暗黒の城までまっすぐに、数百メートルに渡って道が生じていた。一見すると石橋だが、何十年も海中にあったとは思えぬほどに艷やかで、海藻の類も全く見当たらなかった。それどころか波にも雨にも濡れてさえいない。
「具合が悪くなるくらいの魔力ですね……」
息を切らせながらアディスが言った。セレナは無言で肯き、一同を振り返る。
「覚悟は良いか?」
門扉を背にセレナが尋ねる。セレナには見えている。黒い影が着実に、セレナたちをこの中に追い込むために迫ってきていることを。もうあまり時間はない。
「今さら戻れないっしょ、セレ姉」
どこか楽しげにケインが言う。あれだけ走ったのに全く息切れしていないのはさすがだった。シャリーはケインを一瞬見遣ってから、「行きましょう」と力を込めて言った。三人の様子を見て、アディスは下唇を突き出してしばし思案し、「仕方ない」と首を振った。
「決まりだな」
セレナがそう言って、門に向き直ったその瞬間に、巨大な門が音もなく開いた。黒い影に追い立てられるようにして四人が中に入ると、門はガッチリと閉まってしまった。
「あらま、やっぱそうなる?」
ケインが言うと、セレナがその脇を肘でつついた。
「ビビってるだろ、ケイン」
「セレ姉こそオムツは大丈夫かよ」
「誰がオムツだ!」
セレナは憤慨すると先頭に立って歩き始める。その恐れを知らぬ立ち居振る舞いは、シャリーには少し眩しく見えた。
「ところであの、セレナさん。メレニへの旅はどうしたんです?」
草の一本も生えていない、石造りの中庭を歩きつつシャリーが尋ねる。どういうわけか、雨は上空で弾かれているようで、シャリーたちは全く濡れなかった。
「途中で川が氾濫してて、迂回路を探していたら王都の上空だけがおかしな雲に覆われていてね。すわ一大事と一人戻ってきたってわけ。シャリーを探して錬金術師ギルドに向かったら、あんなことになっててさ」
「俺たちもシャリーを探しにギルドに行ったんだよ。そしたら海岸にいるだろって言われてさ」
「なーんか、私を中心に回っているみたいでイヤですねぇ」
シャリーのとぼけた声に、セレナは小さく笑った。
「シャリー、あんた、意外に豪胆だね」
「そうですかぁ?」
正直に言えば怖くて仕方がない。だが、それ以上にサブラスの魔石が気になっていた。オーザはサブラスのことを「生命の魔神」といった。それの真偽はともかくとして、そんな二つ名で呼ばれる魔神が、一体全体どんな存在なのかということに、シャリーは俄然興味を抱き始めていた。
「ところでギラ騎士団の気配はねぇのか?」
いよいよ城の内部へ突入する時になって、ケインが足を止める。今はこの四人以外の気配はない。アディスもセレナもしばらく目を閉じたり空を見上げたりして様子を探っていたようだが、やがて首を振った。
「わからないな、アディス」
「ええ、魔力が濃すぎて、探知系の魔法が役に立ちません」
「そっか。ならしゃーねーな」
ケインは城の内部へと通じる扉に慎重に手を触れた。大人が五人、横並びで通れるくらいの扉が、スゥっとスライドして開いた。高度な魔法によるものなのか、優れた科学技術によるものなのか、ここにいる四人には判断することができなかった。
「さて、行きますかね」
今度はケインが先頭にたった。セレナはやや不服そうな顔をしたが、不満は口にしなかった。城内は明るかった。松明や燭台のようなものがないにも関わらず、天井や壁の一部が光っているおかげで、闇という闇が払拭されていた。外観のおどろおどろしさとは全く反対で、明るく清潔な印象さえ覚えたほどだった。
実際の所、埃の一つもなければ虫の一匹も見当たらない。その常識離れの無機質加減に、一行は眩暈すら覚え始めていた。
廊下は信じ難いほどに長い直線で、行く先がどうなっているのか全く見えないほどだった。ひたすらにまっすぐに、真っ白な廊下が伸びている。
「セレナ」
最後尾のアディスがシャリーの頭越しにセレナを呼んだ。セレナは右手をあげて「ビリビリくるな」と応じる。
「今さら過ぎるとは思うが、わたしたちはとんでもないところに踏み入ってしまったようだぞ」
「まったくですよ」
アディスは緊張を隠そうともしない。魔力のないケイン、魔力がほとんどないシャリーには、その会話の意味はよくわからない。だが、この空間が普通ではないということくらいは、直感的に理解できていた。
「この道自体が魔力で構成されているんですよ、ケイン、シャリー。外観とは全く別物ですね」
「マジか! 魔法ってそこまでできるのか、すげぇな!」
「驚くところはそこなんですか」
呆れたようにアディスが言った。ケインは一度足を止め、三人を振り返る。
「この廊下の先で、魔神様が待ってるってわけ?」
「そうだな。ここからはわたしが先を行く。魔法で攻撃を受けないとも限らない」
「気をつけてくださいよ、セレナ」
長い廊下は延々と続いたが、四人がうんざりし始めた頃になってようやく、広間のような場所に出た。
セレナとアディスは濃すぎる魔力に顔を顰め、ケインとシャリーは口を開けて眼前に現れたそれを見上げていた。
「なんだよ、これ……」
ケインらしからぬ声だった。さすがにわずかに震えている。セレナは奥歯を噛み締め、アディスは険しい表情でそれを睨みつけた。
「これが、魔神……サブラス」
シャリーが拳を握りしめて呟いた。
それは黒曜石でできた五メートルばかりの高さのある彫像だった。杖を手にした中性的な容姿に、その身体をすっぽり包み込めてしまうほどに大きな四枚の翼があった。
四人はしばし声もなくその彫像を見ていたが、やがてセレナが刀を抜いた。
「わたしはこいつを……知っている」
『我も貴様を知っているぞ』
空間に響き渡る中性的な声。謎の言語ではあったのだが、なぜか四人にはその意味が完璧に理解できた。
『八百年ぶりぞ、クレスティア』
「わ、わたしがクレスティア様だと?」
セレナが素っ頓狂な声をあげた。ケインは意味が分からず、傍らのアディスに「クレスティアってなんだっけ?」とこっそりと尋ねた。
「エレン神が人間であった頃の名前です」
「へぇ……って、なんでセレ姉が!?」
人違いも甚だしいぜと、ケインも剣を抜く。
「あのぅ」
シャリーがその黒曜石の天使を見上げながら、おずおずと口を開く。
「魔石さえいただければすぐ帰りたいところなんですけど」
『魔石をくれてやるのは吝かではない。クレスティアをここまで連れてきてくれたのだからな』
「だからそりゃ人違いだぞ」
『我があの女を見間違えるものか。不遜だぞ、人間風情が』
尊大な声が降ってきて、ケインは渋面になる。
『して、錬金術師の女よ。その女を置いて去るのならば、好きなだけ魔石を持って行って良いぞ』
黒曜石の魔神像がひび割れ始めた。
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