カヤリの放つ光が、まるで真昼のように世界を照らす。魔神と化したハインツが放つ闇色の炎が、その白を駆逐しようと噴き上がる。だが、カヤリの放つ輝きは衰えることはなく、その闇の炎を静かに鎮火していく。
カヤリは歌う。
――闇を切り裂く龍の咆哮
――空を埋める緋色の輝き
――世界を壊す陽の謡い
――森羅遍く生命の嘆き
「緋陽陣か……」
穴の底、魔神の足元、すなわち瓦礫の中から、グラヴァードは空を見上げた。輝く翼の少女が朗々と呪文を唱えている。囁くように、祈るように、語りかけるように。それは魔神への、ハインツへの葬送の歌であり、同時に、失われる数千の命への贖罪の歌だった。
――赦し給え、我を赦し給え
――罪咎の尽く、鬼哭の苛みのその全てを
――我に与えよ、我に与えよ
――我の与えるものは、永久の安寧
――赦し給え、赦し給え
詠唱のさなか、魔神は幾度もカヤリを捕まえようと手を伸ばした。だが、カヤリは空中で微動だにすることなく、ただ魔法障壁の力のみで、魔神の攻撃を跳ね返していた。
カヤリの呪文が完成するにつれ、空の輝きはひときわ強くなる。誰もが目を開けていられなくなるほどの強烈な輝きだった。だが、その光には温かさがあった。包み込むような、穏やかな目映さだった。人々は呆けたように立ちすくみ、ある者は膝をついた。誰もが祈るような気持ちで頭を垂れた。
『させるものかぁぁぁっ!』
ハインツが吼えた。空が震え、輝きが弱まる。街の中心に近かった者から順に、人々は塩の柱と化していく。そして溶けるように燃えていく。
『ハインツ! 私は、赦さない!』
カヤリの宣告と共に、呪文は完成する。
『緋陽陣!』
『かっ――――!』
絶叫を上げることもできずに、闇の魔神は塩のオブジェと化していく。
それを穴の底から見上げて、グラヴァードは頷いた。
「トバース、良いな」
「はい」
グラヴァードは、あの椅子の部屋の扉を開ける。猛烈な魔力が噴き出してきて、さすがのグラヴァードも数歩の後退を余儀なくされた。トバースに至ってはたたらを踏んだ挙げ句に尻もちをついていた。
「きつ……」
トバースは頭を振りながら立ち上がり、部屋の中にある椅子を見た。
「しかしグラヴァード様、どうやったらあれを破壊できるんですか?」
グラヴァードは「そうだな」と呟きながら椅子に近付いていく。強烈な、そして大きく歪んだ魔力が部屋に満ちていた。魔力が大きく減衰している状態のグラヴァードにとっては、猛毒の中を泳ぐのに等しい状況だ。
エクタ・プラムの全ての魔力がこの椅子に集められる構造になっていて、先程までこの椅子から魔神とカヤリに向かって魔力が供給されていた。今は魔力の供給の大部分は止まっていた。
「緋陽陣の余波で機能が一部停止しているようだ」
「じゃぁ、今のうちに」
「魔神の力が戻ってきている」
「えっ?」
「それを利用して破壊する」
グラヴァードは即座に魔法を組み立てていく。かつてトバースが喰らい昏倒させられた壊崩陣。あれなら魔力の流れを精細にコントロールできる。限界値を迎えた密度の魔力に着火できるだろう、そういう計算だ。
グラヴァードの中に魔法の詳細が送り込まれてくる。紫龍は陣魔法を歓迎している。使えば使うほど、紫龍にかけられた封印が解けていくのだから。完全復活の暁には、世界はかつての大災害同様に滅亡の危機に瀕するだろう。それゆえに、陣魔法は最大の禁忌なのだ。
だが今はそんな事を言って二の足を踏んでいられる状況ではなかった。将来の大災害よりも、目先の無差別殺戮を防ぐことが重要だと判断したからだ。そのためならばありとあらゆるものを犠牲にする覚悟が、グラヴァードにはあった。
グラヴァードは目を開く。氷のような青い瞳が、椅子を見た。魔力が逆巻いている。もはや竜巻だ。
『こっちは三人とも脱出完了したわ。いつでもいいわよ、グラヴァード様』
「いいタイミングだ」
グラヴァードはぼそりと言い、すばやく両手で印を結んだ。
「壊崩陣!」
発動する闇の陣魔法。
世界が暗転したと思ったら、即座に赤く塗りつぶされた。黒、赤、そして白。恐ろしく小刻みに世界の色が何度も変わり、椅子が大爆発を起こした。
「うわっ」
「無事か、トバース」
「僕が優秀じゃなかったら十回は死んでます」
「優秀でよかったな」
グラヴァードはそう言って、トバースに脱出を促す。トバースは即座に転移魔法で姿を消した。
「よし」
グラヴァードも姿を消す。
その直後、エクタ・プラムに炎の柱が降り注いだ。
エクタ・プラムの結界の内側が、劫火に飲み込まれた。
幾千もの命が、灼熱の炎に飲みこまれ、消えた。
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