馬車の中で喋っていた商人たちがディンケル語を使っていたことも関係あるかもしれない。
「ま、まー、それはいいとして。それでですね、あの、ものは相談なんですが」
シャリーは素直に金が無いことを伝え、料金は王都に着いたら錬金術師ギルドで調達するから云々と交渉を開始した。
「いやいや、そりゃ無理だよ、お嬢ちゃん。そもそもお嬢ちゃんのその身なりで錬金術師でございと言われてもさ。錬金術師っていえば、みんな貴族みたいな暮らしをしているそうじゃないか。三級、つまり青ともなれば特権階級だ。どこの世界にこんなズタ袋みたいな青がいるってんだ」
「ず、ズタ袋……。あ、そうだ。私のこの霊薬、プレゼントします!」
「いらないよ、そんな得体の知れない水」
「ず、頭痛止めもありますぅ」
「お嬢ちゃん、悪いこたぁ言わねえから、諦めなよ。そこの酒場で皿洗いでもして金を稼いだらどうだ」
「人手は足りてるって断られちゃいましたぁ……」
シャリーは首を振る。
「ごはん代ももうないんですぅ」
「ハトでも出して食えばいいじゃないか」
「錬金術師は手品師じゃありませんし、私の国ではハトは食べません」
シャリーと御者の睨み合いは続いたが、やがてシャリーは唇を尖らせた。
「うー……わかりました。歩いて行きます」
「ばか言うなよ、お嬢ちゃん」
御者は勢いよく首を振る。
「ここから王都まで、馬車で飛ばしても最短でも一週間はかかるんだぜ。山もいくつか越えなきゃならないし。道中嵐も来ているって情報も出てる。飯も食わずに行けるところじゃない。妖魔だって盗賊だって出るかもしれないぞ」
「いいんですもん。野垂れ死ぬならそれでいいんですもん。おじさんが私の生命の炎を消そうとしているんですよ。いいんですか? あ、いいんですね。いいんです、おじさんだって商売ですから。私なんてどうなったって商売のほうが大事ですもんね。でもそれはさておいて、私、死んだら絶対におじさんを祟ります。絶対にです」
一息でそう言って、シャリーは潤む瞳で御者を見上げたのだった。
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