その日の夕方には、シャリーたちはディンケル国家騎士によって身柄を拘束されていた。シャリーたちにその手を逃れる術は最初からなかった。結局、抵抗の一つもできずに捉えられ、エレン聖神殿の一室に監禁されてしまった。
その部屋には大きめのソファが三つと粗末な木のテーブルが一つ。むき出しの石壁に鉄格子の嵌った小さな窓が一つという、実質的に牢のような雰囲気の部屋だった。
「それで、いつまでここに放置されるんですかね、俺ら」
痺れを切らしたケインが言った。空腹もそろそろ誤魔化しきれないところまできている。すでに太陽は沈んでいる頃合いだろうが、窓から見える空は真っ暗で、時間の見当がつけられなかった。
「待たせたな」
計ったかのようなタイミングで、エライザが室内に姿を現した。前触れもなく室内中央に現れたエライザに、ケインは思わず仰け反った。ドアの所にはアリアが出現していた。
「処分しに来たってのか」
「最初からそのつもりなら、わざわざ私たちが出向くことはないだろう」
エライザはそう言うと中央のソファに腰をおろして足を組んだ。その左のソファにはシャリーが陣取って、昏々と眠るセレナを膝枕していた。反対側のソファにはアディスがいて、ケインはエライザとテーブルを挟んだ位置に立っている。
「もっとも、我々とギラ騎士団の関係を知られてしまった以上、黙って放免してやるわけにもいかない」
エライザはアリアをちらりと見た。アリアは黙って頷いてみせる。
「我々が欲しいのはセレナの身柄だ。それに加えてシャリーの協力。男二人はどうでもよい」
「なんて言い草だ」
「どうでもよいのだが、シャリーの協力を得るためには、あっさり捨てられるカードというわけでもない。何かと使途はあるだろう」
エライザの言葉にケインは憤然とした様子で黙り込む。一方、アディスは冷静な表情でエライザに詰め寄った。
「セレナの身柄を確保するだけなら、とっくに僕たちから引き離していたはず。なのにそうしなかった。なぜですか」
「お前たちがセレナを魔神サブラスのもとへと運ぶ」
「……は?」
ケインの剣呑な声が響いた。アディスが首を振る。
「エレン神の聖騎士の言葉とは到底思えません」
「私は、刹那的な判断でものを言っているわけではない」
エライザは足を組み替える。
「この国の抑圧の歴史を、今こそ転換することができるというのだ。我々はサブラスを利用し、一転、歴史の強者の側に立つ」
「そのためにセレナを――」
アディスがエライザを凝視して言う。
「いえ、クレスティア様を魔神に差し出せと」
「さすれば」
エライザは凄みのある笑みを見せた。
「さすれば我が国は永遠の強国になるだろう」
「永遠の強国だって?」
ケインがテーブルに両手を叩きつけた。
「魔神と取引でもするってのか? あの黒甲冑みてぇなやつを大量に投入して、ディンケルの版図を広げようって魂胆か」
「奪われた土地を取り戻すだけだ。領土拡大の意志はない」
「どーだか!」
ケインは肩を竦める。
「第一にだ、あんたたちがどんな未来絵図を描いていようと、俺たちは『はいそーですか』なんて、絶対に言わない。そんなことのためにセレ姉を犠牲にするとかまっぴらごめんだ」
「国家国民の大義の前に、個人の都合などどうだっていいことだ。それこそ、そんなことだ」
「どうでもいいだって!? それに、セレ姉のことをそんなことだって!?」
ケインは再びテーブルの天板を叩いた。
「個人あっての国家国民だろうが!」
「数千万人の幸福のために、一人や二人の人間の不幸にそれほどの重みがある?」
冷然、傲然と言い放たれたエライザのその言葉を前にして、ケインは言葉を失う。代わりに口を開いたのはシャリーだった。
「私はあなたたちを説得しようとは思いません」
「シャリー、でもよぉ」
口を挟もうとしたケインを、シャリーは視線で制した。
「私たちはエライザ様、あなたの考えには反対です。セレナさんを差し出させるわけには参りません」
「私を前によくも言う。だがシャリー、お前たちに選択肢などない。これは要請ではなく、命令だ」
「武力を掲げて言うことを聞かせようとするのは無駄です。私はそういう考え方には賛同できません」
毅然としたシャリーの物言いに、エライザは思わず微笑した。
「なるほど。だが我々は――」
「魔神が求めているのは、本当にクレスティア様だけ、なのですか?」
「……どういうことか」
エライザの青紫の瞳がシャリーをガッチリと捕える。
「サブラスは何を目論んでいるのかと、そのあたりをどうお考えなのかと訊いています」
シャリーの青緑の視線がエライザを射抜く。シャリーは畳み掛けるようにして言った。
「サブラスの目的は、神の排除ではないのですか」
「大災害の再来か」
「最強の神とも言われるヴラド・エール神を殺せば、この大地として繋ぎ止められた紫龍の封印が解ける。そうなれば、世界は再び終わる」
シャリーは平坦なトーンで言う。感情の類はまったくこもっていない。
「サブラスは生命の魔神。であるのならば、サブラスはこの世界を自らの箱庭としたいと思っているのではありませんか。あらゆる生命の頂点に立とうと」
「仮説の域を抜けんな。それに仮にそうであったとしても、我々には証明する手段はない」
「でしょうね」
シャリーはあっさりと認めた。そして膝枕で眠っているセレナの髪に手をやった。
「ともかく、セレナさんは渡しません。必要とあらば、最終手段に出ます」
「最終手段だと?」
エライザの目がかすかに揺れた。シャリーはそれを見逃さない。
「あの城を、消し去ります」
「できるものか」
「私があの城の魔石の魔力を全て引き出せれば、この王都は恐らく灰になる。それは私の望みとはかけ離れたことではありますが、一人二人の不幸が、数十万数百万の不幸に変わるのだとすれば、エライザ様、あなたとて考えを改めなければならなくなるでしょう」
「そんなことが、あなたにできるとは思えません」
そこで初めてアリアが口を開いた。アリアの表情は冷たかったが、その目は爬虫類のそれのようにギラついていた。アリアとシャリーの視線が激突するも、シャリーは全く動じなかった。アリアも引くことはなく、部屋の中の温度が数段下がったかのように、ケインたちには感じられた。ケインとアディスは視線を合わせ、首を振りあった。
「エライザ、彼女に説得は通じなさそうです」
ややあって、アリアが息を吐いた。そして冷たい声で言い放つ。
「シャリーは諦めましょう」
その瞬間、アリアは右手を上げた。その途端、立っていたケインは転倒し、シャリーたちはソファに押し付けられて身動きが取れなくなった。エライザは音もなく立ち上がると、セレナの身体を軽々と持ち上げて肩に担いだ。
「お前たちにチャンスを与えてやったのだがな。残念だ」
エライザはそう言い残すと、セレナともどもに姿を消した。アリアは憐憫を込めた目で三人を見回し、小さく首を振りながら告げた。
「呪うのなら、運命をこそ呪いなさいな」
「くっそ……!」
ケインの歯軋りが音高く響いたが、アリアは全く気にする様子もなかった。
「シャリー、あなたほどの人材を灰にするのは忍びないけれど、これも国家のため。残念だわ」
アリアの周囲にいくつもの魔法陣が浮かびあがった。どうあろうと即死させようというレベルの魔法がいくつも発動し始めていた。
複合攻撃魔法が完成しようというまさにその瞬間。
シャリーたちの視界が暗転した。
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