シャリーの言葉に、エライザが「何だと!?」と天井に開いた穴を睨んだ。シャリーは揺れの方向を確かめて「間違いない」と頷く。
「王都の方へと動いています。このままだと……」
「サブラスめ! まさかそんな手段に訴えるとは」
忌々しげにエライザは吐き捨てる。シャリーが早口で警鐘を鳴らす。
「時間がありません。王都まで一時間とかからないかもしれません」
「そうですね、間違いありません」
アリアがシャリーの情報を肯定する。エライザは唇を噛む。
「まさか、王都のど真ん中で爆発でもさせるつもりじゃないだろうな」
「その可能性は十分にあります、エライザ様」
シャリーが周囲を見回しながら言った。その顔には警戒はあったが、恐れはない。
「一刻も早くサブラスを止めないと!」
『我は――』
どこからともなく声が響いた。
『かつて我は、人間の求めに応じてこの世界へとやってきた』
「人間があなたを呼んだ……!?」
シャリーが声を張る。
『いかにも。滅びと再生、それこそが人の望み。あるべき形になるまで、永劫に繰り返される生と死。その連環の保証こそが人の望み』
「ごく一部のカルト連中の希望を人間全体の希望に差し替えてんじゃねーよ!」
ケインが怒鳴る。
「姿を見せやがれ、このクソ魔神!」
『この世界に、神は我一人で十分――!』
空間が激震した。その瞬間、セレナが小さな悲鳴を上げてうずくまった。
「セレ姉!」
「何だ、この感覚……。わたしは……!?」
セレナの両瞳の輝きが増した。膨大な量の魔力が、セレナの全身から噴出していた。
『我を拘束する不遜なる者どもに滅びを!』
セレナの身体が不可視の力で吹き飛ばされた。
「きゃあああああっ!」
壁に叩きつけられ、セレナはぐったりとしてしまう。ケインが慌てて駆け寄って助け起こす。シャリーは降り注いでくる雨を使って霊薬を作り、セレナに飲ませる。
「うううっ……!」
激痛に苛まれながらも、セレナは何とか意識を取り戻す。
『さぁ、時間がないぞ!』
広間の中央に赤黒い影が発生する。身の丈二メートルばかりの人型で、血色の甲冑で全身を包んだ天使――この場の誰もがそうとしか形容することができなかった。
「赤の魔神ね、なるほど」
エライザがその長大な剣を構えながら呟いた。その表情は一言、不遜である。魔神は言う。
『クレスティア。我は貴様とクルースを葬らねばならぬ』
「わたしはセレナだ。人違いだ」
セレナは首を振った。だが、魔神は聞く耳を持たない。
『貴様はまぎれもなくクレスティアの化身。八百年前の不覚はとらぬぞ』
魔神は右手に輝く剣を出現させた。
「シャリー。俺にアレをしてくれ」
「本気ですか、ケイン。魔神、完全復活ですよ」
「やるときゃやらなきゃならねーんだろ」
ケインが言ったその瞬間、アディスとアリアが魔法障壁を展開した。それが一瞬でも遅かったら、全員が黒焦げになっていたことだろう。穴のあいた天井から、強烈な雷撃が襲ってきたからだ。
「シャリー」
セレナがシャリーの肩を叩いた。
「わたしが片を付ける」
「ちょっと待てよ、セレ姉。相手は――」
「わたしの中で……誰かが囁いている」
セレナは宙に浮く魔神サブラスを見上げながら言った。
セレナの中に誰かがいた。その誰かが、その身を委ねろと。自分に任せろと、そう語りかけてきているのだ。
「クレスティア様か……!」
エライザが口にした瞬間、セレナの魔力が爆発した。それは魔力を持たないケインにすら影響を与えるほど、密度の濃い圧倒的な津波だった。アディスやアリア、エライザに至っては、本当に暴風にさらされでもしているかのように、転倒しないのがやっとというありさまだった。
『ようやくのお出ましか、クレスティア!』
「わたしの信徒たちに対する狼藉の数々――今度こそあなたを滅ぼしてあげましょう」
セレナの姿をした女神は、再びシャリーを見た。
「わたしに力を貸してください、シャリー」
「え、ええ。はい」
シャリーは城を構成している魔石の力を精一杯引き出した。セレナの全身が白銀色の甲冑に包まれる。その周囲を金色の魔力の風が取り巻き、手にした刀は青く輝いていた。
『再会できて嬉しいぞ、クレスティア!』
「わたしはそれほどでも」
その応酬を皮切りに、女神と魔神がぶつかりあった。広間の空気がビリビリと震え、鼓膜が破れそうなほどに気圧が変化する。耳鳴りと頭痛、眩暈がシャリーたちを襲う。
「あーぁ、出番なくなっちまった」
轟音行き交う広間の片隅で、ケインが呟く。アディスは「よかったじゃないですか」と心底安心したように返す。
「そもそもの最初から、僕たちが介入できるような戦いなんかじゃありません。それより僕らはこの城を止めることを考えないと」
「その通りだな」
エライザが頷いた。その左腕はもう自由に動くようになっているようだった。
『無駄だ。この城は止まらない。たとえ我が滅んだとしてもな』
「タチ悪ぃな、おい」
ケインは唇を噛みながら吐き捨てた。広間から出ることすらままならない状況の中、何ができるとも思えない。まともに立っていることすらできないのだ。
「おとなしく封印されなさい、魔神サブラス」
『次は貴様の番だ、クレスティア!』
互いの主張は決して交わらない。
女神と魔神はほとんど互角だった。時として天を舞い、時として広間でぶつかる。鮮やかな軌道を描く刃が魔神をかすめ、魔神からの反撃が女神を打つ。だが、有効打は全く出る様子がない。
「クレスティア様……」
あのエライザですら介入を躊躇する。
『クレスティア! 貴様をいたぶれば、あの男も出てこよう! さぁ、悲鳴を上げろ、叫べ、泣き喚け!』
「誰が……!」
クレスティアの刀が連続的にサブラスに命中する。しかしその血色の甲冑は貫けない。
その戦いを見ながら、シャリーはエライザに声をかける。
「エライザ様、アリア様。ここから脱出することはできませんか」
「何を言っている、シャリー」
「今、役立たずなのは、みんな一緒です。ですが、エライザ様たちにはできることがあります」
「しかし、お前たちはどうするつもりだ」
「仲間を捨てて逃げることはできません」
シャリーは毅然として言う。
「お二人には王都を守る義務が、人々を守る責任があるではありませんか。国家国民を守るのが、お二人にとっての第一義なのではありませんか」
「それはそうだが、しかし」
エライザは迷う。この頼りないメンツに全てを託してしまって良いものかと。しかしシャリーは強気だった。
「あなたはエレン神の聖騎士。なればクレスティア様を信じるべきです。あなたはいったい、何を信じて生きているのですか!」
「それは……だが……」
年端も行かぬ娘に凄まれて、エライザは明らかにたじろいでいた。
「エライザ、あなたの負けよ」
アリアが魔力の暴風に顔を歪めながらそう言った。エライザは数秒沈黙した末に頷いた。
『逃がしはせぬ!』
「あなたの相手はわたしですよ」
ターゲットを切り替えようとしたサブラスに、クレスティアが連続的に刀を振るう。
『あいもかわらず小癪な!』
「人間、八百年やそのくらいでは、そんなに成長はしないものなのよ」
クレスティアは左手に魔力を込めて、サブラスの側頭部を強かに殴りつけた。思わぬ一撃にサブラスが怯む。そこにクレスティアの雷撃のような打ち込みが行われる。
『くっ……!?』
青く燃え盛る刃に首筋をかすめられ、サブラスはたまらず後退する。しかしクレスティアは追撃をやめない。猛烈な速度で振るわれる刀がサブラスを押していく。
「エレン神ってあんなに強かったのか」
「そりゃ、龍の英雄ですからね」
アディスがケインに応じる。
「紫龍をたったの六人で倒した、龍の英雄。クルースを始めとする全員が全員、人間離れした能力を持っていたとしても何もおかしいことはない。
「俺、明日から真面目に信仰するわ……」
「僕らに明日があればいいですけど」
アディスは壁により掛かるようにして、女神と魔神の一騎打ちを眺めている。それしかできることがなかった。
「アリア、結界を破る」
「手段は問わない、ね」
エライザとアリアは頷き合い、穴のあいた天井に向けて強烈な魔法を打ち放つ。怒涛のような魔力の奔流は、ケインにですら確認できた。
降魔紫氷陣……。
アディスは耳ざとくその詠唱を確認し、唾を飲んだ。
ずば抜けた魔力を持つエライザとアリアが同時に放ったそれは、やる気になれば街の一つを消し飛ばす威力になるだろう。その代わり「陣魔法」は発動のたびに紫龍の封印を弱めてしまう。結界と魔法が激突し、アディスは目を開けていられなくなる。空間に漂う魔力が全てそこに凝集させられていた。
やがて結界のほうが綻んだ。暗黒の雲すら貫き、晴れ間が覗く。無茶苦茶に振るわれる無知のように、降魔紫氷陣によって生み出された魔力は荒れ狂った。
「あとは頼んだ、シャリー」
エライザは魔力を収めながら疲労の滲む声で言った。
「お任せください」
シャリーはにこやかに頷いた。エライザは一瞬微笑を見せ、アリアと頷き合って姿を消した。
「さてさて」
シャリーはケインとアディスを見ながら、両手を打ち合わせた。
「どうしましょうかねぇ?」
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