エクタ・プラムが完全に沈黙した。接続装置の破壊からエクタ・プラムが壊滅するまで、二時間とかからなかった。ありとあらゆるものは燃え、中心部に開いた巨大な穴の中に引き摺り込まれて消滅していった。エクタ・プラムに戻る直前だった騎士たちは、ギリギリのところで命拾いをした。しかし、彼らは何もできなかった。
エクタ・プラムの強力な結界は見事にその役割を果たし、街の外への魔力の滲出を防ぎきった。そして崩れ去ってしまった。
たったの二時間で廃墟と化した街の中心部、ポッカリと開いた穴の縁に立ちながら、グラヴァードたちはじっと沈黙していた。トバース、セウェイ、ヴィー、そして瞳こそ輝いていたが普通の少女の顔に戻ったカヤリがいた。
周囲には焼け焦げたり押しつぶされたりした、人間だったと思しきものが所狭しと転がっていた。すくなくとも目に見える範囲に於いては、綺麗な遺体はただの一つも存在しなかった。
「みんな……死んだの?」
カヤリはぼんやりした声で尋ねる。ヴィーは重々しく頷くと、震える手でカヤリの黒い髪を撫でた。
「ヴィー、どこに行くの?」
「えっ……?」
心を読まれ、ヴィーは驚いた。あまりにも自然に、カヤリはヴィーの内側に入り込んできていた。だがヴィーは不快な気持ちにはならなかった。むしろどこか安堵さえした。
「……そうだね」
「どこに?」
「わからない。あの男がいなくなった後の世界なんて、想像したこともなくて」
「ならさ」
トバースが口を挟んだ。
「グラヴァード様のところに来たら?」
「ははっ、冗談じゃないよ」
ヴィーは力なく笑った。
「そうねぇ――」
セウェイが白い歯を見せて笑った。首から上は中性的な美青年であったから、そこだけを見ればかなり絵になる顔貌だ。だが、その表情が一瞬で変わる。
「……まずったわ」
そのつぶやきがなければ、グラヴァードは完全に隙をつかれていただろう。あるいは即死していたかもしれない。
今のグラヴァードは気力だけで立っていた。ただでさえ魔力が枯渇しているところに相当な無茶をしたのだ。魔力も回復しない内に陣魔法を行使した、その代償は、苦痛だった。常人ならばとうに意識を失っていうレベルの苦痛に苛まれながらも、グラヴァードは寸でのところでセウェイのナイフを避けた。剣圧がグラヴァードの髪を数本切断する。
二撃目は無理か!
グラヴァードはそう考えながらもセウェイから距離を取ろうと後ろに跳ぶ。セウェイもすかさず踏み込んできたが、その間に赤い影――ヴィーが割り込んだ。
「がっ……!?」
グラヴァードに抱きつくような形になったヴィーの背中に、大振りのナイフが突き刺さっていた。ヴィーの割り込みを読んでいたセウェイが、それより先にグラヴァードを仕留めようとして投擲したのだ。だが、間一髪、ヴィーのほうが早かった。
「セウェイ! 何を!」
「いや」
グラヴァードはヴィーをトバースに託す。そして剣を抜いた。
「ハインツ、だな?」
『存外簡単だったぞ、憑依術も。なぁ、人形師トバース』
セウェイの口からハインツの声が放たれる。トバースはヴィーを抱きかかえたまま、「なんだと!?」と目を見開く。
『貴様の魔法は盗ませてもらったぞ、トバース。これで第二幕を開始できる』
「僕の憑依術を盗んだって?」
『複製だよ、人形師』
得意げに胸を張るセウェイの姿を借りたハインツである。
『さぁ、仕切り直しといこう』
セウェイの右手に輝く剣が発生した。
「やめて! みんな、やめて!」
カヤリの絶叫も虚しく、グラヴァードとハインツは斬り結んでいた。魔力を帯びた白銀の剣と、魔力で構成された光の剣がぶつかり、激しい火花が散る。剣技に於いて、二人はほぼ互角だった。だが、グラヴァードは身動きするたびに想像を絶する苦痛を味わい、そして魔力の代償として著しく精神力を蝕まれていた。
『滅びろ、グラヴァード!』
「ふん――」
グラヴァードは魔力の流れを検知する。妖剣テラ自体が滅んだわけではない。妖剣テラは、今なお獲物を、生贄をもとめているのだ。数千の命では飽き足らず、より多くの血と嘆きを求めているのだ。
なれば――。
グラヴァードはその魔力の流れを読み解こうとする。暗号化されたその魔力を解読できさえすれば、それを任意の方向に捻じ曲げることもできる。
「たいへん!」
ヴィーの手を握っていたカヤリが叫んだ。気取られた――グラヴァードは舌打ちしたい気分になる。
「妖剣テラの力が! 魔神の力が!」
セウェイの中に満ちていく。
「私が、止める!」
「だめだ、カヤリ」
セウェイの打ち込みを往なしながら、グラヴァードは鋭い口調で言った。だがカヤリは後に退かない。
「ハインツを倒せなかったのは、こんなにたくさんの人を犠牲にしたのに倒せなかったのは、私のせいだから!」
「違う!」
撃剣を繰り広げながら、グラヴァードはそれを否定する。
「君のせいではない。ハインツがそれ以上にしたたかな大魔導だった! それだけだ!」
グラヴァードはセウェイの剣を弾く。セウェイは大きく後ろに跳び距離を取る。グラヴァードは頬を伝う汗を感じつつ、状況を分析する。
時間がかかれば間違いなく不利になる。魔力も底をついている。激痛にやられてもいる。体力も限界を迎えつつある。
「トバース、カヤリを抑えておけ。その子でどうなる相手でもない」
「いやっ!」
カヤリが首を振った。グラヴァードは背後、つまりカヤリのいる方向の魔力密度が激烈に上昇したのを感じ取る。
「次は守りたい。私は、守りたいからっ!」
「それ以上は、だめだ、カヤリ」
息も絶え絶えに、ヴィーが呻く。誰の目にも、今のヴィーは瀕死だった。
「ヴィー、私はやらなくちゃ、ならない」
カヤリは頑なだった。少女の心はもう半ば以上壊れていたのかもしれない。
グラヴァードはセウェイの斬撃を受け流しつつ、考える。
「よし――」
自分ももう限界だ。役者の交代を決断するなら、今だ。
グラヴァードは大きく後ろに跳び、カヤリの隣に着地した。
「カヤリ」
「えっ、は、はい」
カヤリは表情を固くした。
「あとは任せる。ハインツを倒せ。手段は問わない」
「手段は問わないって……」
トバースがその言葉を繰り返す。
「それって、セウェイもろとも」
「そうなる可能性もあるだろう」
「しかし、グラヴァード様、それは」
「エクタ・プラムの幾千の犠牲を無価値なものとさせるわけにはいかないだろう!」
雷鳴のようなその声に、トバースは思わず首を竦めた。
セウェイの姿をしたハインツは、焔のようなオーラを放出していた。闇の魔神だった時以上の濃密な魔力が、周囲を隙間なく覆い尽くしていた。そしてそれは穴の奥から立ち上る魔力と合わさり、絶え間なく押し寄せる津波のようになった。
今やエクタ・プラムを守る結界はない。この超大規模、超高密度の魔力が暴走でもしたら、近隣都市にも甚大なダメージを与えるだろう。その結果、百万の死者が出るとしても驚くには値しない。
速攻で決める必要があった。
だが今それをできる可能性があるのは、闇の子――カヤリただ一人だった。わずか八歳の少女に、グラヴァードたちは命運を委ねざるを得ない。
「情けない話だな」
何が大魔導か。何が世界最強か。嘆息し、グラヴァードは首を振る。そのグラヴァードの前に、カヤリが音もなく進み出た。カヤリが展開した結界が、セウェイと都市の穴から発生する魔力を遮断する。魔力の圧倒的な奔流を受けても、全員を守るカヤリの結界はびくともしない。
「力を貸して……」
カヤリは両手を真上に突き上げた。
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