BD-05-02:手繰られる陰謀の糸

赤の魔神と錬金術師・本文

 オーザは海岸に倒れていたところを、錬金術師ギルドのメンバーに発見された。その後すぐに霊薬による処置がおこなわれたということだった。だがどうやら、シャリーとともに海岸に出て以降の記憶が完全に喪失しており、錬金術師ギルドの中では「魔神の呪いによるもの」ではないかという説が濃厚になっていた。

 シャリーは湯呑で冷たいお茶を飲みながら、応接ソファで昏々と眠るオーザを眺めている。

「生命の魔神に会ってきましたよ」

 そう囁くと、オーザは小さくうめき声を上げた。

「あの魔神の魔石があれば、あなたの病気も治せるかもしれません」

 もしかしたら、ですけど――。

 シャリーは湯呑を置いて立ち上がる。若い錬金術師が気を利かせて近付いてくる。

 その時だ、ドアが少々乱暴に叩かれた。若い錬金術師はシャリーに軽く会釈すると、ドアに向かって駆けていき、鍵を外してドアを開けた。

「エ、エライザ様!?」

 その声が裏返る。

「セレナはいるか?」
「い、いえ……」

 狼狽する錬金術師を押しのけるようにして入ってきたエライザは、シャリーを見つけるなり大股で近付いてきた。恐ろしく長身のエライザであったから、その姿にはかなりの威圧感があった。

「シャリー、ちょうどよかった」
「ええ、お話しいたします。神殿で、いかがですか」
「そうだな、それがいい」

 エライザはシャリーの手をぐいと掴むと、一瞬だけ目を閉じた。

 その次の瞬間には、シャリーたちは、エレン神殿のエライザの執務室に姿を現していた。シャリーは平衡感覚を完全に失ってへたり込んでしまう。

「ふらつきはすぐ収まる。慣れの問題だ」

 エライザはシャリーを助け起こし、四人掛けのソファの一つを勧めた。エライザ自身はその向かい側にある同じソファに腰を下ろして足を組む。

「それで、シャリー。事の顛末を聞かせてもらえるか」

 依頼という体裁を取った命令口調で、エライザは言う。ソファで目を回していたシャリーは、それでも何とか頷くと、オーザとの再会から錬金術師ギルドへの帰還までの話を、無駄なく正確に伝えた。簡潔明瞭にまとめられたその顛末を聞きながら、エライザは厳しい表情を浮かべている。さしものシャリーも、その手のひらに汗が浮かぶのを止められない。

「なるほど、やはりセレナは巻き込まれたか」
「やはり……とおっしゃいますと?」
「あいつがクレスティア様の化身であるという話は、にわかには信じられない。だが、それでも魔神に見初みそめられたのは事実。助けに行かねばならない」
「はい。それに、魔神はまるで私を待っているようでもありました」
「うむ」

 エライザは曖昧に頷く。シャリーは「あの」と躊躇ためらいがちにエライザを見る。

「我々が魔神と交戦している最中に現れた黒ローブの集団は何だったんでしょう」
「あんな所にあの短時間で組織的に現れることができる魔導師の集団となれば、ギラ騎士団以外にはいないだろう」
「ギラ騎士団……」

 シャリーでもその存在は知っている。お世辞にも善良とは言えない魔導師集団だ。各国の精鋭騎士たちは、彼らの動向と対応に注力している状況だとも聞く。それほどまでにどの国をと問わず、それぞれの国家にとって脅威なのだ。

「となれば、エライザ様。魔神サブラスは倒されてしまった、とか?」
「いや」

 エライザはシャリーを連れて窓際に歩く。そこからは海辺に出現した暗黒の城がよく見える。

「あの城そのものがサブラスだと、うちの宮廷魔導師は言っている。いわく、あの城は五十年前に沈められたものではあるが、長年サブラスの魔力にさらされ続けて形質変化を起こした。今やあの城が魔力の源泉。いわば、あの城自体が魔石になっている」
「あの城自体が……魔石!?」

 シャリーが驚愕の声をあげると、エライザは眉根を寄せてうなずいた。

「我々はサブラスの能力を見くびっていたようだ」
「オーザさんは、サブラスのことを生命の魔神と呼んでいました」
「ああ」

 窓を背にして、エライザは頷く。

「そう呼んでも差し支えないかもしれないな」

 サブラスの量産――については、エライザは沈黙を守った。ディンケル王宮およびエレン神殿が、ギラ騎士団と裏で手を組んでいるという事実についても、シャリーには開示しなかった。セレナにも、である。

「ともかくも、セレナのことをクレスティア様の化身だとみなしているのならば、時間はさほどないな」
「ならばすぐにでも……!」
「いや」

 エライザは首を振る。

「ギラ騎士団の動きも気になる。無策に動いてどうにかなる集団ではないのだ、ギラ騎士団は。それに奴らが魔神相手に何を考えているのか。一昼夜、様子を見たい」
「しかし、エライザ様!」
「シャリー」

 何かを言い募ろうとするシャリーの言葉を遮断して、エライザは口の右端を上げた。

「キミは、運命というヤツを信じるか」
「信じざるを得ません」

 シャリーは即答した。エライザはまた窓の外に視線を飛ばし、頷く。

「そうだな。信じざるを得ない」

 そう言ったエライザの顔には深い影が刻まれている。それはシャリーには一種禍々しくさえも見えた。

「エライザ様」
「……なんだ?」
「魔神サブラスは何を目的に……」
魔神ヤツらの目的など一つ。この世界の制圧だ」

 エライザは断じる。

「かつて紫龍セレスの出現に乗じてこの世界に入り込んだ連中が魔神だ。その尽くが龍の英雄によって打ち倒されはしたが……奴らは紫龍セレスある限り、決して滅ばない。封印されている現在でもなお、数多の魔神たちが巡らせたに、我々人類は縛られている」
「ヴラド・エール神とエレン神もまた……?」
「さもありなん」

 エライザはソファに腰をおろして足を組んだ。シャリーにはその青紫の目は輝いているようにさえ見えた。

「我々は運命の力によって導かれている。私とキミがここにいるのもしかり。されどな、それに諾々と従うか否か。決めるのは私であり、キミであり、セレナだ。それ以上も以下もない」
「……はい、しかし」

 シャリーは顔を上げて真正面にエライザを見る。

「魔神サブラスのあの様子から、今すぐにでもセレナさんを助けに行くべきです。私とケインさんたちだけでは無理でしたが、エライザ様のご助力をいただけるのであれば、それも不可能ではないかと」
「確かに、私とアリアがいれば打開自体は可能だろう。だが、我々には我々の都合がある」
「それは――」
「案ずるな」

 エライザはその目でシャリーを射抜いた。

「セレナがクレスティア様の化身であるというのなら、エレン神の聖騎士である私が放っておけるはずもないだろう」
「それは、そうですが」

 そうまで言われてしまっては、シャリーはもはや言い返せない。事ここに至って、聖騎士エライザの不興を買うことだけは避けたかった。

「エライザ様、必ずセレナさんを」
「くどいぞ」

 エライザは勢いよく立ち上がった。

「私は必ずセレナを助ける。魔神サブラスもギラ騎士団も殲滅する。セレナは戻り、キミは魔石を手にするだろう。どこに不満がある?」
「……いえ」

 シャリーは扉の前に移動すると、一礼して部屋を出た。

「ふむ」

 ドアが閉まったのを確認してから、エライザは窓枠に背中を預けた。海から吹く時期外れの寒風が、エライザの金髪をもてあそぶ。

「アリア、いつからいた?」
「最初からですよ」

 先程までシャリーが座っていた場所に、宮廷魔導師のアリアが悠然と姿を現した。

「あなたは少し短気なのが欠点ね」
「かもしれんな」

 エライザはアリアの真正面に腰を下ろす。

「それで、あなたはあの子の言葉。どこまで真に受ける?」
「シャリーの言葉に嘘はないだろう」

 腕を組みながらエライザは答えた。アリアは少し意外そうな表情を見せた。

「セレナがクレスティア様の化身であるという話も? 真実だと?」
「ああ」

 エライザは投げやりに頷く。

「――あり得ない話ではない」
「永遠の転生者、ですか」
「ゆえに、だ」
「だとしたら」

 アリアは焦げ茶の瞳にうれいをたたえている。エライザは小さく息を吐く。

「それもまた、運命だ」
「運命というものに諾々と従うか否かを決めるのは、私たち自身なのではなかったかしら?」
「キミはそんなに正義感の強い大魔導だったかな?」

 揶揄するようなその問いかけに、アリアは凄みのある微笑を見せる。

「誤解しないで。私は神様に恩を売っておきたいだけよ、エライザ」
「はは」

 エライザは乾いた笑声を漏らし、そしてギラリとした目でアリアを見た。

「聖騎士を前によくも言う」
「あら、私はどの神様もあがめてはいないもの」
「異端だな、キミは、まったく。魔導師ならば、ゼネス神殿くらい通えば良いものを」
「冗談じゃないわ。学問にいては自由でありたいもの」

 アリアはあっけらかんとした口調でそう応じ、「それで」とエライザを直視した。

「本当に、ギラ騎士団に任せておくつもり?」
「ふん」

 エライザは背もたれに両腕を乗せながら、顎を上げた。

「奴らが魔神に壊滅させられるならそれで良し。あわよくば魔神の量産体制とやらに漕ぎ着けられるのならば、より良し。いずれにせよ、奴らには死んでもらうつもりではいるがな」
「シャリーたちはどうするつもり? あの子たちも知りすぎた、と言えると思うけど」
「ふっ……」

 凄絶な微笑を見せ、エライザは言った。

「ヴラド・エール神に慈悲があるのならば、あるいは助かるかもしれんな」
「恐ろしい人ね、あなたは」
「よく言われる」
「知ってるわ」

 アリアは目を細めて刃のように輝かせ、エライザは喉の奥で低く笑った。

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