部屋に入るなり、カヤリは例の椅子に腰を下ろした。妖剣テラとの接続の方法は、もう十分に心得ていた。這い寄ってくる妖剣の魔力に、自分の精神を同調させるだけでいい。実験当初は妖剣に主導権を取られていた。だが、今はもはや渾然一体としていて、どちらがどういう状態であるかなんて、カヤリにはわからなかった。
妖剣の気配がそぞろ迫り、カヤリの周囲を取り囲む。妖剣はいつでもこうしてカヤリを待ち構えていた。今やカヤリと妖剣テラは切っても切れない関係にあると言ってもいい。椅子に座っていないときでさえ、妖剣はカヤリを見ていた。
不可視にして曖昧模糊としたその圧力にも、カヤリはもはや屈しない。この前のように圧し負けたりはしない。カヤリは唇を噛み締めて、意識の中に浮かんでくる目のような何かを睨みつけた。
負けない。
だけど。
「私に力をちょうだい」
カヤリは強い口調でそう言った。魔力の流れがカヤリに押し寄せ、入り込んでくる。見開いた双眸が水色に激しく輝き始める。
『カヤリ! やめろぉっ!』
頭の中にヴィーの声が響いた。
『無茶だ! 無茶すぎる! 魔神に乗っ取られるぞ!』
「それでもいい!」
カヤリは喉が切れるほど強く叫んだ。
「ここを守れば良いんでしょう!?」
『そんなことしたって、カヤリ、駄目だ。無駄なんだ!』
駄目とか無駄とか! カヤリは奥歯を噛みしめる。全身が魔力の威力で震え始めていた。
「何もしないでヴィーが怪我したり死んだりするとか耐えられないから! 私は私にできることするから!」
『だから、あたしたちがなんとかするって!』
「ヴィーを危ない目には遭わせたくない!」
『そんなこと考えなくていいんだ! 第一お前は……あんたはまだ子どもなんだぞ!』
「こう言うときにそう言うの、ズルいと思うよ、ヴィー」
カヤリは全身の力を込めて、目を閉じた。
逃げ場のなくなった妖剣テラの魔力がカヤリの内側で膨れ上がっていく。それと同時にカヤリの意識は上に上にと上っていく。エクタ・プラムの地面を抜け、建物を飛び越え、結界を引きちぎってなおも上昇する。エクタ・プラムの人々が恐れおののいた顔で見上げているのを感じる。だが、カヤリは気にも留めなかった。
自分は今巨人になっている。人間の十倍か、それ以上の大きさの巨人に。眼下に騎士たちが見える。
カヤリは躊躇せずに飛んだ。人里から少しでも離れようとした。
だが、エクタ・プラムからさほど離れていない内に、転移魔法を駆使する騎士たちに追いつかれる。先頭にいる重装甲冑を身に着けた三名が銀の刃連隊だということはカヤリにもわかった。
カヤリには知る由もなかったが、一つの戦に銀の刃連隊が複数名投入された事案は、ここ百年近く発生していないのだ。それこそが、アイレス魔導皇国がギラ騎士団を本気で潰そうとしていることの現れだった。
地上にいた銀の刃連隊の三名の姿が掻き消える。
「?」
その次の瞬間、カヤリは全身に衝撃を受け、激痛を覚えた。内臓がことごとくひしゃげたのではないかというほどのダメージを受け、カヤリは息ができなくなる。未だ空中にいたにもかかわらず、全方位からの攻撃を受けたのだ。
「うあぁぁぁ!」
喉の奥から声を絞り出し、カヤリは銀の刃連隊の一人を睨んだ。その途端、その騎士は数十メートル吹き飛ばされ、地面に激突した。
「あと二人……!」
先程のダメージに耐えきれず地面に降りたカヤリの前後から、凄まじい斬撃が襲ってくる。間断なく襲ってくる衝撃波に、カヤリは翻弄される。意識がとびかける。眩暈と熾烈な嘔吐感が襲ってくる。
『カヤリ! 無茶すぎる! だめだ、意識をこっちに戻せ! お願いだ!』
ヴィーの叫び声が脳内に激しく反響する。
うるっさいな!
カヤリの中の誰かが怒鳴る。
『銀の刃連隊が三人もいるんだぞ! その力があっても、お前じゃ無理だ!』
うるさいってば!
『あたしが悪かった! あやまるから! だからっ!』
うるさい!
カヤリは両手を振るう。真空の刃が周囲を薙ぎ払う。だが、騎士たちは誰一人倒れなかった。先程倒したと思った一人が展開した防御魔法が、カヤリの攻撃を無効化していた。その間に左右に回り込んだ二人が、カヤリに殲撃を撃ち込んでくる。とても回避できるようなものではなかった。
たまらず膝をついたカヤリに、百名近い魔狼剣士団の騎士たちが攻撃魔法を撃ち込んでくる。その威力は一発一発が対人なら即死級の威力だ。
叩きつけるような光弾や火球を受け、カヤリはたまらず倒れた。カヤリを守る魔力が見る間に削れていく。全身の骨が軋み、パキパキと砕かれていくような感覚に陥った。
私、何もできなかったじゃない……。
あれだけ言い捨てたのに、何も。
カヤリは激痛の中、声をあげて泣いた。
ヴィーを守れないよ、こんなんじゃ、誰も守れない……!
妖剣テラ、私に――。
『逃げよう!』
妖剣テラの力に縋ろうとした時、カヤリの中にヴィーの悲痛な声が響いた。
『あたしと逃げよう! だから戻ってきて!』
「に、逃げる……?」
『ああ、そうだ。だから戻ってくるんだ。まだ戻れる!』
わかった。わかったよ、ヴィー……。
カヤリは目を見開いた。
涙に濡れたその双眸が鮮烈に輝いていた。
それがヴィーの正義、なんだね――。
カヤリは全身を苛む苦痛を押しのけ、全身を満たしていた魔力の全てを一息に放出した。
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