BD-05-04:襲い来るセレナ

赤の魔神と錬金術師・本文

 一瞬の暗転の後、シャリーたちは見知った空間に出ていた。あの魔神サブラスと戦った広間だ。

 そこは静寂に包まれていて、いまや戦いの痕跡の一つも見当たらない。

「どういうことだ? 魔神は? ギラ騎士団の魔導師たちは?」

 いち早く立ち直ったケインが言った。シャリーはまだ目を回していた。アディスは鋭い視線で周囲を睨み回している。

「奥に扉が隠されています」

 アディスは杖を突き出して、短い呪文を唱えた。バチンと派手な音が鳴り、壁の一部が扉に変わった。ケインは慎重に足を進めて周囲を観察し、しばらくしてアディスとシャリーを扉の前に招き寄せた。

 アディスは顔をしかめて言った。

「うっすらとですが、ここから魔力が漂ってきています」
「ま、行くか」

 ケインはアディスが止める暇もないくらいに素早く扉を押し開けた。その瞬間、よろめくほどの風が吹き出した。強い魔力を伴った暴風だ。

「慎重にやってください、ケイン」
「悪ぃ。でも急がねぇと」

 ケインはそう言うや否や、扉の向こうに足を踏み入れる。その瞬間、ケインの姿が消えた。シャリーとアディスは顔を見合わせ、意を決して頷きあった。

「行きましょう」

 アディスはシャリーの前に立って扉の向こうに消える。シャリーも慌ててそれを追う。

「ここって?」

 シャリーはその空間を見回して声に出した。その声は広く深く反響する。

 その空間は直径五十メートルほどもある巨大な円形の部屋で、天井までの高さは二十メートルにも迫る。数多くの古びた椅子や机が散乱している他には、壁一面にずらりと並んだ巨大な筒が目を引いた。直径ニメートル、高さ五メートルほどの半透明な筒が円形の壁に沿って並んでいた。その数は二十ちょうどだ。

「あの筒はなんです?」

 シャリーが周囲を恐る恐る見回しながら、一番近い筒に近付いた。転がった椅子や机は、古びてはいたが壊れてはいなかった。きれいな中古品といった様子だった。ケインはシャリーを追い、アディスは魔力の濃さにうんざりとしながら状況を注視している。

「シャリー、ケイン」

 アディスが呼びかけると、シャリーたちの動きが止まる。

「そっちは後回しにしてください」

 アディスは早口で呪文を唱え、魔法障壁を展開する。完成と同時に、アディスに向けて光の槍が降り注いだ。

「アディス!」

 爆炎をかき分けながら、ケインがアディスのところへと戻ってくる。シャリーもせながら追ってくる。

「僕は大丈夫です。それよりあれを!」

 アディスは上を指差した。見上げたケインが絶句する。代わりにシャリーが声を上げる。

「セレナさん……!」
「今はセレナではなさそうです。魔神に取り込まれたか……!?」
「でも!」
 
 シャリーがなにか言おうとしたその瞬間に、再びセレナが光の槍を振らせてくる。アディスは再度障壁を展開してそれをやり過ごす。

「うわっ!?」

 ケインの声が上がる。爆炎にまぎれて降下してきたセレナが、ケインを斬り払ったのだ。反射的にそれを受け止めたケインだったが、魔力を帯びた刀による一撃は、圧倒的体格差のあるケインをも容易に吹き飛ばした。

「アディス、どうすりゃいい。傷つけるわけにはいかねぇ」

 猫のように身をたわめて起き上がったケインが、剣を構えながら言った。今の一撃を受け止めたお陰で、もはや刃はボロボロだった。しかしアディスにも答えはなく、結果、ケインは防戦を強いられる。幾度も弾き飛ばされるが、ケインはその卓越した身体能力で威力を殺している。

「シャリー、セレ姉はどうしちまったんだ。何かわからないか!」
「ええと……!」

 シャリーは考える。魔神サブラスによって何かをされたのは間違いない。正気に戻す方法を考えなくてはならない。あるいは、魔神サブラス本体を撃破するか、だ。

「サブラス、出てきなさい!」

 シャリーは後者を選択した。シャリーの霊薬レパートリーにも、魔神からの呪いをどうこうするようなニッチなものはない。そして原因究明とその対策を割り出すための時間もなさそうだ。となれば、もはや力技しかない。

「セレナさんを元に戻しなさい、魔神サブラス!」
『はははは、まさか本当に戻ってくるとはな!』

 どこからともなく声が響く。
「仮にセレナさんの中にクレスティア様の魂が存在したのだとしても、今のセレナさんはセレナさんです。あなたが恨みを抱く対象ではない!」
『ははは、人間の娘よ。我が望みはクレスティア一人ではない。クレスティアは前菜に過ぎん。クルースをこそ我は呪う。この娘はそのための触媒に過ぎん!』
「ならばもう十分では?」

 その魔神の圧力を前にしても、シャリーは一歩も引かない。セレナの姿をした何かが、ゆっくりとシャリーに向き直る。

「あっぶねぇ!」

 ケインが割り込まなければ、シャリーは真っ二つにされていた可能性があった。無理な体勢だったケインはその一撃を受け止めきれず、左肩をざっくりと切り裂かれてしまっていた。皮の鎧など何の役にも立たなかった。

「ケインさん!」
「あつつつつ……。だが、大丈夫な気はする。死ぬほど痛ぇけど」

 しかし出血量が凄まじく、即座の治療が必要なのは間違いなかった。

「サブラス! いい加減にしなさいっ!」

 シャリーは護身用のナイフすら抜かず、丸腰のままセレナの前で両手を広げた。

「おとなしく魔石をよこしなさい! あなたの要求はその後で考えてあげます!」
『異なことを言う』
「この城自体が魔石化しているのはわかっています。でも、私が欲しいのはそれじゃない。もっと純度の高いものです」
『強欲な娘よ!』

 魔神の声とともに、セレナが刀を振り上げる。シャリーは目を閉じて首をすくめた。

 直後、雷鳴が鳴り響く。鼓膜の機能が停止しかねない大音量に、シャリーは思わず悲鳴を上げた。

「やれやれ」

 男の声が聞こえた。

「あなたが自ら手を下す必要もないでしょうに」

 その声の方を見れば、暗黒色の全身甲冑を身に着けた男が立っていた。

『エルドよ。我の邪魔をするつもりか』
「この程度の雑魚に、あなたの力は過ぎたもの。あなたの劣化複写体で十分でしょう」
『……ふむ』

 男と魔神の会話の間、シャリーは恐る恐る目を開ける。目の前にセレナが倒れていた。気絶しているだけのようで、外傷も見当たらない。

「実働試験も行いたいですからな」
『我がこの次元セカイの支配者となる前日譚としてはいささか不足を感じるが、まぁ、よかろう』

 サブラスの声が消えないうちに、筒の一つが大きな音を立てて蒸気のようなものを吹き上げ始めた。

「うっ……!?」

 あまりにも魔力の密度が上がりすぎて、アディスは思わず口に手を当てた。その隙を縫って、シャリーは傷薬の霊薬をケインの傷口に振りかけた。

「いってぇぇぇっ!」
「再生過程は痛みに満ちているものなんです。我慢してください。血が止まります」

 シャリーの冷静過ぎる口調に、ケインは圧倒されて押し黙る。下手をすれば斬られたときよりも痛いのだ。

「セレナさんを回収したら逃げましょう、ケインさん、アディスさん」
「逃げるったって」

 ケインが痛みをこらえつつ甲冑の男を睨む。甲冑の男は兜の面頬をあげて、腕を組んだ。

「逃しませんよ、ネズミさんたち」

 男は右手の指で左の二の腕を叩いた。金属音が響く。すると先程から蒸気を上げていた筒から、何かが現れた。

「あれって……」

 それは禍々まがまがしく歪んだ暗黒甲冑を着て、二メートルを超える刃渡りの超重量大剣をたずさえた人の姿をしたものだった。

の能力を試すにはあなたたちでは大いに力不足ですが、まぁ、いいでしょう」
「……言ってくれちゃって」

 ケインは長剣を両手で構えた。左肩は痛んだが、シャリーの霊薬の効果なのか、少し動かす分には支障がない程度にまで回復していた。かなり深く斬られたはずなのに、出血が止まっている。

「ケイン、気を付けて!」

 アディスはケインの全身に不可視の障壁をまとわせる。ないよりはマシ程度の防御力ではあるはずだった。あの巨大な剣を相手に、どこまで通用するかはわからなかったが。

 暗黒甲冑の騎士が切り込んでくる。超重量大剣が唸りを上げる。ケインを挽肉ひきにくに変えようと、襲いかかってくる。ケインは転がっていた椅子を蹴り飛ばしたが、騎士は意にも介さずに突進してきた。アディスが放った攻撃魔法をもものともしない。

 受け止めるのは現実的ではないし、回避し続けるにも限界がある。

 ケインは椅子や机を利用して逃げ回りながら、打開策を考える。

「逃げていてばかりで、どうにかなるものなんですかねぇ?」

 男――エルドは、甲冑からけたたましい音を発しながら手近な椅子に座り、愉快そうに唇を歪めた。

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