めちゃくちゃ。
めちゃくちゃ、おなかが、すきました……。
シャリーはそんな夢を見ていた。空腹も限界極まれリで、眩暈はするし、吐き気すら込み上げてくる。
あ、これはもうダメかも。おくすり作らないと……。
妙に冷静な頭でそんなことを考え、ポーチの小瓶を取り出し、轍に溜まった泥水を掬う。少々抵抗はあったが、今はそんなことを言っていられるほどの余裕はない。仕方ない。
シャリーは手持ちの石をその小瓶に入れて、霊薬を作ろうと試みる。
だが――。
「あれれ……?」
失敗? この私がこの程度のおくすり作成に失敗する?
いやいや、ちょっと待てよ。なにかおかしいぞ。
シャリーは首を傾げ、自分の指先を噛んでみた。
「痛くないですねぇ」
歯型が出来ている指を見て、シャリーはぼんやりと呟いた。
ということは――。
「……!」
シャリーはガバっと身を起こす。記憶が一気に鮮明になった。サブラスたちとの戦いの後、セレナを蘇らせようと城から膨大な魔力を引き出し――気を失ったのだ。
「生命倫理的には、か」
とはいえ、一級の錬金術師の条件というのが蘇生の霊薬の作成ができることである。無理難題のための条件だというのは理解できるが、そもそもそんな条件を作ること自体が生命倫理に反しているじゃないかとシャリーは思う。
「後遺症はないかな」
シャリーは自分の身体を見回し、頭を振り、手を握ったり開いたりして、頷く。あれだけの魔力に晒されたのだから、何らかの悪影響が残っていても不思議なかったが、見る限りその手の現象は起きていないようだった。シャリーはそもそも錬金術師としては魔力が極端に少なく、魔力との親和性が低い。それが幸いしたのかもしれなかった。
この部屋はおそらくエレン聖神殿の一室だ。窓には見たこともないほど薄いガラスがはめ込まれていた。窓を開けずとも外の景色がよく見える。夜の帳の落ちた空には無数の星々が輝いていた。はるか遠い山の稜線に半ば隠れている月も、負けじと青白く存在を主張していた。
窓を開けて顔を出せば、海の様子も見ることができた。黒く染まった海岸にはいくつもの明かりが見えた。城の残滓である砂の山を見に、多くの野次馬たちが集まっているのだろう。
「呑気なものですねぇ」
シャリーはそう言って窓を閉める。風が強くなってきたからだ。
で、私のあの試みの結果は――。
シャリーはベッドサイドのテーブルの上に、果物が山程積まれていることに気が付いた。
「わぁ!」
シャリーの母国、アイレス魔導皇国では高級品過ぎて手が届かなかったようなフルーツが、食べきれないほど置かれている。シャリーは瑞々しいマスカットを一つ取って口に放り込む。飢えと乾きにやられていた身体に染み渡る美味さだった。隣にある赤い果物は李だろうか。手に取るなり皮ごとかぶりつく。
「おいし~!」
無遠慮に果物を胃の中に収めていると、突然大きな音を立てて入り口の扉が開いた。シャリーは慌てる素振りもなく、少し熟したバナナを食べ続けた。
「大丈夫か、シャリー!」
荒い呼吸をしながら入り口の所に立っていたのはセレナだった。
「びっくりひまひた」
「びっくりしてるヤツの顔じゃないぞ、シャリー。とりあえずバナナをもぐもぐするのを止めてくれ」
「ふぁい」
シャリーはごくんとバナナを飲み下し、少し名残惜しそうにフルーツの山を見た。
「後で飽きるほど食べれば良い。ともかく、私の予感は当たった!」
「予感?」
「あんたが覚醒したに違いないという予感だ。だからこうしてすっ飛んできた」
「予感だけで全力疾走できるんですね」
「私は健脚だからな!」
シャリーは少し拍子抜けしていた。セレナが無事に蘇っていたなら、きっと何らかの感動の再会になるんじゃないかと期待していたからだ。だが、現実は、シャリーはバナナを食べていて、セレナとは話が噛み合っていない。
セレナはスカートをたくし上げて自らの脚線美を披露し、「ほら、足もちゃんとあるぞ」と的はずれなアピールをしていた。
「そういえば今日は男装じゃないんですね」
「男装はやめることにした」
「なんでですか? 似合ってたのに」
「私は何を着ても似合うからな。それに男装していると、女性信者や同僚に要らぬ期待をもたせてしまうことに気が付いたのだ。何しろ私は美人で勇敢で非の打ち所がない性格だろう?」
最後には少し異論がある――とは思ったが、シャリーは愛想笑いと微妙な頷きでそれに応じた。
「ところでセレナさん。身体とか意識におかしなところはありませんか? 蘇生の霊薬なんて、無条件に働くとは思いにくいんですけど」
「ん? そうだな。強いて言えば、やたらと腹が減るようになったな」
セレナはそう言うと、シャリーのフルーツの山から林檎を一つ手に取った。そして袖口で軽く拭くとそのまま齧り付いた。
「セレナさん、もとから食いしん坊なんじゃ?」
「し、失礼な、そんなことはない」
本当かなぁとシャリーは思ったのだが、突っ込むことはしなかった。
二人はベッドに腰をおろして、しばらく無言でフルーツを食べた。
「って、私は何をしているのだ。これではおしかけて果物を食らっているだけじゃないか」
「そうですね」
「あんたがちゃんと無事かどうか確認しなければならなかった」
「無事です」
「ならよし。任務完了」
セレナはベッドから立ち上がると、シャリーの右肩に手を置いた。
「礼を言っていなかった。ありがとう、シャリー。何か欲しいものはないか? 地位でも名誉でも、ディンケル内で通じるものならいくらでも。国内なら一生食うに困らない生活も保証する」
「あー、そーですねぇ」
シャリーは腕を汲んで考える。
「エライザ様とてイヤとは言えまいよ、今回ばかりはさすがに。私もめちゃくちゃたくさん女物の服を買ってもらった」
「ふ、服ですか。あんなことがあったのに?」
「私は過去に粘着しない主義でね。今こうして五体満足だし、別になにかにおびやかされているわけでもない。それならそれでいい」
「はぁ……」
「それで、シャリーは? 何を求める?」
「干し肉」
シャリーは即答した。セレナは目を丸くする。
「干し肉?」
「それもケインさんのところにあるやつ。あれがいいです」
「あんな不器用で粗末な安物肉の干し肉が?」
「あれがいいんです。ここに来るきっかけになった食べものみたいなものですし」
「ふ、ふぅん。よし、わかった。あんなので良いのなら馬車一台分山盛りで調達してこよう」
セレナはうんうんと何事かに納得したように頷くと、来た時と同様にけたたましく出ていった。
「そそっかしいというか、思い切りが良いというか……」
シャリーは苦笑しながら、また窓辺へと歩いた。
「きれいな空ですねぇ」
きっと八百年前の人々も、似たような景色を見ていたに違いない。大災害の前も、後も、同じ空を見ていたに違いないのだ。どころか人の営みが完全に消え去ったとしても、きっと同じ空は続く。
でも、そんなことはどうだっていいんだ。
私はこの数日間の出来事について、一生後悔なんてしないだろう。
だから、これでいいんだ。
私は運命に抗った。あの瞬間、私は神様も魔神すらも凌駕した。誰に恥じることもなく、堂々と胸をはることのできることを成し遂げたのだ。
そして多分、これ以上の結末はなかった――私はそう確信しているんだ。
-完-
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