BD-07-10:運命に抗う

赤の魔神と錬金術師・本文

 あっ……!?

 もしかして!

 シャリーは雨に打たれながら、目をしばたたかせた。

「できる、かも……」
「え?」

 ケインとアディスが同時にシャリーを見た。シャリーは二人を見つめ返し、右手をゆっくり大きく振るった。

「この城は魔石です。その全てが」

 豪雨は続き、陥没だらけの床に水がまり始める。

「もしかしたら、私が死ぬかもしれませんけど。でも、そんなこと、やってみないとわかりませんよね」
「え、おまえ、何言ってんだ?」

 ケインがかすれた声で問う。シャリーは目を細めた。青緑の瞳がキラリと光る。

「エライザ様たちだってをぶっ放していましたし、きっと大目に見てもらえるはずです。もっとも、そうですね、みんなが言わなきゃ良いだけの話ですよね」
「まさか、シャリー!」

 シャリーが何をしようとしているのかに思い至ったアディスが、慌てた声を上げる。

「生命倫理に反します、そんな……!」
「生命倫理。確かにそうかも知れません。摂理に逆らうものといえばそうかも知れません。しかし、そんなもの、悲観主義者の運命論に過ぎません。そもそもセレナさんは倫理や運命の外にある存在ものによってこうなったんです」
「だな。生命倫理だ運命だなんて、クソクラエだ」
「しかし」
「セレ姉が助かるかもしれねぇってんなら、俺は神様だって敵に回すぜ」

 ケインはそう言ってシャリーを見る。

「だけど、シャリーが危険だっつーのは……。俺がどうにかできねぇか?」
「だめですよぉ」

 シャリーは微笑んだ。

「それに私、そういう方法を知りませんし。ま、できたらできたで、それこそ生命倫理に反しますよ」
「そっか……」

 ケインは唇を噛む。シャリーはそんなケインの右肩を軽く叩いた。

「さ、アディスさん、手伝って。そこの水たまりにセレナさんを」
「わかりました」

 アディスは意を決したように応答すると、ケインとともにセレナの身体を水たまりの中にそっと横たえた。

「よっし」

 シャリーは両手を打ち合わせる。そしてケインに視線を送った。

「そもそも、だけじゃだめでしょ、ケインさん」
「でもよ、シャリーを巻き込んじまうのは」
「いまさらですよ」

 シャリーはそう言うと、セレナのいる水たまりに手を突っ込んだ。そして意識を集中しようと目を閉じる。

「もし失敗しても、それは恨まないでくださいね。だって私、三級ですから」
「ああ。でも、信じてるぜ、シャリー」

 ケインはアディスとともにシャリーの集中を邪魔しないようにと距離を取った。

「わかりました」

 シャリーは魔石たちの魔力を引き寄せ始める。

「いきます」

 集中のレベルを一段引き上げる。魔力が水たまりに集まり始めているのが知覚できる。城の持つ甚大な魔力が絶え間なく押し寄せてくるのは、さながら津波のようだった。シャリーの意識は魔力によって四方八方から殴打され、早くも朦朧となってくる。目を閉じていても、魔力の輝きがまぶたを突き破って網膜に刺さる。

 魔力の量は凄まじいけど、やることはいつもと一緒――シャリーはなおも集中を続ける。世界が回っているのではないかというような浮揚感があり、同時に耳鳴りまでしてくる。雷雨がそれに拍車をかける。

 陸に上がった城が、何本もの雷に打たれた。堅牢だったはずの暗黒の城は見る間に劣化し、崩れ始めた。

 まず城壁が砂礫と化した。それに引きずられるようにして中庭が崩落する。尖塔は潰れて消えた。壁という壁、柱という柱に亀裂が入り、パラパラと破片の雨を降らせた。

 石の雨に打たれながら、シャリーは念ずる。

 サブラス、私に力を貸しなさい――!

 それは祈りと言うよりは命令だった。

 ひときわ巨大な雷がシャリーたちの頭上、広間の天井に落ちた。轟音とともに拳大ほどの黒焦げの石がいくつも降ってくる。

「アディス、俺たちはいい、シャリーを」
「やってますよ。ないよりはマシ程度のものですが」

 アディスの防御魔法がシャリーを包んでいる。それは確かに石礫いしつぶての落下機動をそらしていた。

 広間の天井はほとんど意味をなさなくなり、大粒の雨が滝のように降り注ぎ始めた。

 サブラス! 生命の魔神であるというのなら、その力を私に貸しなさい!

 雨に洗われながら、シャリーは水たまりに両手をひたし続ける。痺れるほどに冷たい雨水に体力と気力を奪われながらも、シャリーは懸命に集中を維持する。扱ったことのない分量の魔力が今、シャリーの目の前にある。セレナの生命活動を再開させるために集められた魔力だ。

 だが、魔力には指向性がない。それぞれにバラバラの方向に好き勝手に動いてしまう。エライザやアリアほどの力があれば抑え込めるかもしれない。しかし、シャリーは魔導師ではない。これほどの魔力を扱えるのは、おそらくは大魔導の中のさらに一握りだけだろう。一言で言えば致死量の魔力を扱おうとしているのだ、シャリーは。

 一時間はそうしていただろう。シャリーの手に感覚はもはやなく、全身も限界まで冷え切っていた。アディスの防御魔法も冷たい雨水や吹き込む暴風までは緩和できない。ケインもアディスも雨に打たれるに任せて、ただじっとシャリーを見つめていた。

「……ッ!」

 ケインが不意に駆け出した。アディスは何事かと目を丸くする。

 ケインがシャリーの元へ辿り着いたのと同時に、シャリーがバタリと倒れた。ケインがいなければ怪我をしていたかもしれなかった。

 まるで嘘のように雨がんだ。

 雲の切れ間から光さえ差し込んでくる。

 城が見る間に砂と化す。崩壊が加速する。

「シャリー!」

 ケインは目を覚まさないシャリーを抱きながら、その名を叫んだ。

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