BD-07-08:神への啖呵

赤の魔神と錬金術師・本文

『……ッ!』

 クレスティアとサブラスの中間地点で光が弾けた。クレスティアもサブラスも一歩退いて、その光の激流が収まるのを待った。光が収束すると、そこに白銀の甲冑を身に着けた黒銀の髪の青年が姿を現した。

 まぎれもなく、速き力の神――ヴラド・エールこと、クルースである。

「あの老人もそうだったんでしょうね」

 アディスがケインに耳打ちする。ケインは肩をすくめて答えとした。

 クルースは手にした両手剣の切っ先をサブラスに向ける。その構えには全く隙がない。その全身からオーラが立ち上る。

「魔神サブラス。遺言はそれだけかと訊いている」
『ククッ、我の望みは叶ったわ!』
 
 サブラスは不敵に言い放った。クルースの右足がジリッと動いた。

「なれば、滅べ」

 一閃。

 サブラスの身体は、その甲冑ごと真っ二つに叩き斬られた。たちまちのうちにその身体は赤く燃え上がり、爆ぜた。

『我は死なぬ。我が不滅であることの証を見せようではないか』

 爆炎に沈むサブラスが、呪いの言葉を解き放つ。

 刹那、クルースの背後でクレスティアが倒れた。

「クレスティア……!」

 クルースは思わずその身体を助け起こそうとしたが、一瞬の躊躇の末に身を引いた。代わりに走り込んできたケインたちが、クレスティアに憑依されているセレナを確保する。

「セレ姉、起きろ!」

 ケインはセレナの頬を叩こうとして、異変に気がついた。

「城が止まってる?」

 あの不気味な振動がなくなっていた。周囲は嘘のように静かだ。

「クレスティア……」

 クルースのかすれた声が響いて消える。

 その時だ。セレナが目を開けた。そして、笑った。

『ククククッ、我は滅びぬ』
「せ、セレ姉……!」

 つぶやくなり、ケインはうつ伏せに倒れた。一瞬遅れて、その背中から盛大に血液が噴き上がった。

「ケイン!?」

 アディスがケインに意識を向けたが、半ばシャリーに引きずられるようにして引き剥がされる。

『さぁ、クルース。我にどう立ち向かう?』
「貴様の居場所は、この世界ではない」

 クルースがセレナに切っ先を向けた。「待ってください!」とシャリーが叫ぶ。

「お願いです。その人の身体を傷付けないで!」
「……この少女の魂はもはや」
「魂は不滅。救う術はあるはずです!」

 シャリーの訴えに、セレナの姿をしたサブラスは身をよじらせて哄笑する。

『悠長なこと。この城はもうすぐ王都とともに消え去る。我は不滅、そして我はこのかせから解き放たれる!』
「……言いたいことは、それだけか」

 クルースが剣を構え直した。そしてシャリーを一瞥する。

「娘、諦めるのだ。人は誰も運命から逃れることはできぬ」

 その言葉は冷淡を通り越しててついていた。しかしシャリーは首を振る。

「私は昔から諦めが悪いんです。という言葉で、いろんな不幸を一括ひとくくりになんてできません。したくありません」
「百万の無辜むこの人々の命が天秤に乗せられているのだ、娘よ」
「だからといって、私たちの大切な人がうしなわれて良いはずが有りません」

 シャリーの口調は激することなく、極めて冷静だった。子どもに辛抱強くさとすかのような、そんな様子だった。

「あなたも神と呼ばれる方なら、そしてかつては人であったというのなら、私たちの気持ちが理解できるはずです、ヴラド・エール!」

 シャリーは毅然きぜんと言い放つ。そしてケインの傷を確認し、「ああ」と呟くや否や、周囲に転がっている瓦礫を手当たり次第にその血の池の中に放り込んだ。

「ケインさん、耐えて!」

 シャリーはケインの血液を利用して、霊薬を生成する。真っ赤な血溜まりが、目に見えて透明化していく。その液体はケインの衣服を伝わって、傷口に吸収されていく。

「うぐぁぁぁ!?」

 気絶しかけていたケインが叫ぶ。ケインのほとんど致命傷と言える傷に吸収された霊薬は、再生と同時に激痛を与えているのだ。たまらず駆け寄ったアディスがその身体を押さえつける。

「うわわっ!」

 信じ難い力で抵抗されながらも、アディスは懸命にケインに声をかけ続ける。シャリーは「おまかせしますよ、アディスさん」と告げ、クルースに視線を移した。シャリーを見つめ返すクルースの水色の瞳は、この上なく冷たかった。

「セレナさんを返してください。セレナさんはあなたの大切な人の化身だったはず。長い隔絶の末、ほんの一瞬でしたけど、あなたはクレスティア様と再会できました。それが誰のおかげだと思っているのですか」

 クルースは答えない。ただその凍てついた瞳でシャリーを見ただけだ。シャリーは大きく一歩踏み出した。

「どうしてもっと早く現れなかったのですか、あなたは! ヴラド・エール! あなたは!」
「それは――」
「おおかた、自分の創造した人間たちの子孫が、運命にどう立ち向かっていくのかを見届けたかったとか、そんなことだと思いますけどね! でも! だったら! 最後まで黙って指をくわえて見ていればよかったのです! 人間たちが大勢死ぬのを黙って見ていればよかった! 今あなたがサブラスを討つためにセレナさんを殺したら、百万人の生命を救うことはできるかもしれない。でも、けれど、私たちはどうなるんです。絶望と無力感をまざまざと見せつけられただけ。そんなことになるじゃないですか!」

 シャリーの舌鋒ぜっぽうを受けても、クルースの冷たい瞳が揺れることはない。

「私は自らの不始末の責任を取りに来ただけだ」
「嘘です」

 シャリーは一言の下に切って捨てた。

「クレスティア様に引き寄せられた、ただそれだけでしょう!?」
「シャリー、それ以上は!」

 アディスが慌てて制止する。しかし、シャリーは勢いよく首を振った。

「あなたは! 人間の味方なんですか! それとも、敵なんですか!」
「私は滅亡した人類を、私の記憶で再現したにすぎない。味方でも敵でもない」
「嘘です」

 シャリーはまたも首を振る。

「あなたは不完全なんだ。あなたは紫龍セレスに滅ぼされたこの世界を再建したけれど、神のようなものになったけれど、すごく不完全なんだ!」

 その糾弾を聞いて、セレナの姿のサブラスは可笑しくてしょうがないというようにニヤニヤとした笑みを見せている。

『愉快なり、痛快なり! これぞまさに愉悦! クルースよ、小娘一人にそこまで言われる気分はどうだ? その小娘の吐き出す言葉は、自己欺瞞と自己憐憫にまみれた貴様にまことに相応しき言葉の群れよ』
「……サブラス、その娘の霊を戻せ」
『無論タダで、というわけではなかろう? その代償は何だと訊いてやろう』

 瞳を緑色に輝かせて、サブラスは言う。

『この王都の民、百万の命と引き換えというのなら、考えてやらぬでもないが?』
「魔神サブラス」

 シャリーは何も答えようとしないクルースの代わりに、歪んだ微笑を浮かべているセレナの顔を見つめた。シャリーの青緑の瞳が鋭利に細められる。

「サブラス。おふざけはもう、よしましょう」

 シャリーは努めてゆっくりと、そう告げた。

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