03-012「現実を観測するもの」

Aki.2093・本文

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> agn.detect("CrystalDoll")
> def detect(str target)
> ...

 カタギリは超然とした声と表情で語る。

『今の私はAgnアグネスへの経路情報パスを手に入れている。未だ支配ドミネイトするには至っていないが、それでもこのAgnアグネス偽物ミームがこちらのIn3ネットおよび我々が物理層フィジカルレイヤと呼ぶものに、いつどのような影響を及ぼしたのかはリストアップできている』

 カタギリの話はあまりにもスケールが大きすぎて、アキには半分も理解できていなかったように思う。だが、アキはそれでも、カタギリが何かとんでもないものを掴んだのであろうという事だけは感じることができた。

「つまり、ええと、カタギリさん。Agnアグネスはあたしたちが現実だと感じているこのレイヤに対して、物理的に干渉できる何かっていうこと?」
『半分程度はその認識で正解だが、アキ、お前は認識主体の理解を誤っているな。つまりだ、我々はその本質本然が、最初からAgnアグネスの内側に存在しているものだということだ』

 超然と放たれた言葉に、アキは言葉を見失う。代わりにミキが前に出た。

「物理層とかいうレイヤは、つまりAgnアグネスの内側に構成されたプログラムだと、そういうわけか」
「あたしたちがプログラム……?」
「そういうことだな? なぁ、カタギリ、アサクラ」

 ミキが鋭い視線をアサクラに向けて尋ねる。アサクラはふっと口角を上げる。

「ああ――」
『そうなるな』

 アサクラの肯定をカタギリが引き継ぐ。アサクラは顎をしゃくってカタギリにバトンを完全に手渡した。

『もっとも、我々自身には、それをそうだと断定する能力はない。この現実を前にして、我々の知覚も追いつくことはない』
「カタギリさんでも?」
『ここに長谷岡ハセオカ龍姫タツキ博士でもいれば話は違っていたかもしれないがね』
環地球軍事衛星群グラディウス・リングの……」

 アキのかすれた声に、カタギリは軽くうなずいた。

『長谷岡博士は人類を超越した存在だ。長谷岡博士と八木博士――この二人によって、我々が現世うつつよと認識するこの領域が創造されたと言っても良いだろう』
「八木博士って、あたしたちの生みの親の?」
『そうだ。二人とも人類という枠組みから喪失ロストしはしたが、その支配領域ドメイン自体は拡大し続けている。人類というビットの増殖と拡張に伴ってな』
「二人はいったい……何だっていうの? 人間じゃ、ないの?」
『人間というものの如何いかにするかという度合いの話にはなるが、少なくとも既存人類の、つまり我々のの枠には収まりきらなかった意識体であったと言って良いだろう』

 アキの問いに律義に応じ、カタギリは画面の片隅で腕を組んだ。

『そもそもAgnアグネスを創造したのは長谷岡博士だが、そこにIn3ネットを取り込み、我々がへの干渉を行えるようにしたのは――そのマニュピレータとなるものをつくったのは、八木博士だということだ』

 その言葉に、アキは衝撃を受けていた。カタギリが何を言っているのか、本能に近い部分の何かが直感的に理解したからだ。

「それって……それって……」
「アタシたちが、そのマニュピレータだとでも?」
『そういうことだ。機械化人間ワイスドールというのは、その世界を顕現リアライズさせるためのギミックの一つとして生成されたというのが、私がAgnアグネスより手に入れた情報だ。それ以上の情報は、今もって精査中だがね』

 こともなげに言うカタギリだったが、アキとミキはまた顔を見合わせてそのまま硬直した。ミキが呟くように言う。

「アタシたちがそのAgnアグネスとやらの、アタシたちが今の今まで現実だと思っていた世界に干渉するための、道具……だってことか」
「だとしたら、十年以上前にこうなることはすでに仕組まれてたとか、そういうサスペンス的展開だとでも言っちゃうわけ?」

 二人はなお懐疑的に呟く。しかし、カタギリとアサクラは同時に淡々と首肯した。今度はアサクラが口を開く。

「そもそも長谷岡博士によってGSLというものが定義され、現実化された時に、そのテストは始まっていたのだ。GSL――福音の徒ゴスペルリーダーなるものが定義されたのと同時にな」
福音の徒ゴスペルリーダー?」

 どこかで聞いたような単語に、アキが首をわずかに傾けた。

「In3ネットの海からようやく見つけ出したコードだ。長らく不明だったGSLの意味するものの答えは、Agnアグネスの丘から俯瞰ふかんした時に初めて見えるものだった」
「つまりどういう意味なんだい、アサクラ」

 ミキがくように尋ねる。アサクラは白衣のポケットに両手を突っ込みながら、抑揚のない声で回答した。

「導き手だよ、奴らGSLは。我々人類を導くために生み出されたと言っていいだろう」
「あの、デカブツが?」
「そう、この前のアヴァンダ、そして今回のベルフォメト、そして――」
『深淵なる者』

 カタギリが囁くように言った。その表情は相変わらずである。アキはその物騒な響きに思わず。薄暗く広大な室内で、アキはいつも以上の孤独を覚えていた。カタギリはもとより、アサクラも、そしてミキさえ遠くに行ってしまったような寂寞せきばくとした感触を心に感じていた。そして同時に、ヒキやアカリ、アヤコといったよく知っているはずのメンバーたちも、本当は存在なんてしていなかったのではないかなどという疑念から逃れることが出来なくなっていた。

「アキ、不安か?」

 ミキがアキの肩に手を置いた。ミキの重武装が物騒な音を立てる。アキは言う。

「不安、だよ、そりゃ」
「そうか」

 ミキは相槌を打ち、そしてニヤリと唇の端を持ち上げた。アキにはその表情の意味が分からない。

「心配するな」

 そんなアキの心情を知ってか知らずか、ミキは言う。

「アタシだって不安さ。だがね」
「大丈夫」

 アキはミキの金属で覆われた手の甲に掌を重ねた。

「ミキは現実だ。あたしにとって」
「アタシもそう言おうと思っていたところさ」

 ミキは豪快に笑い、そしてアサクラに向き合った。

「で、だ、アサクラ。アタシたちは予定通りベルフォメトの邀撃ようげきに当たればいいってわけかい」
「そういうことだ」

 アサクラは「当然のことをくな」と言わんばかりに頷いた。ミキは鼻を鳴らす。

「この世界が誰に何と定義されていようが、関係ない。アタシたちはアタシたちの現実を信じるほかにない。疑うとしたら、それはアタシたちが絶望した時だ」
「ほう、絶望した時か」
「そういうことさ、アサクラ」

 ミキはまた凄みのある笑みを見せる。

「アタシたちは機械化人間ワイスドール。人間に創られし人間ってやつさ。人間という定義を超越した数少ない人間のような何か。それがアタシたち。そんなアタシたちが、この現実を現実として認知できなくなってどうするのさという話さ。だろ、アキ」
「……そうだね。疑ってもどうにも変わるものでもないし。だったら、やるしかない。アタシたちは人類を守るために創られた。守れと言われて生み出された……んだと思う。そう信じたい。得体のしれない何とやらに蹂躙される人々を見過ごすことは――たとえそれがAgnアグネスの創った箱庭の中の出来事でしかないにしても――できない」

 アキは力強く言い放った。ミキは「オーケー」と手を叩く。ガシャリガシャリという金属音の方がよく響いたが。

「でもちょっと待って。アサクラさん、あたしの知っている現実は、どこまでが現実なの? サトーが存在してないなんてことも、にわかには信じられないけど。だとしたらヒキは? アヤコは? アカリは?」
「心配するな」

 アサクラは短くそう答え、もはや関心はないと言わんばかりに背を向けて椅子に腰を下ろした。

「アサクラさん」

 詰め寄ろうとするアキを、ミキが手で制する。

「アキ、ここであいつが現実をどう定義したとしても、アタシたちはそれを信じることはできない。アタシたちにとっての現実を定義できるのは、あいつじゃない。アタシたち自身だ」
「ミキ……」

 アキは演技じみた動作でをつき、自分たちを睥睨しているカタギリのアバターを見上げた。カタギリは冷え切った陶器のような表情で、アキとミキを見ていた。

『そういうことだ。ただ、一つ忠告しておくぞ、機械化人間ワイスドールたち。世界というのは主観によって作られる。そしてお前たちはその主観にとっての入力装置インターフェイスなのだ』
「アタシたちだけってわけじゃないだろう、カタギリ。世界中の機械化人間ワイスドールがそうであると言えるだろう?」
『それは解析中だ』

 カタギリは少しだけ微笑んだ――ように見えた。そしてまた無表情に戻って情報を追加する。

Agnアグネスの中に、というキーワードを発見した。詳細は不明だが、お前たちになんらか関係のあるものだろう』

 クリスタルドール、ねぇ? と、アキとミキは顔を見合わせる。そして同時に肩をすくめた。

「とりあえず――」

 ミキはアサクラたちに背を向けた。アキもその後ろについていく。

「アタシたちにできるのは、アタシたちにとっての現実を一つ一つ確認していくということだな、アキ」
「んー。それさえ現実なんだか怪しいものだけど」
「それでもだよ、アキ。アタシたちがAgnアグネスとやらのインターフェイスだというのなら、Agnアグネスとやらに、アタシたちがアタシたちの現実を教えてやりゃいいのさ。アタシ曰く、アタシの言う現実こそ現実なり、そんなとこ」
「強いね、ミキって」

 アキは素直に感心する。ミキはアキ以上に思慮深く、アキ以上に強い。アキは、ミキの前に出ると子どもに戻ってしまう。同じ機械化人間ワイスドールとして、お互いがお互いにとっての最大の理解者であり、最高に信頼し合うパートナーだった。それは、現実だ。

「アタシが強いって?」

 エレベータに乗り込みながら、ミキが目を見開く。

「そりゃ違うわ、アキ。アタシはね、自暴自棄ヤケなのさ」
「それでも、あたしにとってミキが強いっていうのは現実だよ」
「ふふ」

 ミキは不敵に笑う。アキも同じような微笑を見せる。ミキはアキの右肩に手を置いて、一層凄絶な笑みを形作る。

「さ、まずはヒキとアヤコが現実に存在するか、確かめに行こうじゃないか」
「りょ」

 アキは頷いて足を進めた。

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