居住人口三千あまり。しかし各地から無数の人々が流入しては去っていく、不夜の都。その魔導都市は、皇国のどこよりも発展し、栄えていた。強固な結界によって守られ、魔物や異形といった外敵から守られた、アイレス魔導皇国北部における唯一の安全地帯だった。
だがそれも今や過去形だ。この都市を守るはずの不可視の結界が、この都市から逃げ出そうとする人々の道を阻んでいた。都市は中心部から陥没を始め、その穴からは間欠泉のように白色の炎が吹き上げていた。炎は建物も人間も等しく溶かすほどの高温だった。熱と絶望から逃げ惑う人々は、しかし都市中心部から広がる穴からは逃げられず、次々と飲みこまれていった。
その一方で結界の外側は、酷寒だった。一面の雪に覆われた大地は、見渡す限り何もない。月明かりを受けて輝く青い雪影が、ただひたすらにどこまでも続いている。細かく鋭い雪華が、都市から発される阿鼻叫喚の輝きで、幻想的に金色に揺れ惑う。
「これは、天罰だと思うか」
結界のすぐ外に立っている白銀の甲冑を付けた白髪の青年が、呟いた。氷のように青い瞳が、凄惨に燃える都市を、人々を、見つめている。そこには明確な感情は窺えない。北風に勝るとも劣らないほどに、冷たい印象だった。
「いえ」
そう応えたのは、白髪の青年の隣に立っていた、黒髪に透き通るような緑の瞳をした青年である。幼いとも柔和とも言える顔立ちのこの青年は、まだ十代だろう。
炎の輝きを受けて、二人の影が黒々と踊る。
「これは、断罪なんです」
「断罪?」
白髪の青年は、結界の内側で絶命したばかりの母娘を見て眉根を寄せる。
「この母娘には、何の咎があったと言うんだ、トバース」
「それは……」
トバースと呼ばれた黒髪の青年は首を振る。白髪の青年は天高く吹き上がる白炎を見上げ、首を振った。
「千、二千、三千、あるいはそれ以上の生命が、今ここで終わる。逃げることも許されぬまま、己が罪を自覚する暇もないまま。あるいは罪なき者すらも。恐怖の内に白い焔に狩られることになる」
「グラヴァード様」
黒髪の青年が呼びかける。白髪の青年――グラヴァードはその青い瞳をトバースに向ける。萎縮してしまうほどに深い闇を湛えた瞳だった。
「まだ迷っておられるのですか。そもそもこれはハインツが蒔いた――」
「いや」
グラヴァードはひときわ高く吹き上がった炎の柱を見上げる。
「俺は迷ってはいない。ただ、悔いている」
「しかし、それではこのエクタ・プラムの人々は救われません」
「俺がどう思おうと、彼らは救われない。意味のある犠牲など、犠牲を生んだ無能な人間が吐き出す詭弁に過ぎない」
グラヴァードの顔は炎の照り返しを受けて、揺れていた。長い白髪が風に踊る。
「この街の数千人か、或いは無差別な数十万――いえ、百万を超える人間の生命か。僕たちは選ぶことしかできなかった」
「それはわかっている。これが現状最適解だということも理解はしている」
「ならば、彼らの怨嗟を、その殺戮の罪を、グラヴァード様が背負う必要なんてないでしょう」
「誰も罪を被らないよりはマシだと思わないか」
グラヴァードはゆっくりとした口調でそう言った。結界の内側で、見えない壁を叩く人々の姿が見える。彼らは等しくグラヴァードたちに助けを求めていた。一人また一人と熱に焼かれて倒れて、無惨に溶かされていく。
「この身が数千の血に染まったとて、いまさら俺は別にどうということもないさ」
グラヴァードは目を逸らさなかった。なす術もなく人々が死んでいくさまを、その目に焼き付けようとするかのようだった。トバースは重苦しい口調で言った。
「結界があったおかげで被害はこの都市だけに抑えられる。僕はこの都市の結界を破壊できる。グラヴァード様なしでも。でも、僕は――」
「罪を共有する気はないぞ、トバース。この都市の生命の責任は俺一人で取る。お前にも、あの子にも、一つも背負わせる気はない。絶対に、だ」
グラヴァードは淡々と言い切る。トバースは何か言い返そうと言葉を探したが、結果として沈黙を選んだ。グラヴァードはそんなトバースを横目で見てから、すっかりその姿をなくしてしまったエクタ・プラムの跡地を睨んだ。
「妖剣テラ。あんなものと巡り合ってしまったのも、なにかの縁。そしてこの縁はまだまだ続くだろうさ」
冷たささえ感じられるほどに静謐な声だった。トバースは頷く。
「そんな縁、早々に終わらせたいものですが」
「ああ」
「まだまだ、続くのでしょうね」
トバースは白い息を吐いた。
都市があった場所は、黒く燻っていた。それも広がり続けるあの深淵の穴が消し去るのだろう。
グラヴァードは首を振って姿を消した。トバースもその後を追う。
生命の残滓は、雪と煤の中にすっかりと消えた。
「エクタ・プラムの消滅」――紫龍歴805年、酷寒の日の事件である。
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