魔狼剣士団の一部隊を壊滅させてから、一週間が経過する。
その間もカヤリへの接続実験は続けられ、カヤリはいよいよもって自我を手放しつつあった。逃げることの出来ない環境下で繰り返される苦痛を伴う実験である。むしろこれまである程度正気を保ってこられただけでも、それは称賛に値する。カヤリは来る日も来る日も、真っ白な自室と、椅子だけが置かれた部屋を往復して過ごしていた。
その日の接続実験を終え、くたくたになって自室に向かっていたカヤリは、研究員の男性魔導師と鉢合わせした。見覚えのある顔だったので、カヤリは小さく会釈して通り過ぎようとした。
「……あれ?」
なんかおかしい。カヤリは直感的にそう感じて足を止めた。研究員もまた立ち止まる。二人は至近距離で真正面から見つめ合う形となった。
「あなたは、だれ?」
カヤリは水色の瞳を曇らせる。研究員はどこか上の空のような表情で、少し籠ったような声で応えた。
「もう気付かれちゃったか。僕はトバースっていうんだ」
「トバース……?」
カヤリは細い腕を組んで首を傾げた。研究員は中腰になって、カヤリと目の高さを合わせる。
「君に会いに来た」
「えっ……?」
カヤリは耳を疑う。もはやカヤリに知り合いなどいない。誰かが会いに来るなんて考えられなかった。それにそもそもこの研究員とは何度も顔を合わせていた。今更そんなことを言われるのは不自然だった。
「あれ? ここ、立入禁止……じゃなかったっけ」
だからだ。誰もいないはずのこの空間に、この研究員がいることが不自然なのだ。研究員は虚ろな目をしながら柔和な微笑の表情を作っている。
「イーラの闇の子」
トバースと名乗った研究員はなおも囁く。その瞬間、カヤリは硬直する。掌や背中にじっとりと汗が浮く。それに気付いた研究員は、相変わらず虚ろな目をしながら両手を振った。
「誤解しないでほしい。僕は君を捕まえに来たっていうわけじゃないんだ」
「それなら――」
間髪入れずにカヤリが言う。
「なにをしに来たの? あなたはハインツかヴィーの部下?」
「それは少し難問だね。だけど、そうだね、僕は君の様子を見に来たんだ」
「どういうこと……?」
あからさまに疑いの目を向けるカヤリに、研究員は肩を竦める。
「今わかる必要なんてないよ。ただね、君は今すぐここから抜け出すべきだ」
「ど、どうして?」
カヤリは目を丸くする。トバースと名乗った研究員もまた、目を丸くした。
「どうしてって、君は毎日接続実験なんてさせられているだろう?」
「う、うん」
「あんなことは許されないんだ。そもそも大魔導の素質があるにしたって、人間があれと接続するだなんて無茶もいいところだ」
「でもみんな良くしてくれるし……。ハインツは私を助けてくれたんだよ? ヴィーだって」
「それは君を利用するためだ。君は彼らにとって単なる――」
「なにを言っているかわからない!」
カヤリは研究員を押しのけて自室へと向かおうとする。研究員がカヤリの肩を掴もうとしたその手を、別の手が捕まえた。
「おーやおや、こんなところまでご苦労さん、グラヴァードの犬」
ヴィーだった。赤い瞳が剣呑に細められる。トバースの憑依術は完璧だったが、それでもヴィーの目は誤魔化せなかった。
「誰かと思えば、ハインツの飼い犬じゃないですか」
研究員はあっけらかんとした表情でそう言い、大袈裟に肩を竦めた。ヴィーはその灼熱の視線で研究員を睨みつけ、右手に力を込める。掴まれた研究員の右手首が、急激に熱を帯び始める。
カヤリは怯えたように二人を見上げ、無意識に自分の肩を抱いた。
「ヴィー、あのね、グラヴァードって誰?」
「世界の敵のことだよ。奴はあたしたちの邪魔ばかりするのさ」
「わるい、やつ?」
「そうそう」
ヴィーは一向に音を上げない研究員に舌打ちする。おそらくトバースは痛覚の同期を切っているのだ。並の人形師なら痛覚を遮断するなんて芸当はできないが、さすがはグラヴァードの直属といったところだろう。つまり、今のヴィーはトバースにダメージを与えることはできないということだ。
研究員を操るトバースは落ち着き払った様子でカヤリを見た。
「思い出すんだ。こいつらが君にしてきていることと、君にさせたこと」
「させたこと……?」
きょとんとするカヤリ。研究員はヴィーの握力と温度が急激に高まってきているのを感じながらも、振り払いさえしない。ヴィーがこうして自分を捕まえている限り、ヴィーの動きも封じることができるからだ。
「多くの騎士を殺させただろう、こいつらは。君に人殺しをさせたんだ」
「……それは、ハインツを守るためだったから!」
「考えてみるんだ、カヤリ。ハインツは恐ろしく強大な大魔導だよ。やる気になればあいつ一人であの騎士たちを全滅させるのも難しくなんてないんだ。それを敢えて――」
「ええい、うるさい奴だね」
ヴィーがその手を離す。
「人形師トバース。憑依と潜入はさすがだと言ってやるけど、それにしたってここいらで潮時だよ」
ヴィーの赤い瞳がギラリと光った。
「仕留めてやる」
倒れた研究員を見下ろしてそう呟き、ヴィーは姿を消した。
「ヴィー……」
カヤリは心配そうな顔をしてその名を呼び、とぼとぼと自室へと帰っていった。
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