BD-04-02:錬金術師ギルド

赤の魔神と錬金術師・本文

 セレナが神官補たちを引き連れて旅立ったのを見送って、シャリーはケインたちの店へと向かった。シャリーは一度歩いた道を忘れることがない。その抜群の方向感覚から、錬金術師ギルドの知り合いたちからは「伝書鳩」の渾名あだなをつけられていたくらいだ。

 ディンケル海洋王国は、良くも悪くも平和な国だ。メレニ太陽王国の事実上の属国ではあるにしても、その支配はもう七十年にも渡っている。その支配の始まりを覚えている世代は、ほとんどが亡くなっていたし、教育に於いてもおそらくはメレニ太陽王国の意志が盛大に関与していることだろう。ディンケルの人々の多くは、その骨の髄までメレニ太陽王国ので日々平和に暮らせているのだと思っている。

 それはそれでまた一つの平和の形、なのかもしれないけど。

 シャリーは複雑な気持ちになる。

 しかし、見せかけの平和の裏では、ディンケルは搾取にあえいでいる。少なくともメレニ太陽王国の繁栄と比較すると、あきらかに――劣っている。軍事力の貧弱さもその証左だ。が白昼堂々と闊歩しているのもまた、現在のディンケルの事情をよく現していた。この状況に反発を覚える人は少なくはないだろう。国内は常に燻っていると考えても良さそうだった。なにしろ、ディンケルの象徴でもある王家すらあからさまにないがしろにされているのだから。

 以前の城は要塞の如し――ケインがそんなことを言っていた。

 かつての城はいったいどこにあったのだろう。シャリーは立ち止まると周囲をぐるりと見回してみた。海に至る緩斜面に作られた白い都は、家々がびっしりとひしめきあっていて、王城のような巨大構造物の入る余地はなさそうだった。丘の上には城とは言い難い大きさの王城が建っているが、あそこに本来建つべきなのは見張り小屋だ。

 となると、残されているのはだ。

 朝日を反射してキラキラと輝く青い海を眺めて、シャリーは考え込む。通りを行き交う人々が、怪訝な顔をして通り過ぎていく。王都は賑わっている。整然たる街並みを人々が錯雑と忙しく歩いている。その表情も様々だったが、メレニの兵士たちに向ける嫌悪感に満ちた視線を除けば、やはり概ね平和であると言えた。しかしそれは、とりもなおさず、メレニ太陽王国による支配がことの表れでもある。

 空腹を覚え、食材の並ぶ屋台を眺めていた時に、シャリーは自分が無一文だったことを思い出した。

「ギルドに行くしかないか」

 霊薬をいくらか納品すれば、当面の食費には困らないだろう。寝泊まりする場所は確保できたと見るべきだし。シャリーは計算をし、一人頷いた。

 ディンケルの錬金術師ギルドは海沿いの倉庫街のどこかにあったはずだ。近くに行けば誰かに教えてもらえるだろう。それよりも懸案事項なのは、ディンケルの錬金術師ギルドが、シャリーに対して友好的か否か、という点だ。非友好的だったメレニ太陽王国のギルドでは、のらりくらりと霊薬の納品すら断られた。お陰で飢えに苦しむことになった。今無一文なのも、全てあのギルドのせいだ。

 ぶちぶちと不満を思い出しながら歩いているうちに、いつの間にか目的の倉庫街に辿り着いていた。シャリーはこれ以上ないほどの健脚だったから、相当長距離を歩いたにも関わらず疲労はほとんどない。

 目的の建物もすぐに見つかった。一番安っぽい建物、と教えてもらった通り、周囲の堅牢な倉庫たちと比べると圧倒的な安普請やすぶしんさだった。シャリーが何より驚いたのは、錬金術師ギルドの扉の前に兵士の一人も立っていなかったことだ。扱っているものがものだけに、通常は厳重な警備体制が敷かれている。

 シャリーは未だに確信を持てぬまま、黒い扉を叩いた。

「すーみませーん」

 ノックをしても反応がなかったので、シャリーは恐る恐る扉を開いた。

「はいはい」

 背後からかけられた声に、シャリーは飛び上がらんばかりに驚いた。

「あ、あわわわ」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」

 そこには大きな荷物を背負った中年の男が立っていた。くすんだ金髪と灰色に近い青い瞳の、学者然とした男だった。

「ここは錬金術師ギルド。かの天才錬金術師のシャリーさんですね」
「え、あ、はい、そうですけど、どうして?」
「エライザ様から今朝方手紙が届いていてね。ま、そんな手紙なんてなくても、私はあなたを知っているんだけど」
「え、えっと」

 シャリーは記憶の中から錬金術師たちを引っ張り出す。

「あっ! 三級の試験のときの面接官!」
「さすがの記憶力! その通り!」
「オーザさんでしたよね。あれ、でも確か所属はメレニの……では?」
「ははは、左遷されてしまってねぇ」

 オーザは頭に手をやった。

「で、今はここで統括っぽいことをやってるんだ。閑職なんだけどね」
「そうなんですか?」

 シャリーはがらんとした建物の中を眺め回す。数名の錬金術師と思しき若者の姿はあったが、他のギルドにあるような賑わいはまるでなかった。内装に至るまで質素の極みだった。使われてない倉庫だと言われたら信じてしまうかもしれない。

「霊薬の出荷とかはどうしているんですか、ここ」
「うちはほとんど取次みたいなもので、生産はほとんどしてないんだ」
「取次? どういうことですか?」
「ここはメレニの代理店さ。メレニで作られた霊薬を売りさばき、売上の殆どをメレニのギルドに還元する。この国と同じ。従属関係ってやつだよ」

 オーザは建物の一番奥まった場所にあるソファを勧めた。テーブルを挟んだ反対側に自分も腰をおろす。その時、の帯を付けた錬金術師が冷たいお茶を持ってくる。

「ここ、の方しかいませんけど」
「そうなんだ」

 オーザは溜息をついた。

「四級以上は全部メレニ行き。うちで育ててメレニに出荷。そんな感じ。うちは研修所みたいな扱いなんだよね、メレニの連中にとっては」
のオーザさんにそんな扱いするなんて」
「まぁ、二級だからこの程度さ。錬金術師ギルドの方針に異を唱えるのは無謀だったよ」
「そんな……」

 シャリーは少なからずショックを受ける。

「そんな状況じゃぁ、私の霊薬の買い取りも難しいですねぇ」
「すまない。買い取りの資金すらないんだ」
「わかりま――」
「魔石があれば」

 オーザの目が鋭く光った。シャリーは身構える。

「魔石があれば、君の二級昇格も現実味を帯びる。違うかね」
「魔石……」

 シャリーは躊躇ためらいながらも頷いた。それは誰がどう見ても事実だ。敢えて否定しても、話がややこやしくなるだけだ。

「魔神サブラスがこの国に封印されている――その噂を流したのは私なんだ」
「そ、そうなんですか。なんでそんなことを」

 シャリーの疑問に、オーザは柔和な微笑を見せる。だがシャリーは、その奥にあるキリのように鋭い何かを見逃さなかった。

「あの魔神はディンケル海洋王国が作られた六百年前には、すでに存在していた。王室が研究用に使い始めることができたのは、この百年かそのくらいなんだが。ただ、それ以前から王室は魔神の存在を認知し、そして完全に隠蔽してきた」
「お、王室が、ですか」
「そうだ」

 オーザはお茶を一口飲み、言葉を続けた。

「七十年前のメレニ太陽王国への従属の折、王室はその記録の全てを処分してしまった」
「それって……王室主導で魔神サブラスを利用しようとしていた、ということですか」
「そうとしか考えられないだろう?」

 私はメレニに長くいたからね、と前置きして、オーザは腕を組んだ。

「メレニの歴史を紐解いているうちに、七十年前から五十年前の実情が見えてきたんだ」
「五十年前、というと、王城があの丘の上に移った時、でしょうか?」
「よく知ってるね。まさにその話だ」

 オーザはそこで少し強めに咳き込んだ。シャリーは思わず腰を浮かせたが、オーザは右手を振ってそれを止める。

「それからの五十年というもの、ディンケル海洋王国はメレニ太陽帝国のもと、表向きは平和に過ごしてきた。それは魔神に関する資料が喪失していたおかげだった、とも言える」
「まさか……メレニは魔神の軍事利用を防ぐために、ディンケルを制圧したと?」
「そういう一面は否定できない」

 無論、あわよくばその力を我が物に――そんなところだろうと、シャリーは考える。

「だが、魔神の研究資料を喪失してしまったメレニの首脳部は、魔神サブラスの制御方法をついに知ることはできなかった。であれば、魔神をより完全に封印する道を選んだ。その結果、王城は海に沈んだ」
「う、海に? 王城は海の上にあったのですか」
「そうだ。ここからほど近い場所だよ」

 オーザが言うと、シャリーは顎に手をやって天井を見上げた。

「封印された状態のまま、海に……」
「うん。そしてそのまま忘れ去られるはずだった。実際にその後数十年間、誰も魔神サブラスなんてものを思い出したりはしなかった。でも、魔神はもう目を覚ましつつある。私たちがその魔石をめがけて動いているのがその証拠だ」
「どういうことですか?」

 シャリーは唾を飲んだ。オーザはその目でシャリーを射抜く。

「私たち、王室やギラ騎士団といった物騒な連中までがこの時になって一斉に動き始めた。私が噂を流さなくても彼らは動いていた。それは時期的に考えても間違いない。こんな偶然が起きるとは思えない」
「魔神サブラスが封印を解かせるために私たちを引き寄せている、と?」

 シャリーの言葉にオーザは頷いた。シャリーはわずかに視線を鋭くした。

「オーザさん。あなたが魔神の噂を流したとおっしゃいましたが、それは何のためですか。あなたもまた、封印を解くことで何かを得られるのではないのですか」
「私もね」
 
 オーザはまたお茶を飲み、ひとつ息を吐いた。

「魔石が欲しいんだよ、シャリーさん」
「それは……錬金術のため、でしょうか」

 シャリーは少し前のめりになって尋ねた。オーザは灰青の目を細め、またお茶を飲む。

「そういうことにしておこう」

 静かな声で告げられたその回答に、シャリーは気付かれぬように息を飲んだ。

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