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なるほどな。
アサクラは目を閉じたまま、呟いた。
――お前の望みも理解しているつもりだぞ、アサクラ。
カタギリはそう言った。
ならば良し。
「まぁ、待て、アサクラ」
聞き慣れないその声に、アサクラは驚いて目を開けた。
「長谷岡、龍姫……」
「いかにも」
長身にして赤毛の、おおよそ日本人らしからぬ風貌の女性が、アサクラのすぐ隣に立っていた。アサクラを見下ろすその両目は金色で、ますます人間離れして見えた。それが本然の姿なのかアバターなのかは、アサクラの認識能力を以てしてもわからない。
長谷岡は目を細めながら言った。
「人は放っておいてもいずれGSLと化す。何も慌ててその道を取る必要はなかろうよ」
「しかし、この世界では人は長くは生きられない」
「悲観するな、アサクラ」
励ますように長谷岡は言う。
「確かに、環地球軍事衛星群には、全人類のメモリを再現できる仕組みがある。世界を移し替えることも可能だし、私も実際にそのように設計した。ジークフリートによる上書きもいつでも可能なように整えてある。だがな」
長谷岡はのんびりと開いている椅子を持ってきて、アサクラの隣に腰を下ろして足を組んだ。
「もう少し待ってみても良いだろうと思うのだ、私は」
「しかし」
「この世界のプロトコルを守ろうとしたことには敬意を表する。だがな、やはり人には物理のレイヤは不可欠なのだ。論理の中だけで生きられる者ばかりではない。そのようなものは、量子演算の中で選択的に淘汰されるだろう」
「だが、それは小さな犠牲に過ぎない」
「だな。それは、そうだ」
長谷岡は一つ頷く。
「だがね、八木は良い子だ。あの子はそれを良しとしなかった。だから私と賭けをした。全てを救うか、全てを滅ぼすか。あの子が勝てば人々は今を生き、あの子が負ければ人々は未来に生きる――ただし姿も意識も変えて」
「俺はしかし、あるべきものが生き残れば、再び人類は再生すると信じている。しかし今は」
「あるべきでないものも生き残ると」
「そうだ。人類はチャンスを得た。優れた資質のみを受け継ぐチャンスを」
「ははは!」
長谷岡は笑う。
「ノアの箱舟の話は知っているかい、アサクラ」
「もちろんだ」
「ノアの家族たちはおしなべて、ほかの人間に比べてとりわけ優れていたのかな」
その問いに、アサクラは沈黙する。長谷岡は凄みのある微笑を見せる。アサクラは険しい表情を見せて言う。
「かの大洪水にあっては、神の意に従った者だけが生き延びた」
「アサクラ。お前は、神の子なんだ」
「……何を言っている」
「だから、お前は神と共に死なねばならない」
長谷岡のだらりと下げられた右手には、いつの間にか拳銃があった。アサクラは眼鏡を外して、一つ息を吐いた。
「なるほど」
アサクラはその鋭い視線で長谷岡を直視した。長谷岡は何ら感情を込めることなく銃を持ち上げる。
「最期に訊いてもいいか」
「どうぞ」
「いつからだ?」
「十年前」
大戦終結間際の話か。
アサクラは「なるほど」と再度呟いた。
「つまりこの世界はすでに」
「そう。すべては造り物。お前はね、アサクラ。この世界に送り込まれたウィルスなんだ」
「まんまと、してやられたな」
アサクラは立ち上がると再び眼鏡を掛けた。
「大戦末期のGSL騒動の時点で、話は全て終わっていたというわけか」
「それは違う。違うよ、アサクラ」
長谷岡は首を振った。
「あの刻に、人類の新たな世界が始まったのさ」
「ならば」
アサクラは銃口に真正面から向き合いながら口を開く。
「俺の望みはお前たちがすでに叶えてくれたということではないか」
「それも違う」
慈悲のない否定の言葉に、アサクラは一瞬表情を強張らせた。
「人類はその記憶、その愚かしい本質を含めて、その形態素の全てを神の指輪に託した。乙女たちはそれを拾い上げ、再び世界を創り出すだろう。物理世界では、あれからまだ何億分の一秒と経ってはいない。神の指輪の内で、人々は救済と絶望を繰り返し、そしていずれ、地球へと戻るだろう」
「なぜだ」
アサクラは混乱していた。
「なぜ、人々を進化させない。なぜだ。人々は争いを続けるだろう。人々は愚かなままだろう。なぜ、このチャンスにそれを変えようとしないのか。それは欺瞞にして怠惰と言わざるを得ない」
「なぜかって?」
長谷岡が目を細めた。
「それは神の仕事だからさ」
ぶつん――。
世界が暗転した。
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