こんなシケた店で飲んでるなんて、あんたよそ者だろ? わかるぜ、一人旅って奴だろ。こんな酔っ払いに絡まれても顔色変えねぇとか、本当に腕っぷしが強いんだな。俺にだってそのくらいわからぁ。
なぁ、ところであんた、光の戦士って奴を知ってるかい? とにかくすごい力を持った奴で、魔族の軍団をたったの一人で打ち倒したらしい。魔王もその重臣たちもビビッて城から出てこなくなったくらいにコテンパンにな。
もはやあの戦士を倒せる魔族は存在していない。大ボスクラスが束になっても敵わない。あの戦士が来ると、魔族は皆、道を開けるんだってよ。魔族の中でも頭の悪い雑魚どもが人間の村を襲ったりすることはまぁ、そりゃぁあるが、軍団として襲ってきたことは、もうこの十年は聞いたことがないねぇ。
十年って言うのは、例の戦士が魔族の軍団と一大決戦をしたその時のことだ。たった一人の戦士と、魔族数万。たったの一晩で決着がついてしまったというから驚きだ。でも、そこから先、その戦士は剣を封印してしまったとも言われているんだぜ。何か思う所でもあったんだろうな。
ん? その戦士がいまどこにいるかって? さぁ、知らないねぇ。このまま魔王もうち滅ぼしてくれさえすれば、光の戦士が年老いたとしても、魔族に脅かされない日々が続くと思うんだがね。いや、今も全然だけどな、魔族の方は。ああ、そうだ、光の戦士はまだ三十歳にもなってないんじゃないかな。まだ若者だったからな、あの決戦の時は。今ならまだ魔王を倒せるくらいなんじゃねぇか?
なぁ、兄さん。あんたさっきから頷いてばかりじゃねぇか。あんたもなんか、旅の土産話をしてくれよ。
俺の前に勝手に座ってきて、ペラペラとよく喋る酔っ払い。本当によく喋る男だと思って、俺は無言で観察していた。しかし男はただの酔っ払いではない。その眼光は鷹のように鋭かったし、空いている左手は遊んでいるようでいて隙がない。そして見た目以上に若いだろうことまでは見抜くことができた。日焼けが男を老いさせている。
「お前も名のある戦士と見たが」
俺が言うと、酔っ払いは一瞬動きを止めた。
「ならなぜ自分で魔王を倒しに行かないのだ?」
「まぁ確かに、俺は剣闘士として戦って奴隷の身分から解放されたくらいに覚えはあるよ、ああ」
男は一気に素面に戻ったようだった。
「でもな、光の戦士は強すぎるんだ。ありゃぁもう新兵器だね。俺なんて同時に相手できる魔族なんて雑魚でも一体二体が精いっぱいだ。ところがどっこい、光の戦士は桁が違うんだ。十年ちょっと前にいっぺんだけ戦闘を目にしたことがあったんだが、あれを見た瞬間に、俺は戦士を廃業したね。俺なんていなくても良いじゃねぇかっていうかさ。失望とかそういうのを超越した何かだったぜ」
「だがお前の力は、魔王を倒す以外にも、使いようはいろいろあるだろう?」
「あ? まぁ、ゴブリン退治とかそういうのには役に立つな。盗賊退治の役にもな。ちょっとした賞金稼ぎで食ってるんだ、俺は。結構羽振りもいいんだぜ」
「なるほど」
「でもよ、戦士を名乗っているだけでこの国は召し抱えようとするだろう?」
「そうだな」
「なぜだと思う?」
「魔王と戦うためではないのか?」
「違うなぁ、違ぇんだよ」
男は首を振った。その表情は幾分やさぐれている。
「他国と戦うためだよ。魔王がおとなしくなっている今、国家における共通の敵がいなくなってしまったし、いざとなればあの光の戦士がいるわけでさ。まぁあれだ。光の戦士がどう思ってるかなんて知る由もねぇけど。とにかくさ、だから国は敵を探したんだ。その結果、手近な敵として出てきたのが隣国よ」
「……救いようがないな」
「だろ? 人間が人間を殺すのを目的にしちまっちゃおしまいよ。んなもん、カーストの中で成り上がりてぇと思っている剣闘士だけで十分だ――俺みてぇなな」
「ああ」
俺と男は名前も交わさぬまま、エール酒の入ったジョッキをぶつけ合った。男は言う。
「あの光の戦士が見たら、この体たらくは何と言うかな」
「どうだろうな」
俺はエール酒を飲み干す。昔から酒にはかなり強い方だ。
「土産話が欲しいと言っていたな。一つしてやろうか」
「お、いいねぇ。その風貌だ、さぞ色恋もあるんだろう」
「その期待には添えないな」
俺は苦笑する。
「光の戦士とやらが魔王を討ち滅ぼさなかったのは何故だと思う?」
「めんどくさくなっちまったからじゃないかい?」
「ははは、そりゃいい。そうかもしれないな」
だが――と、俺は男の目を凝視する。
「魔王が存在する必要性というのは、さっきおまえが言っていたまさにそれだ。人間は共通の敵なしには団結できない。そして共通の敵が出来ても、任せられる兵隊が一ついれば、その他大勢はただ安穏と暮らすことしか考えない。そして、ましてやその兵隊が自分たちの手に負えないと分かるや否や、簡単に手の平を返す」
「そりゃつまりあれかい? 魔王を滅ぼしたら次に滅ぼされるのは自分だってんで、そういう理屈で魔王を放置したってことかい?」
「そう言ったっていいんじゃないかな」
魔王は最初から魔王だったわけじゃない。魔王に仕立てられた結果、そうなっただけだ。だから、人類史が始まってすぐから魔王は存在しているし、幾度討ち滅ぼされてもいつの間にか復活している。
「そりゃひでぇ話だ。でもなぁ、見てみてぇよなぁ。魔王と光の戦士の戦い」
「戦いは見世物じゃないぞ」
「悪ぃ、悪ぃ。俺はずっと見世物として戦ってきた男なもんでよ」
「そうか。剣闘士だったな」
「おう」
俺はふとおかしくなって、笑いながら訊いた。
「一つ尋ねて良いか」
「俺とお前の仲じゃねぇか。何畏まってるんだ」
「もし俺がこの街の人間を皆殺しにするとしたら、お前はどうする?」
「物騒な奴だなぁ、兄ちゃん」
男の目がギラリと光る。物騒な光だ。
「もしお前さんが魔王だったとしても、俺は剣を抜くね。俺にゃそのくらいしかできねぇからな」
「そうか」
俺は空になったジョッキの底を見て、頷いた。
「変なことを訊いたな、すまん」
「へへ、良いってことよ」
男もジョッキを空にして、ニヤリと笑った。
俺は席を立ち、金貨を一枚男に放った。男は「まいど」と言いつつ受け取り、俺に左手を振った。俺はそのまま酒場を出て、一度その繁華街をぐるりと見まわした。罪と悪と酒の臭いのするこの街は、人間の堕落を測るのに実にちょうどいい。
「光の戦士……か」
十年前に相対したあの男は、現実と自分の未来を知り、絶望して消えた。その時に俺が見せたほんのちょっとの善意のおかげで、俺はまた向こう何十年も魔王として過ごさなければならなくなった。
そして今夜——。
俺は人間の脅威であり続けねばならないと、改めて思ったのだ。
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