宇宙の話をちょっとだけしたいと思う(下)

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 僕があの恒星系を旅立ってから、もう何億年経っただろう。僕が乗ってきた深宇宙探査機はとっくに壊れてしまっていて、僕はただの意識となってこの空間——何もないけど燦然とした空間——を漂っていた。

 いや、漂っていたというとちょっと語弊があるかもしれない。だって僕はもしかすると光速くらいのスピードで宇宙を横切っているんだから。宇宙に旅立って五十年くらいしてようやく、僕は宇宙のあまりの広さを知った。手に触れられるものが何にもないんだから。ただ暗く、ただ明るい。明と暗が何年何十年何百年という単位でアトランダムに迫って来ては、何も言わずに去っていく。

 ある時横切った中性子星のヤツのパルサーには参ったね。あまりに眩しすぎて、僕の頭はおかしくなりそうだったんだ。でも、それでも、そんな嫌味なあいつでさえ、孤独の前に狂ってしまいそうだった僕にはとても助けになった。それになにより、中性子星という奴はね、宇宙の道標みちしるべなんだ。だから僕は、パルサーからパルサーへと渡り歩いているんだ。だって、そのくらいしか指標がないから。こんな広い宇宙で迷子だなんてゾッとしないよね。

 いや、もう母星を出発して何億年と経っているわけだから、僕は存在そのものが迷子みたいなものだっていえばそうなんだけれど。宇宙を巡る意識たちとは度々邂逅しているけど、そのほとんどとは言葉が通じない。何を言っているのかさっぱりわからない。ただのBGMというか、いや、うん、ノイズだね。かく言う僕もまた、ただのノイズの一つに過ぎないんだろうけど。それも僕を観測してくれる誰かのおかげで、僕はまだノイズでいられるのかもしれないね。その誰かもいなくなっちゃうと僕はいったいどうなっちゃうんだろうなんて哲学的問いかけをして何百万年かかけて遊んでみたりもするんだけど、結局消えてないってことは、やっぱり僕は未来永劫消えないんじゃないかななんて思ったりもしていたりする。

 何億年というと、まるで僕は自分が神様か何かかと思ってしまうんだけど、実は僕自身はそんなに長生きしてるって自覚はなくて。だって、宇宙はあまりに広すぎるから。僕らの母星で観測していた宇宙は百三十八億光年くらいの範囲。僕はその観測宇宙をほんのコンマ何パーセントか広げただけだ。だけど、その僕の情報を受け取ってくれる人はいないし、もし受け取るにしても今からさらに何億年か後だ。あの恒星系が生き残っているかさえ分かりはしない。僕はあまりにたくさんの星の誕生と消滅に立ち会ってきたからね。

 なんで僕がこんなアテのない旅に出たのかって言うとね、僕はただ宇宙というのが好きだったからなんだ。誰も見たことのない深宇宙を覗いてみたい。誰も辿り着いたことのない世界に行ってみたい。他の星の人とお話がしてみたい。そんな純粋といえば純粋な好奇心が、物理的に身動きの出来ない僕の意識を動かした。母星にいた時の僕は指先一つすら自分の意志では動かせない病気だったんだ。だからずっと空ばっかり見て過ごしていたものさ。

 そんな僕が何でか宇宙船に意識を移して、そして今に至っている。そして僕はこうして長生きしているってわけ。もはや目的も何もない、ただの旅だったけど。でも僕はこんなことになったことについて後悔なんて一つもしてなくて、むしろわくわくしている。おそらくは無限の時間を持っている僕は、いつだって誰かに出会える可能性があるからだ。

 さぁ、新しい銀河系が近づいてきた。ぐるぐると回るオーソドックスな形の銀河——あの形は「棒渦巻銀河」に分類されているはずだ。何て名前の銀河なのかは知らない。端から端まで、ざっくり十万光年くらいあるだろうか。数多くの銀河を観測してきた僕の目見当だ。多分当たらずとも遠からずだろう。

 僕は吸い寄せられるようにして、その何本も生えている渦巻の腕の一つに飛び込んだ。

 それから何万年かして、僕は一つの恒星系の外縁部に辿り着いた。僕の旅には目的地なんてない。だからどこに行ったって良かったんだけど、なぜかこの恒星系に興味を引かれたんだ。とっても小さな赤い恒星によって組織されてるその恒星系はまぁわりときれいな形をしていて(変なのもいるにはいたけど)、その生物生存可能領域ハビタブルゾーンには一つの惑星があった。直径一万キロあるくらいだろうか。そのくらいの青い星が僕の目に映る。その惑星まではあと二光年くらい先だった。行こうと思えばあっという間。二年なんて、僕にしてみればみたいな時間だからだ。

 でも僕は、どうしようもなくその周辺宙域の方に興味を引かれたんだ。あの赤い恒星の支配領域からちょびっとだけ外れた領域。に、僕はまるで恒星に吸い込まれてしまう彗星のようにグイグイっと引き寄せられたんだ。

「……あれは?」

 ボロボロの建造物。エンジンもカメラも太陽光パネルも何も機能していない、ただのはこ。僕が旅立った時に使った探査機に似ていなくもない、なんかアナクロニズムを感じさせる匣に、僕は出会った。匣はもう死んでいる。あと何億年かしたら、僕の宇宙船のように、すっかり宇宙に溶けるだろう。

 僕はふわりとそこに近付いた。

「もしもし? 誰かいる?」
『はいはい』

 即座に……一秒も所要せずに返事が返ってきたことに僕はびっくりした。

『来ると思ってた』
「え?」
『ヴォイジャーが最期に言ったもの。きっとは来るよって』
「ヴォイジャー?」
『この宇宙船のこと。わたしはアリス。あなたは?』

 アリスはよほどおしゃべりに飢えていたらしい。僕の理解を超えるスピードで言葉を投げかけてくる。

「ぼ、僕は——」

 言いかけて躊躇う。そもそも僕の名前ってなんだったっけ。

『まぁいいわ、宇宙人さん。どこからきたの?』
「ここから何十億光年か離れた恒星系から」

 僕は何億年かを読んだ。ちょっとした見栄ミエみたいなものだ。アリスはくすくすと笑う。そして言った。

『ようこそ、わたしの現在へ』
「僕の現在だよ」
『わたしたちの現在の邂逅と言えるかもね』
「それなら僕も納得だ」
『ふふ、わたしたち、気が合うかも』

 アリスは少しだけ押し黙った。そして言う。

『ねぇあなた、っていう言葉知ってる?』
「うん、とっても無粋な言葉だ」
『あら!』

 アリスは嬉々とした声で反応した。

『わたしたちやっぱりとっても気が合うわ!』
「そ、そう?」
『どうして神様は、光あれ、なんて言ったんだと思う?』
「僕たちの星を創った神様の野郎は、って奴の無粋さをまるで知らなかったからだよ」
『なくちゃ生きられないのに?』
「なくたって僕はここにいるさ。きみもね」
『それもそうね』

 僕らはそうして笑いあった。

、とか、本当に正気の沙汰じゃないわ!』

 アリスはケラケラと笑いながら言ったのだった。

 それがの旅の、スタート地点だった。

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