グラヴァードの周辺に無数の光線が降り注ぐ。一発一発が致命傷になり得る威力の攻撃魔法だ。
「異形か」
異形――別次元から召喚される化物たち。
その一体が、今、グラヴァードの眼前に顕現しつつあった。空を引き裂き現れたのは、翼の生えた人型。黄金色の甲冑を纏った天使のような姿だった。ご丁寧に顔もついていたが、それは目を閉じた美女のようでもあった。
天使は地面に降り立つや否や、翼を切り離した。そしてその両手それぞれに輝く剣を生じさせる。グラヴァードは再び剣を抜き放ち、両手で構えた。
『物理戦闘では勝ち目がないのでね。とびきり上等な健脚にやってきていただいた』
「小癪な」
ハインツの思念を受け止めながら、グラヴァードは吐き捨てる。
直後、空気を引き裂く轟音を立てながら、天使が斬り込んできた。目にも留まらぬ二刀流での連撃だったが、グラヴァードは危なげなく短距離転移を駆使して回避する。
陣を使うわけにもいかないか――。
このクラスの異形を倒すには、それ相応の陣魔法が必要だ。だが、そんなものをここで使えば、結界で守られているエクタ・プラムはともかく、近隣都市には大きな影響が出かねない。陣魔法は紫龍の力を引き出すことで破壊の力を得る手段だ。乱用は紫龍の封印そのものを弱めかねないという懸念もあった。
万が一、紫龍の封印が解けようものなら、その時には大災害が再来してしまう。そうなれば人類は今度こそ滅亡するかもしれない。滅亡を免れたとしても、前回の大災害のように龍の英雄たちによる復興は起こらないかもしれない。
陣魔法の一発や二発で何かが起きるとは考えにくかったが、そのリスクは低いほうが――。
そう考えている間にも、天使は二撃、三撃と斬撃を繰り出してきている。グラヴァードは受け流し、あるいは弾き返し、無難に無難にやり過ごしていく。
「なるほど――」
太刀筋は読めた。
グラヴァードは魔法剣一本で猛烈な反撃に出た。短距離転移を駆使して、四方八方から津波のような衝撃波を浴びせかける。天使をも上回るスピードで繰り出される魔法剣が、天使の金色の身体に着実にダメージを重ねていく。
グラヴァードの白銀の姿が残像を引いている。
『貴様ほどの力を持ちながら、なぜあんな連中に世界を任せる』
「それはな」
天使の剣をかいくぐりながら、グラヴァードが応じる。
「彼らが多数派だからだ」
「多数派だから、だと?』
ハインツは嗤ったようだった。侮蔑の感情がダイレクトに伝わってくる。グラヴァードは顔を顰める。
『愚者は群れるもの。愚者が多数を占めるのはこの世の理。すなわち必然である』
「なれば彼らによって導かれるのもまた人間。そして、世界だ」
『ゆえに世界は滅んだ』
ハインツの朗々たる声が不愉快に響く。
『ゆえに紫龍はこの世界に降りた。貴様はあの大災害を、あの愚かしい形で繰り返させようとでも言うのか!』
「ふん――」
グラヴァードは二刀流で繰り出される剣を正確に弾き返す。その時に生じた真空衝撃波により、天使がたたらを踏む。グラヴァードは瞬時に背中に回り、その背を袈裟懸けに切り下ろす。天使の金色の鎧に亀裂が入る。
天使の姿が消える。グラヴァードもすぐに姿を消す。グラヴァードの頭部があった場所を剣が薙ぐ。その必殺の一撃は空気と大地を穿つ。轟々と舞い上がる雪と土の煙が晴れぬ内に、天使はよろめいた。グラヴァードの背後からの一撃だ。
「ギラ騎士団こそが――」
グラヴァードの魔法剣が夏の太陽のように輝き始める。もはや直視できぬほどだ。
「第二の大災害の元凶になると思っていたのだがな!」
剣の輝きが、振り返った天使の脇腹に叩きつけられる。天使はなすすべもなく吹き飛ばされ、地面を大きく抉り抜いていく。グラヴァードは左手を掲げ、炎の槍を無数に生じさせ、倒れている天使を追撃する。
天使はたまらず言語化不可能な絶叫を上げる。その音もまた武器だった。魔力を帯びた衝撃波がグラヴァードを守る魔力を削いでいく。
『愚者の目から見ればな、そうもなろう。だが、我らが総帥の意にしたがえば、その破壊は人々の選別の場となろう。そう、裁きの場だ』
「裁きの場だと?」
なおも続く音による攻撃を魔法障壁で軽減しながら、グラヴァードは眉間に皺を寄せた。
「多くの罪なき人々を死なせることに――」
『力なき者は、すなわち咎人!』
ハインツが高らかに宣言する。
『無知、すなわち、無力なる人間は、畢竟悉皆、人の進化の阻害要因でしかない!』
「仮にそうだとしても!」
グラヴァードの怒声が響く。
「貴様らにそうと決められねばならぬ所以などない!」
『あるのだよ、グラヴァード。我々にはその権利がある。私にも、貴様にも、な!』
「世迷言を!」
目にも留まらぬ撃剣を繰り広げながら、グラヴァードは吐き捨てる。グラヴァードの全身が白銀に輝いて、無数の光弾が生じる。それは曲線を描いて、次々と天使に命中する。天使の金色の鎧が見る間にダメージを蓄積させていく。
『我々は人を選別し、より優れた種へと変えていくことができる』
「なにが優れた、だ。万人が無制御になれば解決するとでも言うのか!」
『はははは! 何を言っている、グラヴァード。いついかなる時代に於いても奴隷は必要。ただし、従順で、かつ、使い捨てることのできる程度の奴隷がな!』
「驕りもいいところだ」
グラヴァードの剣が天使の首に直撃する。天使はまた絶叫を上げる。グラヴァードは魔法障壁を全開にして距離を取った。高密度に圧縮された魔力の音が、グラヴァードの左の肩当てを半ば破壊した。
「ハインツ! その考え方を傲慢と言わずして、驕りだと言わずして、何と言うか! 俺たち無制御が人として優れているとなど、いったい誰が言った!」
『この力だ!』
ハインツの答えは至極明瞭だった。
『圧倒的な我々の力。紫龍を目覚めさせ得る力を行使する能力。これこそがその証左。新たな時代を作るに相応しいのは、我々。そしてこれは即ち免罪符とも言える!』
「それが驕りだと言っている!」
グラヴァードは左手にも剣を生じさせた。二刀流対二刀流。四本の剣が夜空に残像を引いて交錯し、激突し、反発する。
「人は力に従うものではないぞ、ハインツ!」
『貴様のそれは綺麗事なのだ、グラヴァード!』
天使が目を開けた。暗黒の眼球がグラヴァードを捉えた。黒い硝子球のような瞳がくるくると動いて、グラヴァードにフォーカスを当てる。
『人は力で従えればそれで良い!』
「笑止!」
グラヴァードは二本の剣を組み合わせ、巨大な輝きへと変じさせた。
十メートルを軽く超える刀身となったその剣を、グラヴァードは力任せに横薙ぎにする。天使もその攻撃は予想の範囲外だったようで、明らかに回避が遅れた。慌てて二本の剣を立てて防御態勢に入るが、それまでに蓄積されていたダメージが仇となった。夜が白く黒く塗りつぶされ、轟音が空気はおろか地面すら揺らす。
色と音の嵐は、唐突に消えた。
金色の天使は完全に崩壊していた。砕け、腐り、消えていく。
「俺と貴様は、永遠に理解し合うことはできなさそうだな」
『知っていたことだがな』
その瞬間、グラヴァードは全身を魔法障壁で覆った。瞬き一つほどの間に、グラヴァードの周囲には星型の魔法陣が描かれていた。それが文様に沿って光を吹き上げ始める。
油断した――!?
『残念だよ、グラヴァード』
グラヴァードは応えることもせずに防御に全身全霊を傾ける。
これは、緋陽陣――!
グラヴァードを中心とした半径数キロが、蒸発した。
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