> Agnes agn = new Agnes("theWorld")
>>> rejected.
>>> rejected.
ほどなくして開いたドアの向こうへ、悠々と渡っていくミキを追いながら、アキは難しい表情をしていた。
「ねぇ、ミキ」
座っているアサクラを視界に入れながら、アキは腕を組む。
「エメレンティアナの実体って何だろ?」
「実体?」
怪訝な表情を浮かべて身体ごと向き直るミキ。アキは頷いた。
「さっきだって再出現はしてこなかったんだよね? でも、あたしたちに攻撃をしてきた物理的な何かは存在していた。でもそれが忽然と消えたってことだよね」
「アキだって観測対象から外れていたぞ」
「でも、あたしは戻ってきた」
「ああ」
そういうことか、と、ミキは呟いた。そして右手の親指を立ち上がったアサクラの方に向けて肩を竦めた。アサクラに訊け、という意思表示だ。アキは「そうねぇ」と右手で黒髪を掻き上げて、腕を組んでミキの隣に並んだ。
「……ということなんですけど、アサクラさん。どういうことだったんですか?」
「単純な話だ」
アサクラは関心なさそうに即答した。
「奴はいわばGSLになっていたということだ」
「はい?」
アサクラは空中に浮かんでいるディスプレイを見上げた。
「エメレンティアナの物理実体はとうに喪失している、という話だ。奴が自分の物理実体に興味を持たなかったからとも言えるし、そもそも奴は自分の実体というのは論理層に存在していると思っていたからとも言える」
「そしてそれは、あながち間違いでもない?」
「そうだな」
アサクラはアキに向かって頷き、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「自分のことを環地球軍事衛星群にて定義されているAgnの支配者だと誤謬したというのなら、さもありなん」
「カタギリさんは、エメレンティアナのネットのことを偽物だって、断定したね」
アキの横槍に、アサクラは一瞬だけ目を細めた。視線がアキの仄青く光るそれと衝突を起こす。アサクラは口調を一つも変えることなく続けた。
「Agnは長谷岡龍姫博士の考案した次世代ネットのプロトコルだというところまでは調査できた。あれは本来、地球程度の許容量に収まるような代物ではない」
「で、つまり?」
痺れを切らしてミキが結論を急かす。ミキはもともと気の長い性分ではない。アサクラは無表情に左手の人差し指でコンソールを無駄に叩き、そして応じた。
「エメレンティアナは罠に嵌ったというわけだ。長谷岡博士の巧妙なジョークを真に受けたというべきか」
「要するに、だ。長谷岡博士が創ったAgnに似た何かを掴まされたっていう事か、アサクラ」
「そういうことだな、ミキ」
アサクラは珍しくも関心したような声を上げた。ミキは憤然とした様子で腕を組みなおす。その傍らで、アキは肩を竦めていた。
「それであの、アサクラさん。それとGSLってどういう?」
「GSLは論理空間からの干渉を受けて生成されるナノマシンの群体だ、というところまではいいな?」
アサクラは律義に説明を始める。アキは「そこは大丈夫」と応じる。
「ただし、GSLとして姿を現す場所には当然のことながら、それに呼応し得る量のナノマシンが必要となる。だから、GSLが消失した後もナノマシンの痕跡は残る」
「でも、エメレンティアナと思しき奴のナノマシンは検出されなかった」
「そうだ、ミキ」
アサクラは肯く。眼鏡のレンズが鈍く輝く。
「そこが従来型のGSLとの差異だ。似て非なるものとも言えるが、原理は似たようなものだ」
「だが、ナノマシンを必要としない」
「ああ、その通りだ」
アサクラはゆっくりと立ち上がりつつ、手元のコンソールをなにやら操作した。メインスクリーンに、先ほどの戦闘状況の解析映像が映し出される。
「最初の時点からナノマシン群体は検出されていない。従来型GSLとはこの時点で違っている。だから、お前たちがエメレンティアナを生身だと思ってしまったのはやむをえまい」
なるほど、と、アキとミキは同時に呟いた。
「カタギリ」
アサクラはどこへともなく呼びかける。すると、メインスクリーンの片隅に少年の姿が現れた。少年の顔は、いつも通り無表情無感情に、アサクラたちを睥睨している。少年の口が義務的に動く。
『確かに、奴は疑似Agnを支配し、その論理演算能力によって、物理層に実体を現す術を手に入れた』
「それは……?」
アキの声はほんのわずかに震えている。カタギリは少しだけ目を細める。そして、答えた。
『すべては錯覚だ』
「さっかくぅ……!?」
アキとミキは同時にそう反復して絶句した。アキが半歩前に出て訊いた。
「じゃぁ、あたしたちが受けた攻撃っていったい……」
『錯覚の定義からの話になるがね、アキ。あの攻撃は間違いなく現実のものだったろうさ、お前たちの中ではね』
「あたしたちの中では? いや、でも、現に林の中にも攻撃の痕跡はあったのに」
『そうだな。だがそれは、お前たちの感覚での認知に過ぎない』
「えええ?」
アキは首を傾げ、そしてミキを見た。ミキは肩を竦める。
「ってことはナニかい、カタギリ。あの攻撃自体アタシたちの思い込みで、その攻撃の痕についても、アタシたちの誤認識みたいなものだったっていうのかい?」
『そういうことだ』
「そんな馬鹿な」
ミキはことさらに大袈裟に肩を竦めた。カタギリは冷徹な瞳で三人を見下ろしている。
『お前たちはあの現象を確認した。認識した。観測した。それにより、現実が歪められた。実際の物理層には何らの影響はなかったにも関わらず、お前たちの視ている物理層は確実に変異させられた』
「え、ちょっと待って?」
アキは顎に手をやりながら考え込む。
「あたしとヒキ、二人が受けた襲撃は?」
『あれもまた、同じだ。そもそもC4自体存在していないし、サトーなんていうメンバーだって存在していない』
「嘘!? サトーは間違いなくいるじゃない。あたしたちの仲間でしょう?」
『いつから? どんな出会いをした? その顔は? 声は?』
畳みかけるような問いかけに、しかし、アキは答えられない。ミキも困惑した表情を見せている。アサクラは口角をほんの数ミリだけ押し上げて腕を組んだ。
「ねぇ、アサクラさん。サトーっていたよね? ね?」
「お前の記憶の中には、漠然とした何かはあるのだろうな」
「そんな……」
嘘の記憶を書き込まれたっていうの?
アキは混乱する。だがしかし、ハッキングを食らう余地なんてなかったはずだし、第一にそうであるならカタギリが傍観しているはずもなく、通告してこないこともないだろう。であるならば、なぜ、どうして? いったい何が……?
『無理からぬこと。奴の、エメレンティアナの掌握しているAgnは、模造品であるとはいえ、In3ネットの完全上位互換。あの時私が本拠としていたのはまぎれもなくIn3ネット。私の支配領域を完全に格納してしまっているあのAgnもどきのサイバースペースは、間違いなく私の支配領域にも影響を及ぼした。ただし、それは我々のような、エメレンティアナにとっての被観測対象には分からない視点というわけだ』
「ということは、エメレンティアナはカタギリさんをも凌いで……」
『過去の話だ』
少年は無感情に言った。
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