動く通路の先にあったのは、巨大すぎる空間だった。イーラの村の集会場なら十や二十が余裕で収まる広さがあり、天井も恐ろしく高かった。多くの人々が、難しい会話をしながら忙しく行き交うその白い空間は、灯りもないのに明るかった。ただ、恐ろしく無機的だ。壁は継ぎ目のない白い金属のようなものでできていて、床には青白いタイルが敷き詰められていた。人間以外の生命の気配がない、そんな空間だ。
「この部屋全体があたしらの実験室さ。新しい魔法の開発や、陣魔法の制御方法を学ぶ場所なんだ」
「づぉーね?」
「ああ。陣魔法。最大の禁忌とも呼ばれているね」
「最大の、禁忌……」
カヤリの動きが止まる。
――中尉さん。この子、最大の禁忌なんか。
――まさか、と言いたいところだが、可能性はある。
村でそんな会話を聞いたことをはっきりと覚えている。
「わ、私は、その最大の禁忌をつかって、お父さんと、お母さんを……」
カヤリの両目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。ヴィーは少し驚き、そしてやや辟易とした表情を浮かべた。
「泣いたって過去は変わりゃしないのさ。でも、まぁ、うん――」
ヴィーはカヤリの肩を軽く叩くと、またその右手を取って歩き始めた。カヤリは泣きながらもその後ろをついていく。
「泣くしかないから、泣くんだよな」
「ごめんなさい」
カヤリはしゃくりあげながらそう言った。ヴィーは空いてる右手でその真っ赤な髪の毛をかき回す。
「調子狂うわ、ほんと」
ヴィーは呟く。二人はその広大な空間を突っ切り、奥に出現した扉の前に立った。ヴィーがその扉に右手を翳すと、わずかな擦過音と共に扉がスライドして開いた。
「さ、ここがあんたの部屋だよ、カヤリ。急遽だったからベッドくらいしかないけど、あとニ、三日もすれば色々揃ってくるはずさ」
ヴィーの言う通り、その部屋の中にはベッドが一つと小さなチェストが置いてあるだけだった。ただ――。
「あ、明るすぎない?」
「ふふん」
カヤリの言葉を聞いて、ヴィーが得意げな表情を見せる。するとゆっくりと室内の光度が下がり始める。
「どういうこと……?」
「この部屋はあんたが快適に過ごせるように作られてる。魔法であんたの状態を確認して、最適な環境になるように自動的に調整してくれるのさ」
「そんなこともできるの、魔法で?」
「そ、魔法。魔法ってのは本当はこんなふうに、人が快適に生きられるようにするための手段なんだよ、本来は。もっとも、権力者ってやつは破壊の方向の力しか見ちゃくれないけど。でも、あんたが使っちまったような破壊の力はさ、本来魔法の副次的なもの……簡単に言えばオマケ、みたいなものんだったんだ」
「そうなんですか」
カヤリは関心したように呟くと、目を閉じて何事かを念じた。すると部屋が一段階明るくなる。もう一度目を閉じると、今度は薄明かりだけになった。
「遊ぶんじゃない。ま、いいけど」
ヴィーは腕を組んでカヤリを見下ろす。カヤリの表情は少しだけ明るくなっていた。その表情がヴィーの胸に刺さる。が、ヴィーは首を振ってその感情を追い出した。
「ああ、そうだ。ベッドを使う前に、その身体を少し綺麗にしようじゃないか」
「そんなに汚れて――?」
カヤリは自分の身体を見下ろして、「ますよね」と肩を落とす。
「ついといで。お風呂にしよう」
ヴィーは笑いながらカヤリの前に立って歩き始める。地下フロアらしきところに入り、少し進むと、そこにはカヤリもよく知っている、いわゆる普通の扉があった。その中には大きな脱衣所があった。
ヴィーは豪快に服を脱いで全裸になると、カヤリの服を脱がせ始める。勢いに飲まれてなされるがままになったカヤリも、あっという間に全裸になった。
「ほい、タオル」
ヴィーはカヤリにタオルを一枚手渡して、そのまま奥へと進んでいった。カヤリはヴィーのグラマラスな体型に思わず目を奪われたが、ハッと我に返ると慌てて追いかけた。
「わぁ」
扉を開けるとそこには巨大な浴室があった。四、五十人は同時に入れるのではないかと言うほどの洗い場と浴槽が備え付けられていた。
「温泉くらい見たことあるだろ」
「イーラ村にもありました。もっとずっと小さいの……」
カヤリの言葉が鼻声になって尻すぼみになる。ヴィーはカヤリの裸の背中をパシンと叩く。
「前を向きな、カヤリ。過ぎたこと、やっちまったことは、あんたを助けちゃくれないよ。まぁ、今日の今日でどうこうしろってのも難しい話だと思うけど」
ヴィーはかけ湯をしながら言う。
「けどね、前を向く力にならない過去になんて、何の価値もないんだよ、カヤリ。足枷になるような過去には、どうにかこうにか折り合いをつけなきゃならないんだ」
「でも、私、お父さんとお母さんと、それから……」
「あんたが悔やんで、それであんたの親が蘇るのかい?」
「ううん……でも」
カヤリはお湯を被りながら首を振る。
「罪は償わないと」
「そうだねぇ」
ヴィーはカヤリの黒い髪の毛に触れる。
「あんたがね、その有り余る力をうまく使えるようになること。それがひいては世界のためになる」
「世界の、ために?」
「そうさ」
ヴィーは胸を張る。
「大魔導はみんな、そのくらいの力を持っているんだ。それに実際、この都市もそうだけど、あたしたちの作った道具はそれなりに役に立ってもいるんだよ」
「たとえば?」
「下水道浄化装置とか」
「……?」
カヤリは首を傾げる。何を言われたのか理解できなかったからだ。
「あとは火を使わない照明とか、簡単に火を起こせる呪符とか。ま、もろもろ実験中だけどね」
ヴィーは湯気で曇った空気を見上げる。
「この浴室も、魔法で管理されているんだよ」
「すごい」
カヤリは少し興奮気味に頷いた。
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