04-005「ベルフォメトの威容」

Aki.2093・本文

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 おい、いい加減戻って来い。

 ミキはヘリの爆音に負けないくらいの音量で怒鳴りつける。カタギリの命令一下、地上に降下してアキの本体を救出、ついでに黒騎士を殲滅したところまでは良かった。だが、アキが一向に目を覚まさないのだ。

 悪いことに、カタギリにも状況がわからないのだという。

「カタギリ、あんた、どこでも現れることができるんじゃなかったのかよ」
『In3ならな。あの黄金の剣プロトコルに制圧された空間ではそうもいかない』
「ちっ」

 ミキは舌打ちすると、再びアキの端正に整った顔に視線を戻した。

「あっ!?」

 アキの目が薄く開いていた。青い輝きが目蓋からわずかに漏れ出ている。再起動のプロセスが走っていることはすぐにわかった。

「あー……」
「アキ!」
「お、おう」

 アキはぱちりと目を開いて、ミキの顔を見上げた。

「心配したぞ! 大丈夫か? 異常はないか?」
「んんんん……異常っていうか、すっごい違和感」
「違和感?」
「異物感っていうのかな……」

 アキは「よいしょっと」と身を起こし、座席に腰を下ろした。ミキもその隣に座る。

「あれ、武器はどうしたの? 丸腰じゃない」
「邪魔になったから捨ててきた」
「は?」

 ベルフォメトはどうするの、と、アキは尋ねる。

「弾薬使い切っちまったからねぇ。ベルフォメトは、アキが持ってきたビームランチャーで頑張ってみるさ」
「まったく、計画性がないよ、ミキ」
「しょーがないだろ。あの場にぞろぞろ軍隊が出てきたんだから」
「え、軍隊?」

 アキは眉根を寄せる。

「どこの? 中国軍なんてありえないよね?」
「そこなんだよ」

 ミキは難しい顔をして腕を組んだ。

「どうやら日本国うちの陸軍か、なんかの特殊部隊らしくて。アカリによれば、だけど」
「そういえば、倒した一人が日本語喋ってた。翻訳システムか何かかと思ったけど、そうじゃなかったのかな?」
「その可能性は高いな」

 ミキは唇の右端を吊り上げる。

「こいつは面白くなってきたな、なんて思わないかい?」
「思わないよ、あたし」

 アキは憤然として答えた。

「日本人同士でやりあってる場合じゃないっつの」
「まーね」

 ミキは大袈裟に肩を竦めた。

「でもわかったのは、ウチの組織は、日本国政府にうまい感じに使われてるってことだよ。桐矢官房長官のヤツ、アサクラと何やらありそうな感じだったけど、存外黒幕はあいつだったりしてな」
「なんのために?」
「なんのためにだって?」

 ことさらわざとらしく、ミキが尋ね返す。アキは口をへの字に曲げる。ミキはアキの肩をこぶしで軽く小突いた。アキはさらに不機嫌そうな表情を見せたが、突然「あっ、そうか」と合点した。

「クリスタルドール」
「は?」

 ミキは即座に電脳内で検索を行い、すぐに「カタギリが言ってたアレか」と頷いた。

「そうそう、それそれ。あたしね、あの黒騎士と一緒に、論理空間にいたんだよ」
「論理空間? いや、でも、In3には何も検出されていなかったし」
「そりゃそうだ」

 アキはボソッと言った。

「あたしたち、黄金の剣のネットにいたから。でもってね、そこであの黒騎士と戦った。そこにカタギリさんがAgnアグネスのネットからアクセスしてきて、それで、えーと」
「まぁいい」

 面倒くさそうな話になってきたとミキは渋面になり、右手をひらひらと振った。

「つまりそこで、おまえはクリスタルドールっていう単語の意味を知ったと」
「うん、それ、あたしらしい」
「おまえが?」
「クリスタルドール・ゼロって言われたんだけど、つまりこれって、長谷岡博士が隠していたものらしくて」
「……は?」
「つまりね、らしいんだよ、あたし」
「すまん、ぜんっぜんわっかんない」

 ミキは無骨な天井を無愛想に見上げて、わざとらしく伸びをした。そこに操縦席からヒキが通信を入れてくる。

『お二人さん、仲良くトークしてるところ悪いが、まもなくお届け完了だ』
「オーケー」

 ミキがアキが持ってきた携帯用ビームランチャーを持ち上げる。アキは「もう?」と言いつつ、視界の端に投影されている現在時刻を確認した。あと十分で十一時だった。

「正確だね」
やっこさん、もう見えるぞ』

 その言葉を聞くなり、アキはヘリから身を乗り出した。まだかなり先ではあるが、地平線付近で何かがギラギラと青く輝いているのが見えた。GSLの発する光に相違ない――アキは様々な情報を参照して、そう断定する。

『奴の周辺は半径十キロ以上、居住者はいない。少なくともオンラインできる人間はな』
「好都合」

 アキはそう言うと、自分自身の現状をチェックし始める。五感に変化はない。In3ネットとの接続もできている。剣も出現させられるし、格納もできる。大丈夫――みたいだけど。でも、違和感をぬぐい去ることができない。

 クリスタルドール・ゼロ……。「黄金の剣」と「Agnアグネス」という二つのプロトコルの接点にて中庸であるべきもの。

 それが何を意味するかはわからない。しかし。

『アキ、聞こえているか』
「カタギリさん?」

 尋ねつつ、アキはミキをうかがった。ミキは「聞こえてる」と頷いた。

『クリスタルドール・ゼロについての情報を検索していたのだが、今おまえが把握している以上のものは見つかっていない。In3にもAgnアグネスにもだ。おそらく、黄金の剣の方にもないだろう』
「となると、長谷岡博士はまだ何か隠していると?」
『そういうことだな』

 カタギリは即座に肯定した。となると――アキは腕を組む。

『ベルフォメトの中に何かあるかもしれん。あるいはその次か』
「もしくは北海道にあるかもしれない」
『可能性は十分にあるが、それは最後に取っておきたい。機械化人間ワイスドールでも、今のあの大地に耐えきれるかはわからない』

 カタギリは噛み締めるようにしてそう言ってくる。

「了解。カタギリさん、その辺の情報検索はお任せします。あたしたちは目先の脅威をどうにかすることだけ考えますよ」
『そうしてくれ』

 無感情な声に、アキは苦笑を見せる。だがミキは目を閉じていたのでそれに気付いていなかった。

『アキ、可能な限り奴に近付く。いつでも降下できるようにしてくれ』
「りょ。ヒキ、慎重に頼むよ」
『アカリに言ってくれ。俺だって運任せなんだ』

 ヒキは軽い口調でそう言うと、ヘリの進路を少しだけ変えた。先回りする必要があるからだ。

「うわ……」

 アキは最大望遠でGSL・ベルフォメトの姿を確認して、思わず呻いた。そしてその映像データを即座にミキに飛ばす。ミキはその瞬間に口をへの字に曲げる。

「気持ち悪いのを送ってくるなよ」
「あたし、こいつと接近戦しなきゃならないんだよ」

 アキは肩を竦めて言った。集合体恐怖症の人間ならば、間違いなく目視することすら拒絶するであろう、だった。そのが、疑いようもなくベルフォメトである。直径五十メートルはあろうかという青い球状の何か。その全身に、極めて均等な間隔で、黒くてまるい何かが張り付いていた。無数の瞳のようにも見えたし、カエルの卵塊のようにも見えた。

『気持ち悪いなぁ……』

 ヒキも望遠視覚で確認したのだろう。なんとも言えない声音が届く。アキはうんざりとした表情を見せながら、傍らの相棒にぼやいた。

「ミキぃ、あんなやつ相手にするのやだよぉ!」
「アタシだってイヤだ!」

 ミキは「デリートデリート」と鼻歌を歌いながらビームランチャーの砲身を撫で始める。現実逃避のようだ。

「アカリ、あいつの見た目だけでもどうにかならない?」
『無理ね』

 にべもない返答がある。不貞腐れるアキに対し、アカリは畳みかけるように続けた。

『そんな余力があるなら、奴のファイアウォールに穴をあける方に回すわ』
「やっぱ局所ローカルネット汚染から?」
『ええ。奴が通った後のネットは全部やられてる。政府側で強制遮断かけてるけど』
「強制遮断? そんなことしたら、その地域でオンラインだった人は」

 その問いに、アカリは「決まってるでしょ」と言わんばかりに溜息を返す。

『大変な騒ぎになってると思うわ。その地域のIn3の分岐点ハブが死んでるから、私からじゃ全く現状をモニタできないけど。でも、物理位置情報ロケーション的には、兵庫から長野までほとんど一直線に暗黒地帯になっている。でもさすがね、桐矢官房長官は。ベルフォメトの汚染被害を最小限にとどめている』
「へぇ」

 確かにIn3ネットの強制遮断なんて英断を下せた政府関係者は、戦中戦後を通して、今の所いない。ウィルスやハッカーによる攻撃を受けて論理層が大炎上した際にも、政府対応は常に後手に回っていた。

「アサクラさんがいろいろ口出ししたんでしょ」
『でしょうね。政府に恩を着せるつもりらしいわ』

 アカリが明快にそう言い切った。アキはミキと顔を見合わせて「やっぱりねぇ」と頷き合う。

『じゃぁ、あのブツブツ野郎の進行方向に降ろすぞ』
「やだなぁ、もう! やるけどさ……」

 アキはいよいよ近付いてきたブツブツ野郎もといベルフォメトを視界の端で捉えつつ、唇を尖らせる。ミキはそのかたわらで、ビームランチャーを無心に撫でていた。

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