セレナの憤慨を受けて、シャリーが顔を上げる。
「ヴラド・エール神はその時からずーっと彷徨っているんですよね。この世界を。エレン神を求めて、ずっと」
「そうだ」
頷くセレナ。そこではたと首を振る。
「おっと、話がそれてしまったが。ま、無学なケインにはちょうどいい授業になったか」
「はいはい、無学でサーセンね」
「自覚があるならよろしい。救いはあるぞ」
その時。ドアが開いてアディスが入ってきた。両手にバケツを下げ、汗だくだった。
「次はケインですからね、水汲み」
「へーい」
アディスはさっそく組んできたばかりの水を人数分のコップに移した。
「待ちかねたぞ、アディス」
セレナはまるで王族のように横柄にコップを手に取り、中身の水を胃の中に流し込む。すでに日が傾きかけている頃合いとはいえ、なにせ真夏である。喉も渇く。
「それで、魔石でなければならない理由だが」
「あのぅ、私、魔力が極端に少ないんですよぅ」
シャリーが幾分小さな声で答えた。
「三級までならなんとか切り抜けられたんですけど、二級になるには再生の霊薬が必要で。でも、これを安定して作ろうと思ったら、龍石では全然ダメで」
「だから魔石しかないと思ったと」
「はいぃ」
詰問口調のセレナにもめげず、シャリーは頷く。
「だがガリ子、お前正気か? 魔石あるところには必ず争いがあるんだぞ。北方三十年戦争なんてその最たる例だ」
「でも魔神サブラスはそこまで有名じゃないですしぃ」
「それでも、だ」
セレナは厳しい口調で言った。
「魔石はどんなものであっても、甚大な魔力を秘めている。エネルギーそのものと言い換えてもいい。使用用途はおよその想像の範囲ならすべてをカバーできる。そんなものに国家規模のものが全く介入しない、なんてことがあり得るものか」
そもそもディンケルで魔神の痕跡が検知されたという話がどこから漏れたのか――セレナはそのことへの関心に注意を向けられていた。
「つまり、ガリ子。お前の出る幕はないということだ」
「でもぉ、二級になりたいんですぅ」
「なぜだ? 三級でも十分過ぎるほどの暮らしができるだろう?」
「暮らしのためのものなんかじゃないんです、私にとって。三級とか二級とか」
シャリーの青緑の瞳が強い輝きを放っている。セレナも思わず身を引き締める。
「私は治癒師ではないけれど、少しでも多くの人を救いたいんです」
「救う?」
「はい」
力強く頷くシャリーに、セレナは少しだけ興味を持った。
「私は錬金術の、霊薬の研究をしたいんです。全く新しい霊薬のありようを作りたい。霊薬はお金持ちしか使えない、そんなものじゃなくて、もっと多くの人が気軽に使えるようなものにしたい。怪我だけじゃなく、身体の病気、心の病気、そんなものにも効く霊薬を作りたい。そういう自由な研究をするためにも、そのために必要な莫大な資金を得るためにも、私は二級にならなければならないんです」
シャリーの言葉を聞いて、セレナたちは「なるほどね」とほとんど同時に反応した。
「志は素晴らしいと思う。だが、やはり魔石の――」
「セレナ」
アディスがセレナの言葉に割り込んだ。その表情は少し険しい。
「魔神が発見されたということであれば、メレニ太陽王国も動くのでは。ディンケル側にそれを回収させておいて、美味しいところだけ持っていこうとすると思うのですが」
「そうなるだろうな、悔しいが」
「そうであるなら、早急に魔石を回収し、幾らかをシャリーに持たせておいたほうが良い気がするんですが。メレニには根こそぎ奪われることになるでしょうし」
もっともな意見だ。セレナは表情を変えずに心の中だけで呟いた。アディスが前のめりになって口を開く。
「となれば――」
「いや」
セレナは首を振る。
「あの魔神はやめておけ。サブラスには絶対に手を出すな」
「どうしてですかぁ?」
「どうしてもだ」
食い下がるシャリーを、セレナは冷たく拒絶する。
「私の立場では言えないこともたくさんある。そういうことだ。諦めろ」
「でも」
「他の手段もあるだろう。錬金術師ギルドでも幾らかは魔石を保有しているはずだ」
「はい、あります」
うつむきながら、シャリーは肯定する。
「でも、それじゃダメなんです。私が自由に使えるものじゃないと」
「しかし、そんなものを個人で持っていたら、ギラ騎士団が黙ってはいないぞ」
セレナの言葉に、ケインが首をかしげた。
「ギラ騎士団って、あの?」
「そうです」
アディスが答える。
「大魔導を多数抱えている魔導師の集団ですね。規模も目的も不明ですが、とにかく世界の敵みたいな連中ですよ。あんなのに目をつけられたら、個人なんてひとたまりもない」
なんせ大魔導ですからねぇ、と、アディスは念を押した。
「やめておきましょうよ、シャリー。魔石は手に入れるのも至難ですが、入れたあとは全人類が敵に回るようなものですからね」
しかしシャリーは頑として「わかった」とは言わない。セレナは立ち上がって腰に手を当てる。
「どうやら今日の間に決着はつかなさそうだな。ガリ子、ついてこい」
「え?」
「まさか野郎二人と同じ屋根の下で寝るわけには行かんだろう」
「でも馬車ではずっと」
「それはそれ、これはこれだ」
呆れ顔でセレナは言った。
「それにその様子では今日の宿代はどうにもならんだろう。聖神殿に泊めてやる」
「あ、はい。そ、それじゃ、お言葉に甘えて」
シャリーは頭を掻いた。
「それにその身体。いくらなんでも女の子が汚すぎる。風呂にも入れてやる」
「わぁ、ありがとうございますぅ」
二人は水を飲み干すと、そのままの流れで出ていってしまった。
見送ったアディスが戻ってくると、室内には仏頂面のケインがいた。
「どうしました?」
「いやぁ、魔石に魔神とか? せっかく何か楽しくなりそうになってきたのに」
「ケイン」
アディスはケインの向かいに座ると水を飲んだ。
「あのね、迂闊に手を出していいもんじゃないんですよ。魔神たちは、死んでいるわけじゃありません。ただ封印されているだけにすぎないんですから。いつ蘇るかわかったものじゃないんですよ」
「わかってるけどよぉ」
「しかも龍の英雄たちをしても殲滅するには至らなかった存在。封印されていてもなお、私たちに作用し続ける力くらいはあるんです」
アディスは力説するが、ケインはそれを聞き流しつつ「うーん」と思案している。
「もしかするとさ、国やギラ騎士団とかいう奴らとか、俺らとかシャリーとか。みーんな魔神のなんだっけ、サブラスだっけ? そいつに呼びつけられてるだけなのかもしれねぇなぁ?」
「可能性は十分にありますよ、ケイン」
「だろぉ?」
ケインは腕を組んで目を閉じる。
「だとしたらさ、それもこれも全部ひっくるめて運命ってやつなんじゃね? 俺たちがシャリーに出会ったのも、サブラスとかいう魔神の話を聞いたのも。だったらさ、いやだのやめろだの言う前に、その運命的な奴の顔くらい見たって、バチはあたらねーんじゃねぇかな?」
「その考えすら魔神の掌の上の話かもしれませんよ」
「だとしたら、その掌からはどのみち逃げられねーじゃん」
ケインの言葉にアディスはしばし考え込む。
「い、いや。ダメです。であるならなおのこと、抗うことを考えなければ」
「たいがいに頑固だよなぁ、あんたさぁ」
「この国で生きるには、少しくらい臆病でいるくらいでちょうどいいんですよ」
アディスは新たにコップに水を汲んで、飲んだ。
ケインは鼻息を吐き、天井を仰いだ。
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