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――で、エメレンティアナは?
アキは電脳内に響くノイズに顔を顰めた。ミキの苛々とした声が遠慮なく送られてくる。
「ちょっと待って。今ね、変な空間に引きずり込まれてたんだ」
『お前たちの反応が突然消えたからな。だが、その辺はアカリから事情は聞いている。だが、エメレンティアナの反応がこっちに戻ってこない』
「その辺、あたしにもさっぱりわかんないんだ。カタギリさんが何かしてたんだけど」
『カタギリか。それなら仕方ないな。さっさと撤収しよう』
「りょ」
アキは膝についた土を払って、暗い丘の上を見た。その頂上にミキが仁王立ちしているのが見える。全身に重火器を装備したミキの立ち姿は、本当にサマになるなぁ――なんとなしにアキは思う。
アキはゆっくりと丘を登り、ミキと右手を打ち合わせた。
「あのね、カタギリさんがさ、Agnとかいうネットのことを言ってたんだけど」
電脳通話で話しかける。おそらくこの会話もカタギリには筒抜けだろうと思いながら。話題的にNGだったらカタギリが何らかの邪魔をしてくるだろうという程度の軽い気持ちだった。
『あぐねす?』
ミキは眼だけを動かしてアキを見る。アキは肯く。
「うん。Agn。In3ネットの上位構造だとかなんとか?」
『アグネス……聞いたことはないな。だが、In3だって作られて半世紀以上経つ。In3を踏み台にして新しい構造体が生まれてたって、なんにもおかしくはないな』
「それがさ」
アキは光学迷彩で隠された扉の前に立って、右手をかざす。すると無骨な灰色のドアが出現して、道を作った。アキの後ろにミキがぴたりとついてきて、二人が通過すると同時にドアが閉まった。一瞬の暗黒空間の後、通路をわずかばかりの照明が照らし出す。
「なんかこの暗転からの明かりって好きになれないんだよね」
「論理空間に渡った気分になるからか?」
「ううん」
ミキの声にアキは首を振る。
「死の世界に入ってる気がしちゃって」
「死の世界、ねぇ」
ミキはガチャガチャとけたたましい金属音を奏でながら、後ろを歩いてくる。総重量数百キロにもなる武装なのに、飄々とした様子で歩いているのだ。アキはくるりと後ろ歩きを始め、そして小さく唇を突き出した。
「さっきあたし、論理空間に捕らわれてたじゃない? あの時って、あたし、生きていたって言えるのかな?」
「今生きてるってことは、その時も生きてたってことじゃないのか?」
「それ、定義として成立する?」
アキは難しい表情を作る。ミキはやる気のない様子で肩を竦めつつ、重たい行進を続けた。
「生の連続性の話か?」
「うーん、そうかな?」
曖昧に応え、アキはまた前を向いて歩き始める。
「あたしたちってほら、一度死んだようなものじゃない? その後だって、機械化人間になってからも、本当なら何十回だって死んでる気がするんだよね」
「確かに受けたダメージを考えれば数百回は死んでるだろうな、生身なら」
「あたしたちはこれでも脳の一部は生身、なんだよね?」
「さぁな」
ミキは首を振る。
「確かに脳の一部はアタシたちのオリジナルだって言われてる。だけど果たしてそれがアタシたちの本物の脳だという保証はどこにもない。いまや生みの親たる八木博士もいない、その一番弟子のアヤコもこの手のブラックボックスまでは把握していない、そんな状況じゃあね」
「た、確かに」
アキはウムムと唸った。アキが思っていた以上にミキは賢明だったと、いまさらながらに感じたのだ。ミキは何とはなしに天井を見上げて続ける。
「その生き残ってる脳にしたって、果たしてそれがアタシたちを構成する要素足り得るものなのか……つまり、記憶や思考に関与するモノなのかはよくわかっちゃいない」
通路はまだまだ奥へ続く。ミキは思案顔をしつつ、アキの頭越しに薄暗い通路の先を見ている。
「そもそもアタシたちという実体……んー、実体というか本質が、物理空間にある必然自体、そもそもないじゃないかって気がするんだよな」
「私たちの本然はネットに存在しているって?」
「そこは飛躍しすぎかもしれないとは、さすがのアタシも思うけどさ。でも、そうであったとしても別に不自然じゃないよな?」
カタギリっていう存在もあることだし――アキはそう思って頷いた。
「人間は人間という形を持たないでも、人間として成立し得るっていう話?」
「逆に人間の形をとることで、アタシたちみたいに機械化人間という枠組みの中に、人間の魂を捕らえようとしているというか……まぁ、こんなのはアタシの戯言だ」
「ううむ……」
二人はようやくエレベータに辿り着き、遠慮なくその中に入り込んだ。ボタンを押すとすぐに重力がわずかに軽減された。
「肉体が魂を捕らえようとしているっていう考え方は新鮮だね」
アキは壁に背をつけてミキを見た。ミキはその武装の関係上、エレベータの中央に仁王立ちすることになる。二人の距離は二メートル。お互いのパーソナルスペースを十分に侵犯している位置関係だ。いつもなら無言で過ごすことの多いエレベータ内だったが、今日はお互いがお互いの言葉を必要としているかのように、なぜか我先にと唇を動かした。
「人間は――」
ミキが言葉を選びながら言う。
「人間が人間であることを明確に定義できなかったんだろう。だから、自分たちが新たな人間を……アタシたちみたいな機械化人間を創った。そしてそれを魂の器として定義した。つまり、神による人間の創造を真似った。人間が人間足り得るのに必要なモノとはいったい何なのかってのを確認するためにね」
「造物主の行為を真似ったってことか。それで神様気取り?」
「八木博士が喪失してしまっている以上、真相はもはや誰にもわかりはしないが」
八木博士は名実ともに今のアキたちの生みの親だ。しかし、機械化人間にブラックボックスを多数残したまま、行方不明になってしまったのだ。八木博士の研究室にいたアヤコも、機械化人間の中枢神経系までは掌握していないし、解析を試みたこともあったがまったく歯が立たなかったのだという。
「いずれにせよ、こんな話題はエレベータの間の暇つぶしにしかならないというのが、揺るぎない事実だ」
ミキはそう言うと、エレベータのドアが開くのを待つ態勢に移った。
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