03-009「パンドラの匣に手を掛ける」

Aki.2093・本文

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顕現けんげんせよ、GSL』

 短く応えたカタギリに、アキは絶句する。なぜカタギリがGSLを出現させられるのか、理解できなかったからだ。

「やはりね。きみは、そういうことか」

 エメレンティアナは頷くと、カタギリと同じように空中に何かを描いた。直後、空間を引き裂いて現れたのは、巨大なだった。カタギリが生じさせたのもまた、ドラゴンのような何かだった。身の丈三十メートルはあるだろうか。そんな二つの青白いが、アキたちをまるで無視して戦い始める。

「悪魔とかドラゴンとか、最近の流行っていったい何なの!?」

 アキは破れかぶれにそう叫ぶと、傍らで腕を組んでいる少年を見下ろす。

「それにさっきのって何?」
『この空間はな、In3ネットによく似た別物だ』
「エメレンティアナの独自ネットってこと?」
『同時に、環地球軍事衛星群グラディウス・リングの中の局所ローカルネットでもある』
「え?」
『試作段階で廃棄された新世代ネットワーク構造アーキテクトAgnアグネス模倣品ミームだ』
模倣品ミームって……」

 アキにはさっぱり意味がわからない。だが、カタギリは構わずに続けていく。

『エメレンティアナは、環地球軍事衛星群グラディウス・リングに至ったということだ』
「至るって……そんなのアサクラさんやあなただって」
『そうではない』

 カタギリは咆哮するドラゴンたちを見りながら首を振った。エメレンティアナが艷やかな微笑を見せながら口を開く。

「そう、わたしはAgnアグネスネットを解析し我が物にした」
『……偽物だがな』
「わたしこそがまことAgnアグネスの管理者」

 エメレンティアナは朗々と告げる。

「わたしこそがすべてのIn3ネットを従える上位構造」
『そう思っているぶんには勝手だが、エメレンティアナ』

 そっけなく切り捨てたカタギリは、挑発的に目を細める。アキはそんなカタギリとエメレンティアナの神々しい姿を交互に眺めるだけだ。

『私のモノに触れようとしたことは赦し難い』
「きみのものだって? Agnアグネスが?」
『そう、あらゆるノードは私のモノ。それがこの世界のルールだ』
「なんと烏滸おこがましい。人間風情がわたしの高みに至れると――」
「ちょっと待った!」

 アキが右手を突き出した。

「エメレンティアナはあたしと同じ機械化人間ワイスドールだって聞いた。だとしたら、っていう表現はないんじゃない? あたしたちを蘇らせてくれたのは、再びこうして戦う……いや、生きる機会を得られたのは人間たちのおかげじゃない」
「ははは! はははははははは!」

 エメレンティアナはその姿に似つかわしくない笑声を上げた。

「人間の、だって? そう、そうか。きみは確かにそうかもしれない。きみは戦いの中で死に、戦いのために蘇った」
「う……なんか心外だけど、その言い方」
「再び戦う、という表現もまた、そうだ。きみはきみの心にバイアスを埋め込まれている。きみは未だ、その事実に気が付いていないんだ」
「……バイアスってなんだっけ?」

 アキはむっとした表情を見せる。エメレンティアナは侮蔑するような様子もなく、歌うように告げた。

安全装置セイフティとでも制御装置コントローラーとでも呼ぶといいけれど、きみは機械化人間ワイスドールとしてこの世に再臨するにあたって、そんなプログラムが組み込まれたっていうことなんだ。そうだね、一種いわゆるマインドコントロールみたいなものだよ」
「あたしはあたしだし! 別に昔となんも変わってないよ」

 アキは両手を腰に当てて、エメレンティアナを睨む。そんなアキを見て、カタギリは無表情に言った。

『アキ、それでいい。認知バイアスの類からは、私以外のなんぴとたりとも逃れられない』
「傲慢、と言っているんだ。わたしは、カタギリ、きみのことを」

 エメレンティアナが唇の両端を吊り上げる。吐き出された言葉とその表情には、奈落と天頂ほどの落差があった。

「アキ、いいかい。わたしは八木博士によって生み出された究極の人間。あらゆるノードを睥睨し、支配し、管理するために生み出されたD.E.M.なんだ」
「で、D.E.M.デム?」
「そう、機械化人間ワイスドールの究極の形。人の創りし量子の、それが、わたしだ」
『ふん』

 カタギリは腕を組んだまま横目でエメレンティアナを見ていた。そこにはやはり、表情の類は欠片も見当たらない。カタギリには感情のような曖昧な概念は、そもそも存在しないようだった。

『その八木博士を亡き者にし、そしてその頸木くびきを逃れたつもりやもしれんが。それがお前の限界だ、エメレンティアナ』

 カタギリの言葉に合わせるように、二人が生み出したドラゴンが咆哮する。虚無の空間が震動する。

「さて、そろそろ」

 エメレンティアナが右手を上げた。その突き上げた人差し指を中心にして、空間が輝く。

「邪魔者には退場願おうか」
『ふ……』

 カタギリはその少年の顔に、表情らしい表情を浮かべた。アキがその横顔に見たのは、圧倒的な余裕だった。アキとしては、もう事ここに至っては何もできることはないと完全に傍観を決め込んでいた。いまさら慌てたところで、なるようにしかなるまいと。その諦観ていかんの念こそ、一度彼女ならではの観念なのだ。だが、彼女自身にはそういった死生観は、もはや自分では認識できないレベルの重要度プライオリティの低い問題でしかなかった。

『ここが真のAgnアグネスであったなら、お前の勝ちだっただろう』
「なに……?」
『言っただろう。と』

 カタギリはおもむろに右手を突き出した。その指先に黒とも紫ともつかぬ球体が生じ始める。そしてそれがカタギリ自身ほどの大きさまで成長した所で、カタギリはそれをドラゴンの方へとほうった。

「なに……!?」
『お前が私の挑発に乗ってGSLを出現させた時に、このAgnアグネス偽物ミーム構造ストラクチャは解析された。油断したな、エメレンティアナ』

 その暗黒の球体はドラゴン二体を巻き込んで、至極あっさりと消滅した。アキはその光景をぽかんとした表情で眺めている。自分とミキだったら、悪戦苦闘して少なくない損害を出したうえでようやく撃退できるか否か……そんな類の化け物だったからだ。

「ありえない……!」
『現実を見ろ、エメレンティアナ。お前がD.E.M.だとするならば、私はジ・イネインだ』
「イネインだと?」
『考えるが良い、その優秀な量子の頭脳でな』

 カタギリは泰然たいぜんと腕を組む。細い指がリズミカルに二の腕を叩いた。エメレンティアナはその美しい顔を険しくし、そしてカタギリを冷たい視線で見た。アキは思わず自分の両肩を抱いた。二人の間にはえ切ったハガネのような殺気がちていた。

「そんなことが有り得るはずがない。Agnアグネスの――」
『そういうことだ』

 カタギリは『今すぐに散りたくなければ退くがいい』と言って、目を細めた。

「え、ちょっと、カタギリさん。逃がすの?」
『ここで奴を殲滅したところで得られるものは少ない』

 カタギリは口を動かさずにそう答えた。

「でも、こいつ放っておくと、ベルフォメトとやる時邪魔されるかも?」
Agnアグネスの構造解析は完了している。おかげで私も環地球軍事衛星群グラディウス・リングのパンドラのはこに一歩近づけた。その点にだけは、感謝するよ、エメレンティアナ』

 カタギリはフッと微笑した。

 圧倒的な勝者の微笑みだった。

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