トバースはセウェイの精神へのアクセスに、拍子抜けするほど簡単に成功する。セウェイが咄嗟に経路を作っておいたのか、それともハインツの罠なのかはわからない。だが――。
「こいつは……なんてカオスなんだ」
トバースがそんな感想を持ったのも無理はない。周囲は一面、サイケデリックな色彩に埋め尽くされていた。しかもうねっている。眩暈を覚えるのも致し方なく、平衡感覚さえどこかへ行ってしまったかのようだった。
「思考迷路か」
セウェイの精神は思考迷路で守られていた。食虫植物のように敢えて侵入者を招き入れ、脱出不可能な領域へと誘っていく。セウェイのそれは、トバースから見ても一級品の防御システムだった。そしてハインツはこれを突破したということになる。どこをみても一筋縄ではいかない状況だった。
「どうやって攻略したもんか」
トバースは入り口付近で思案する。と、すぐ背後に人の気配が現れた。
「トバース!」
「うわっ!? って、ヴィーかよ。どうやって」
「グラヴァードに助けてもらって。あんたの精神を踏み台にさせてもらった」
こともなげにそう言ったヴィーに、トバースは頭を抱えた。
「なんて危ない真似をするんだ! 僕が死んだら君も死ぬんだぞ、そんなことしたら! ここに永遠に閉じ込められるかもしれないし、いや、そんなことになったら何にしたって君は廃人だ」
「別にぃ?」
ヴィーは「なんだそんなことか」と口笛でも吹きそうなくらいに軽い調子で答えた。
「ま、だいじょうぶでしょ」
「なにが……!」
「あんたさ、そこはもっと、気概を持って女の子を安心させるところだろ」
「お、女の子?」
「あたしはまだ十代だよ! こんちくしょうめ!」
「じゅ、十代!? マジか」
「先月二十歳になった」
「さらっと嘘つくな!」
トバースは苦笑する。ヴィーも胸を張って笑う。
「しっかし、ケバい空間だねぇ。あの闇エルフそのものじゃないか」
「ま、まぁ、そうなのかな」
「ま、いいさ。こんなケバケバ空間であんたに死なれて取り残されるとかマジで悪夢だから、あたしがあんたを守ってあげるよ。任せときな」
「行くかぁ」
気合の入っているヴィーを横目に、トバースは首を振った。心強い味方であることは間違いなかったが、単独行動の多いトバースには少し荷が重かった。
周囲にはピンクや明るい黄色、かと思えば黒ずんだ紫などがぐるぐると踊っている。頭まで痛くなるほどだ。
「そういえばさ、トバース。現実空間の方はどうなっているんだ」
「わからないけど、多分、グラヴァード様が時間稼ぎをしていると思う。急がないと」
「カヤリは?」
「それこそ全然見当もつかない」
トバースの回答にヴィーは不満げに鼻を鳴らす。
「にしてもあいつ、見た目と中身が一緒なんだねぇ」
「案外いい人ってことかもね」
トバースは迷わず歩き始める。トバースには経路情報が見えていた。セウェイの意識が教えてくれているような、随所に立て看板が立っているような、そんな感覚だ。だが、信じても良い情報だとトバースは判断する。
「ずいぶんスタスタ行くけど、だいじょうぶなのか?」
「セウェイの自我がまだ残ってる。教えてくれてるんだ」
「へぇ。人形師を名乗るだけあるね」
「褒めた?」
「んなわけねーっつの」
そんなことを言いながらも、ヴィーはトバースの背中を捕まえながらついてくる。はぐれてたまるものかという強い意志がそこにある。
「ねぇ、トバース。もうかなり時間かかってるけど、大丈夫なのか?」
「まだ数秒、せいぜい数分だよ。現実世界とここじゃ、時間の進み方が全然違うんだ」
「そうなのかい」
「でも――」
トバースはヴィーをかばうようにして両手を広げた。咄嗟に張り巡らされた結界の外側で、いくつもの爆発が発生する。
「やっぱり!」
「なんだい、こいつら!」
トバースたちの前に現れたのは、影のようなものだった。立体感がまるでない。
「あれは自我防衛機制というやつ。どんな精神にも少なからずいるんだ。侵入者を排除するシステムだ」
「落ち着いてる場合か!?」
「うん。この世界では落ち着くことが一番大事なんだ。何と言っても精神の世界だから」
トバースは右手に輝く剣を生じさせた。
「自我なんちゃらかんちゃらってのを倒したら、あの闇エルフは?」
「ちょっと素直になる程度じゃない?」
それよりも――トバースは唇を舐めた。
「こいつはセウェイ自身でもあるんだ。だからかなりの強敵だ」
「それはきっついな」
ヴィーは顔を顰めつつ、両手に炎の剣を生じさせる。
それを合図として影が襲いかかってくる。執拗にトバースだけを襲うのは、おそらくセウェイの知能を持っているからだろう。トバースを倒せば終わることを、影は知っているのだ。
「肉を斬らせる」
「斬らせすぎるんじゃないよ」
「運次第だね」
「冗談じゃない」
ヴィーは影を牽制しながら吐き捨てる。
「あんたが死んだらあたしもおしまい。そんなのはごめんだね」
「僕も君と心中だなんて、縁起でもない」
「気が合うじゃないか」
「だからうまくやるさ」
トバースは影を蹴りつけ、剣を振るって殲撃を放った。真空の衝撃波が魔力を伴って影を撃つ。が、影も殲撃を放って攻撃を相殺し、反対に爆炎の中から剣を突き出してきた。
「がっ……!」
トバースの左腕がぱっくりと裂けた。激しく血液が吹き出したように見えるが、実際に噴出しているのは魔力だ。もとより魔力は魔神に吸われ続けたせいで枯渇状態にある。これ以上の怪我は避けたいところだった。
トバースは痛みをやり過ごしながら影に突進する。右手の剣が影を切り裂く。影もトバースの動きを止めたと思っていたのか、その攻撃に対する反応が遅れていた。
すかさずヴィーが両手の炎の剣で、影を突き刺した。影は紙のように燃え上がる。
「片付いたのかい、これ」
「一匹目はね」
トバースは左手の傷を塞ぎながら首を振った。精神の世界であるから、代償――つまり魔力を支払えば、治癒師でなくても傷自体を塞ぐことは可能だ。
「一匹目って……こんなのが何体もいるのかい」
「中枢に近づくに連れてどんどん強くなるよ」
「げぇ……」
その後もニ体の影と遭遇し、二人は文字通りボロボロになった。汗だくになり、肩で息をしているヴィーが言う。
「三日くらい寝てたい」
「ヴィー、僕もそう言おうと思っていた」
「案外あたしら気が合うのかな?」
「まさか!」
トバースは苦笑する。ヴィーは「あのさぁ」と口をへの字に曲げる。
「こんな美人を振るのかい、あんた」
「振らなかったら振り返すくせに」
「まぁね」
ヴィーはクククと笑う。
「さて」
トバースは目の前に現れた門を前に腕を組んで思案する。
「どうしたものかな、これは」
サイケデリックな空間に突如現れた巨大な門。その暗黒色の構造物が、二人を冷然と睥睨していた。
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