ここに至るまでのサイケデリックな、どこかふざけた感さえある作りの防壁迷路とは雰囲気がまるで違っていた。暗黒の門は、まるで黄泉の国へと繋がっているのではないか――そんなことさえ思わせる。
ヴィーはその深淵の奈落のような門を見上げて、半笑いだ。
「これがあのふざけた闇エルフの本質ってわけだね?」
「そういうこと、みたいだね」
トバースは頷くと、門に手をかざす。門がぼぅっと赤く光ったかと思うと、仰々しい音を立ててゆっくりと開き始めた。門の向こう側には、荒涼たる赤い大地が広がっていた。無限に広がっているかのごときその大地には、草も石もない。無数の小さなひび割れが走っているだけの、赤土の荒野だ。空もまた赤く、空虚だった。塗りつぶされたような鮮烈な赤は、虚無と言うには明るいが、それでも限りなく虚無に近い赤だった。
この世ならざる光景に、二人の大魔導は二の足を踏む。
「なんて空虚なんだ」
トバースが思わず呟く。そんなトバースの右の袖をヴィーは何度か引っ張った。
「なにさ、あれ」
距離感がないので大きさはわからない。だが――。
「龍だ」
「違うものの名前を挙げなよ」
「いや、だって、あれはどう見ても龍だよ」
「だからぁ、あたしたち、龍なんて見たことないじゃん」
「でも、あれが龍じゃないとしたら、何なんだい?」
「もういいっ!」
ヴィーは癇癪を起こしたが、すぐに両手で印を結んで魔法障壁を展開した。それが完成した直後に、龍から衝撃波が広がった。それは障壁に接触するや否や金色の炎となって二人を包み込んだ。
二人の視界が遮られている隙に、金色の龍はトバースたちの目前にまで迫っていた。その威容は、数十メートル、いや、百メートルはある。金色の鱗に覆われたその巨体には、六枚の巨大な翼があった。腕や足は身体の大きさに見合うほどの太さと長さで、その鉤爪一つをとっても人間以上に大きい。その顔には七つの赤い目がついており、鼻先には長く鋭い角が生えていた。どんな生物にも似ておらず、だがその一方で、あらゆる生物の特徴を持っているようにも見えるもの――それがこの金色の龍だった。
「ハインツの本質が、龍だったとはね」
「まさか、そんなこと」
ヴィーが「信じられない」と繰り返す。
「僕らはほとんど日常的に紫龍と接していることだし、龍の影響を受けるのは珍しいことじゃない、のかもしれない」
「落ち着きすぎだろ、あんた」
ヴィーは動悸を隠してそう言った。トバースは肩を竦めつつ龍を見る。二人の張り巡らせた結界ももはや限界を迎えつつある。
「で、この状況。どうする」
「セウェイには悪いけど、やるだけやるしかないさ」
この世界が傷つけば、セウェイの精神にもダメージを与えてしまう。後遺症も残るかもしれない。
「烈幻斬!」
トバースの声と共に、龍の直上に刃渡り五十メートルにも及ぶ斧が出現する。だがそれは龍に触れる前に溶けて消えてしまう。
「神の御柱!」
赤い空から何十本もの白い柱が落ちてくる。それは龍を取り囲むように地面に突き刺さり、一斉に爆発した。白銀の爆炎が金色の龍を覆い隠す。
「ちょっとトバース! そんな小技でどうにかなる相手!?」
「無理だろうね」
トバースは一呼吸置く。ここまでは一種のフェイクだ。
「降魔――」
トバースは煙の向こうに姿を見せ始めた龍を睨み、印を結ぶ。
「殲裂陣!」
龍の身体が百面体の結界で包まれる。結界の内側で激しい閃光が迸り、甚大な熱エネルギーが生じた。龍は結界を打ち破ろうと、その尋常ではない大きさの爪を幾度も幾度も不可視の壁に叩きつけた。その衝撃は、結界の外にも巨大地震の様相を呈して伝わってくる。
「これはきつい」
立っていられないほどの揺れが二人を襲う。トバースとヴィーは、必然的に手を握り合うような形になる。
「ていうかさ、これ、あんたの陣魔法が効いてないんじゃ」
「……っぽいね」
今放った降魔殲裂陣は、トバースの持つ最大最強の結界魔法だった。無差別破砕魔法に手を加え、結界内に満ち溢れた魔力に一気に点火、対象を灰塵と帰するという算段の魔法なのだ。そもそも異形狩りに使うために編み出した陣魔法であり、そういう意味では龍にも効くのではないかという期待があった。
だが、現実としてはさしたるダメージを与えられた様子はない。組み上げた緻密な結界も完膚なきまでに破壊されてしまった。まさに粉砕である。
「困ったね、これは……」
「何を悠長な! どうすんの、これ!」
「ヴィーも考えてよ」
「はぁ!?」
ヴィーは真上から迫ってくる龍を見上げた。振り上げられた右腕部が、二人をめがけて落ちてくる。
「あんたと一緒に死ぬとか、ほんとないわ!」
「僕もそう思うよ」
トバースは全力で魔法障壁を強化する。結果として龍の一撃は弾かれる。だが、障壁も薄くなる。二撃目は耐えられないに違いなかった。
「奴がハインツであるなら、あの手は使える」
「あの手?」
「奴に憑依する」
「はぁ!? 馬鹿か、死ぬぞ」
「どっちみちこのままじゃ僕たちはすぐに黒焦げだ。だからやるさ。ヴィーはその間の僕を守ってくれ」
「わかった」
ヴィーは即断する。確かにトバースの言う通りだと判断した。
「行くぞ」
「早くしろ、できれば一瞬でお願いする」
「善処する。僕だってハインツの中になんて、一瞬たりともいたくない」
トバースは大きく息を吸い込むと、一瞬で憑依術を完成させた。
「おっと」
膝から崩れ落ちるトバースをヴィーは寸でのところで支えた。
「全く、危ないことをする」
ヴィーは龍の炎を防ぎながら、呆れたように呟いた。
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