LC-03-004:チェーン・リアクション

ロストサイクル・本文

 翌日、五月十日、木曜日。昼休み現在、チョッカは学校に来ていない。そのことについて夏山ルリカは随分と気に病んだ様子を見せていた。

「昨日何かあったの?」

 僕は少しの気まずさを隠しながら、夏山ルリカに尋ねた。夏山ルリカは僕の前の席を後ろに向けて、僕と向かい合って弁当を食べている。前の席の持ち主の還屋カエリヤは今日も休みのようだった。ていうか、彼女、最後に姿を見せたのはいつだっけ。

「LINEしたじゃん」
「ああ」

 そうだ。昨日、タケコさんが帰った後、夏山ルリカのアカウントからLINEが来ていた。

「ショーガツこそ何かあったの? 今の今まで何も話しかけても来ないで」
「あ、ああ。いや、LINEの内容が気になってさ。声かけるのも悪いかなって」
「なにそれ」

 不機嫌そうに夏山ルリカは唇を尖らせる。

「チョッカには悪いと思うよ。でも、今はそんなことしてる時期じゃないでしょ?」
「あ、うん。僕ら受験生だし」

 受験生。そういえばそうだったと、今更ながらに自覚する。タケコさんがいない時でも僕はちゃんと勉強している。というより、現実逃避に近いかもしれない。時間が空いていると、何故だかとても不安になるのだ。空いていた時間に気付くと、とてつもなく落ち着かなくなるからだ。まるで記憶を失くしたりでもしたんじゃないかという具合に。

「そんなわけで、昨日LINEした通り、結果としてチョッカを振っちゃったんだけど、失敗したなぁって」
「付き合えば良かったって?」
「ばか」

 夏山ルリカは頬を膨らませながら、弁当箱をしまい始める。

「もっとはっきりスパッと斬ってあげた方が良かったかもしれないなって」
「それはそれでガックリくるんじゃない?」
他人事ひとごとみたいにさ」

 ジト目で僕を見つめる夏山ルリカ。僕は後ろめたい気持ちに負けて目を逸らす。どうしても昨夜のタケコさんの顔が、表情が、目の潤みが思い出されてしまって――。

「ショーガツ。ショーガツ!」
「あっ、うん、なに?」
「なにじゃなくてさー」

 憤然とした様子で夏山ルリカは腕を組んだ。ブラウス越しにも分かる細い腕。僕より背は高いけど、夏山ルリカは確かに女の子なんだと、変なところで関心してしまう僕である。

「ねぇ、さっき女子たちと話ししてて言われたんだけどさ。わたしたちって付き合ってるの?」
「へ?」

 弁当箱の蓋を閉めつつ、僕は変な声を出す。

「いや、なんかね、みんながみんなそうらしいんだけど、私たちがその、恋人なんだろって」
「ははは」

 とりあえず笑っておく。が、夏山ルリカは口をへの字に曲げて僕を見ている。
 
「わたしたち、もう六年目の付き合いになるよね。特に男女を意識したことはないかもしれないけど」
「あー、夏山ルリカ。ちょっと歩こうぜ」

 僕は可能な限り落ち着いて、そしてなぜか少し気取って言った。

「あっちもこっちも聞き耳立ててる」
「自意識過剰だよ」
「夏山ルリカは意識しなさすぎ」

 僕らは連れ立って教室から出て良く。ぶしつけな視線が僕の後頭部を射抜いている。でも僕は精一杯の根性を発揮して教室を出た。夏山ルリカは僕のすぐ後ろをついてくる。夏山ルリカの控えめな呼吸音さえ、僕の耳は拾った。

「ああいう話題を教室でしたら、冷やかされるだろ」
「良いじゃない別に」

 夏山ルリカは面白くなさそうな様子で言った。僕らは教室からずんずんと離れていく。よほど勤勉な生徒と図書委員以外は、昼休みにはまず寄り付かない図書室の前まで移動して、僕らはようやく足を止めた。

「まったくこんな所まで来る必要はなくない?」
「一緒に歩きたかったんだよ」
「なに、それ。ま、まぁ、いいけど」

 夏山ルリカは何故か顔を伏せる。

 僕らは図書室の扉を正面に見る形で、廊下の壁に並んで背中を押し付けた。

「で、わたしたち、付き合ってる?」
「あんまり自覚はなかったんだけど」

 そう言った瞬間、昨夜のタケコさんの姿がフラッシュバックした。ただのキス。タケコさんと、深くも浅くもないキスをした。でもそれは、ずっと僕の脳裏を支配していて、僕はそこから逃れられない。そのキスの最中、ずっと夏山ルリカに見られている気さえしていた。そう、夏山ルリカは知っているのだ――僕は何故か瞬間的にそう思った。昨夜のことを、夏山ルリカは知っている。その推測は、何故かひどく確信めいて僕の中で跳ね回る。

「ショーガツって、タケコ先生のこと好き?」

 ほら、やっぱり。夏山ルリカは知っているのだ。知っていてなお、こうしてカマをかけてきているのだ。僕は素直に言うべきか、言わざるべきか。十数秒は悩んだと思う。だんだんと僕の中の焦りが沸騰してきて、僕はたまらずこう言った。

「タケコさんは家庭教師だし、僕なんかじゃ釣り合わないさ」
「そうじゃなく」

 夏山ルリカは首を振りながら、苛々とした口調で言った。

「タケコ先生がどう思ってるかじゃなくて、あんたがどう思ってるかが大事なんだよ、ショーガツ」
「僕が?」
「そーよ、あんたが」

 夏山ルリカは粗雑な口調で問い詰めてくる。

「僕はそりゃ、タケコさんはすごく美人で魅力があるし、何よりその」
「何より、なに?」
「僕たちの事をすごく考えてくれてるだろ?」

 私が守るわ――タケコさんは昨夜そう言った。

「だから、あんたはそれに対してどう思ってるの」
「好きだよ、そりゃ」

 僕は降参した。降参してそう言った。

「でも、わかんないよ。だってさ、僕はまだ小説や映画や漫画の中でしかそういうの知らないし。だから、夏山ルリカとタケコさんのどっちが好きかとかわかんないし、それに好きかどうかもわかんないし!」

 僕は必死にそう言った。僕の目線は夏山ルリカの喉元から動かない。それ以上にも、それ以下にも視線を動かせない。夏山ルリカの喉が小さく動く。

「なんだ」

 夏山ルリカはそう言った。

「あんた、わたしのことが好きなんじゃん?」
「ええと」
「男とか女とかそういうのは置いとくとして、あんたにとってわたしって大事?」
「そ、そりゃあ」

 大事だよ、と僕は小さく言った。

「わたしがいなくなったらどうする?」
「それは……」

 一言では言えない。つらい、哀しい、苦しい、心配になる、などなど。とにかく世界中に転がるありとあらゆるネガティヴな言葉を繋げて一気に読み上げてみたって良いくらいだ。

「わたしもね、昨日チョッカに告白されて、お断りして、一晩考えて」

 夏山ルリカは僕の右手を両手で捕まえた。

「それでやっとのことで理解わかったんだよ」
「わかった……?」
「うん」

 夏山ルリカは微笑んだ。

「わたし、ショーガツのことが好きなんだよ」
「ぼ、僕は……」
「あんたが嫌いだろうが、タケコさんのことが好きだろうが知ったことじゃないのよ。わたしは、あんたが好き。今はそれだけでいいんだ」

 夏山ルリカは僕の気持ちを聞こうとはしなかった。それはどういう意図だったのか、今の僕にはきっと理解できない。でも、夏山ルリカには僕の想いは伝えられているはずだった。僕自身、よく分からない想いだったけど。

「二十歳になったら、あんたと付き合ってあげる。それまでその、あんたが誰とも付き合ったことがなければっていう前提だけどね」
「二十歳まであと二年半くらいあるし」
「待てない?」
「うん」
「どうして?」
「だって……」

 心変わりしちゃうかもしれないだろ、という言葉は、寸でのところで飲み込んだ。

「他に良い人が出来たら、その時はその時」

 夏山ルリカは僕の左肩をぽんぽんと叩いた。

「夏山ルリカ……」
「でもなぁ。正直、わたし、あんたのことすごく好きなんだと思う」

 ド直球が飛んできて、それは僕の鳩尾にクリーンヒットした。

「あんた、わたしがどれだけ無防備にしてても絶対に手を出そうとしなかったじゃない? 普通がっつくところだよ、十七歳なんだし」
「そうなの?」
「そうなのじゃないよ、ショーガツ。あんた、性欲ないの?」
「せっ、そ、そういう話する?」
「何恥ずかしがってんのよ」

 休み時間もあと五分。予鈴が鳴って、僕らは教室へと向かい始める。

「わたしのパンツが見えても、あんた目を逸らすでしょう?」
「パッ……パンツとか、見えたこと」
「あるでしょ」
「……はい」

 僕は階段を降りながらそう答えた。白状させられたと言っても良い。

「その後で、その記憶を使した?」
「つ、使うって?」
「トボケんなよぉ」

 夏山ルリカが僕の背中を蹴飛ばす。階段の踊り場の壁にぶち当たる僕。手すりにぶつかった骨盤が悲鳴を上げた。

「ムッツリなのか性欲がないのか、はたまた女に興味がないのか。それが問題だよ」
「ええっ」
「いや、性的嗜好についてとやかく言うつもりはないわよ。あんたが男を好きだろうが別にどうだっていいわ」
「いや、僕は女の子にしかムラムラしないけど……」
「そっか、ならよかった。わたしも男子にしかムラムラしない」

 夏山ルリカが明るい声を立てて笑う。僕もそれにつられて笑った。夏山ルリカ、こんな笑い方もするんだ――僕はそんな発見をしたりした。

 しかし、そんな幸せな空気も、教室に入った瞬間に凍り付くことになった。

→NEXT

コメント

タイトルとURLをコピーしました