> call("Emerentiana")
「すっかり夜だな」
「従業員専用」と丁寧にラベリングされた扉を開けて外に出るなり、ヒキはあくび交じりにそう言った。顔認証センサ式のロックがかけられた頑丈な扉の向こうは、いきなりの雑踏だ。どんなご時世であっても、人間の行動というのはそうは変わるものではない。ほろ酔いの者もいれば、ナンパ目的の者もいる。一本奥に入れば、そこにはレトロな風俗店が立ち並ぶ。
日本国最大の都市のメインストリートだけあって人通りは多いが、誰も他人に関心を払うことはない。自分と自分にごくごく近い人間だけを同類項にまとめて、自分たちはその狭い環の中に閉じこもっている。これも戦前から変わることのない、人間の習性だった。かつては闇を恐れ、今となっては見知らぬ他人を恐れる。人とは何かを恐れずにはいられない生き物なのかもね――アキはそんなことを思う。
通信インフラの発達と共に人々のオフラインの関係はますます希薄になり、VRの進歩と共に、身体の存在や容姿についても取沙汰されることは少なくなった。彼らにとってみればソーシャルネットワークでの言動および、VR界隈でのアバターで構成されたものこそが実体であり、評価されるべき対象であった。実恋愛をする者もいないではなかったが、そもそも肉体関係すらVRで補完できるようになってしまった今、人間の本能に任せた人口増加は望むべくもなくなっていたのだ。
物理的世界はVRの発達とともに、緩やかに死に向かって進み始めたと表現しても、あながち間違いではないだろう。その右肩下がりをあざ笑うかのように拡張を続けているのは、物理的世界に対抗するレイヤである、ネットの――つまり論理的世界だった。
ぼんやりとそんなことを考えつつ、アキはヒキの顔を見上げた。
「何食べるの?」
「そうだな」
ヒキは少し歩みを遅くしながら視線を左右に走らせた。
「そこらの定食屋かな」
「焼肉は?」
「お前が食えないだろ」
ヒキは肩を竦める。が、アキは首を振った。
「付き合う付き合う。あの匂い、あたし好きなんだよ」
「その身体になる前は案外好物だったのかもな」
「へへへ……」
何だその笑い方と、ヒキも笑いながら応じた。そして手近な焼肉屋に入る。店内は客もまばらで、雰囲気も暗かった。何度か来たことのある店で、もともとそれほど景気が良かったわけではないにしても、今日はまるで葬式のようだった。だが、ヒキもアキも、不愛想なホールスタッフに対して何を言うこともない。一般人の中では極力目立たず――それが彼らの立ち位置、そして流儀だったからだ。
「肉っつっても合成肉だもんなぁ」
メニューを見てヒキがぼやく。もちろん天然肉もあるにはあったが、値段はべらぼうに高い。二人にしてみれば問題なく手の届く値段ではあったのだが、そんなものを注文すればイヤでも目立ってしまう。
「戦中の方が食料は豊富だったよねぇ」
未練がましく天然肉のセクションを見ているヒキを眺めつつ、アキは目を細める。ヒキは肩を大袈裟に竦めつつ、タブレット型の注文装置にいくつかの品物をリクエストした。
「北海道が全部ダメになったのが大きかったな」
「アメリカにしても穀倉地帯が軒並みやられたし、中国もロシアも言わずもがな。ヨーロッパ圏もズタボロにされてるしね。アフリカもオーストラリアも壊滅状態だし」
無事な国家も勢力も事実上存在していない。それでもこうして焼肉を食べることのできる程度の日常を保っていられているというのは、まだ幸福な方なのだろう。というよりも、戦争に巻き込まれていない地域の人間たちは、その世界大戦という事件そのものをまだ実感していないと言うのが正しい。ただ、戦前戦中と比べて、格段に不便になったことに対してシュプレヒコールを上げているだけだ。彼らの不満の矛先は、常に政権与党に向けられている。もっとも、それをアジテイトしてる野党にしても、とうに国民からは見限られているのだが。
「アキ、おまえさぁ」
運ばれてきた合成肉を焼きながら、ヒキはアキの黒い瞳を見た。今は青くは輝いてはいない。だから傍目には彼女が機械化人間であることはわからないはずだ。もっとも、仮に間違えて発光させてしまったとしても、「なんだ義眼か」で収まる話ではある。
「うん?」
どこか楽しそうに肉をトングでつつきまわしながら、アキが首を傾げた。長く美しい黒髪がゆらりと揺れる。
「あのさ、おまえ、幸せとか感じるのか?」
「何言ってんの?」
少し怒ったように反応する。ヒキは「すまん」と肉をひっくり返す。
「あたしだって、そこらの女の子……子じゃないなさすがに。そこらの女の人と同じように、色々感じてるよ」
「その身体と、その思いとのギャップに苦しんだりはしないのか?」
「うん?」
意味がわからない、と、アキはトングを置いて腕を組む。
「だってさ、人間としてのボディじゃないだろう?」
「手足もついてるし、顔だってあるけど?」
「そうじゃなく……」
言いよどむヒキの顔を見て、アキは「ははぁ」と手を打った。
「子宮はないからね、さすがに。そういうこと?」
「ストレートな奴だな」
ヒキは肉を皿に取り、さして上等でもないタレにつけて口に入れる。
「あたしさ」
アキは少し寂しげに微笑んだ。その微笑に、ヒキは思わず咀嚼を忘れる。
「もし普通の女の子だったら、ヒキのこと好きになってたかもね」
「普通の子だったら、俺と出会ってないだろ」
「そうじゃないよ、あたしの言ってることって」
アキは「やれやれ」と天井を見上げて溜息をつく真似をした。
「じゃぁ、ヒキに訊くけどさ。こんなマシンボディのあたしのことを、女として見ることができるの?」
「……どうかな」
ヒキはそれきり黙り込む。アキは小さく鼻歌を歌いながら、肉をくるくるとひっくり返していく。ヒキは何度か溜息をつき、そして意を決したように視線を上げた。待ち構えていたアキがスッと目を細める。その表情は妖しいほどに美しく、ヒキは思わず言葉を飲み込んだ。
「俺は……」
ヒキが言いかけた時だった。アキが急に表情を険しくして目を伏せる。
「どうした?」
「アサクラさんから緊急通信。関西地方にGSLが出現したって」
まじかよ、ヒキは呟きつつ、焼き上がった肉を一つ口に放り込む。
「至急本部に戻れって」
アキがそう言った時には、すでに二人とも立ち上がっていた。
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