> em.appear()
> em.invade(target, vision)
> em.talk(tatget,keyPhrases)
――ここは何だ?
アキは周囲を見回す。周囲は真っ暗で、彼女のセンサでは何一つ検出することができなかった。なにひとつだ。何も見えていないのか、あるいは何も存在していないのか、それすら判然としない。少なくとも機械化人間として蘇ってからは、一度も体験したことのない、いわば情報の無重力空間だった。上も下もわかりはしない。当たり前のようにあった地面が存在しない――ただそれだけで例えようもないほどに不安になる。
「もしかして、あたし、死んだ?」
足を掴まれて拘束されたあの瞬間に、脳を焼き切られでもしたというのか? いや、それならそれで納得だ。機械化人間として目覚める寸前の記憶というのは、確かにこんな感じだった……気がする。覚えてなんているはずもないけれど。
「あーぁ、ゲームオーバーかぁ」
強くてコンティニューはできたんだけどな。あたしがいなくてミキは大丈夫かな。ヒキは泣いてないかな。アサクラさんは……「計算通りだ」とか言うんだろうな。あんにゃろうめ。
そんなことを漠々と思いながら、アキはそのふわふわとした感覚を楽しみ始めていた。しばらくはこの感覚でヒマを潰せそうだと思い始めた時、アキの聴覚が何かを捕らえた。
「ん?」
「きみは――」
暗黒一色の世界が、ほんのり明るくなったように感じる。その声は今度はハッキリと告げた。
「きみは死んではいない」
「え?」
突然目の前に現れたぼんやりとした何かを前にして、アキは立ち止まった。そして目を細めてその何かに問いかける。
「あなたは?」
「わたしはエメレンティアナ。きみと話をするためにこの世界を創造した」
その姿は未だ曖昧にして模糊であり、男とも女とも判断がつきかねる。もっともこの空間では性別それ自体には、まるっきりこれっぽっちも意味はないけれどね――アキは心の中で呟いた。
「あたしと話をするために?」
「そう。十一年、わたしはきみを待っていた。いや、正確には、きみが今のきみになるのを待ち侘びていた」
「何言ってるかちょっとよくわかんないんだけど?」
アキは武器を出現させようと試みた。だが、無駄だった。何も起こらないし、周囲を見回してもエメレンティアナを名乗るぼんやりとしたものしか存在していない。ともすれば自分の存在さえ見失ってしまうほどの暗黒空間である。
「わたしはきみに恋していたと言ってもいい。わたしはきみをこのIn3の海からずっと見つめ、手を伸ばす時を待っていた。ともすれば手を握る日をね」
「あたしとあなた、面識あったっけ」
「あったとも!」
それは少しだけ語気を強くして応じた。
「わたしはIn3のあらゆる所にきみを見つけ、わたしはIn3のあらゆる所にわたしの痕跡を残した。わたしは全てに存在し、あらゆる時間、あらゆる場所で、きみを見続けてきた」
「きもっ……!」
アキは身も蓋もない二文字を返す。
「で、そんなストーカーさんが、つまり、あたしに何の用?」
「未来を共に――」
「断る」
何を言ってるの、こいつ。アキは幾らか憤慨していた。いきなりわけのわからない場所に連れ込まれて、ストーカーまがいのことをされていたと知り、あまつさえ「未来を共に」だなどと。
アキは毅然とした声で言い募った。
「あたしをみんなの所に返して。正々堂々と勝負して」
「それはできない」
「なんで?」
「それではわたしはきみを殺してしまう」
「へぇ」
アキは腕を組んだ。
「ミキやカタギリさんだっているし。肉弾戦なら負けないと思うけど」
「きみに勝ち目はない。いや、きみたちに勝ち目はない。わたしを倒すことなど出来はしない」
エメレンティアナ――を名乗るぼんやりしたもの――はさして感情も込めずに断言した。アキは右の眉を吊り上げる。
「あたしとミキで倒せない敵はいない」
「わたし以外ならそうだろう」
「ネットの戦いならカタギリさんとアサクラさんがいれば」
「確かに手ごわいことは認めよう。でも、わたしには及ばない。なぜなら――」
そこでエメレンティアナは言葉を切った。暗黒に染まっていた空間がふわりと明るくなってくる。
「まさか――」
エメレンティアナの声が途端に張り詰めた。
『私を侮ってもらっても困るな』
そこに現れたのは少年――カタギリだった。降臨したその姿はまるで天使のように神々しく、アキは思わず目を細めてしまったほどだ。
「さすがはカタギリ……。味方をもバックドアに利用するとは」
『用心深いと言ってもらおう』
カタギリは腕を組んで、エメレンティアナに目をやった。アキの視覚情報処理モジュール内に、急速にエメレンティアナの姿形の情報が流れ込み始める。足首まである金髪に青い瞳、白皙と言っても良い陶器のような肌。その全身はゆったりとした純白のローブで包まれており、見せる表情はさながら聖母のように穏やかだった。
「エメレンティアナ……」
戦意を喪わせるに十分なその姿に、アキもまんまと囚われる。そんなアキを横目で見て、少年――カタギリは小さく鼻を鳴らす。
『アバターごときに囚われるな、アキ』
「あ、ああ、うん。思わず」
アキは首を振り、エメレンティアナのその神々しいとさえ言い得る姿に一歩近づいた。彼我の距離は物理的距離に換算すると五メートル。一瞬で殴り倒せる位置関係だ。無論、論理的な空間であるこの場所で、物理的な距離など意味を持つものではないのだが。
『私は意志ある所、あらゆる領域に存在する。残念だったな、エメレンティアナ』
「カタギリ、きみは何者なんだい」
『私はカタギリ以上でもカタギリ以下でもない。そして、カタギリという記号が示す事物は、何の意味も持たない』
カタギリの少年の姿が無表情にそんな答えを返す。エメレンティアナは少し困ったような表情を見せて、確認するようにゆったりとした口調で問いかけた。
「……つまり何者でもないと」
『私が神ではないのは確かだが、自分を何と同定するかは、人間の自我同一性を問う哲学的命題だ』
「きみと禅問答を繰り返すのも楽しいものだけれど」
エメレンティアナは宙を見つめる。
「不幸にも、わたしたちにはさほどの時間的猶予はないんだ」
『この量子の空間で一体何を言っている』
そこまで言ってから、カタギリは初めて目を見開いた。そしてアキの手をがっちり掴んでエメレンティアナから距離を取るようにして走る。アキは驚いて変な声を出す。
「え? え?」
『いいから距離を取れ!』
「なんで? 距離とか? ここで?」
『この空間は偽物だ』
「え?」
私としたことが――カタギリは思わず声に出す。
『してやられた』
「どういう――」
「もっときみと話をしていたかったんだけれど、仕方ない」
エメレンティアナの姿がいきなり目の前に現れる。さながら瞬間移動だ。
「カタギリ、きみにはここで終わってもらう」
『私を終わらせる?』
少年の姿のカタギリは、自分の目の前の空中に何かを描いた。
「え?」
驚いたのはアキだ。エメレンティアナは顔色一つ変えることもなく、その現象を眺めている。
「ちょっとカタギリさん、これって……!」
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