俺たちはホテルの部屋で黙々とガンタンクを組み立てている。牧内社長からの言葉があまりに衝撃的で、俺はホテルに帰ってからほとんど口を開けなかった。それはメグ姐さんも同様なようで、口をへの字に曲げて、黙々とガンタンクの履帯を組み立てていた。ちなみにニッパーやヤスリの類も一緒に買ってきた。
先制攻撃モジュール・アンドロマリウス……。IPSxg2.0に接続されるモジュールである。アンドロマリウスは、IPSxg2.0で蓄積したデータをもとに次に攻撃を仕掛けてくる対象を先に潰すというシステムだった。というかそもそも先に潰す、というのはどういうことなのか。反撃というのならまだわかる。ネットの世界では、攻撃するときは防御がガラ空きになるのだ。1:1の形が何一つ保証されていない以上、防御に専念している相手を潰すのはそう容易ではない。他を攻撃している間に自分の本丸が落とされるなんてことも良くある話だ。もっとも、この辺の話は難しくなるので端折らせてもらうが。
「ねぇ、墨川くん」
ガンプラに触れているときは「くん」が付くのは変わらないらしい。
「先制攻撃モジュールってどう思う?」
「俺も今それ考えてました。一言で言って、危険ですね」
「どう危険?」
「予測で先に殴りに行くシステムでしょう? 無実の人をボコる可能性だってある。確率がわずかでもある以上、そんなシステムは採用すべきではないと思います」
「そうよねぇ、私もそう思う」
だけど——とメグ姐さんは眉間にしわを寄せる。
「その精度が限りなく高ければ……牧内社長の受け売りだけど、今のような専守防衛体制よりは圧倒的に防御力を担保できるようになる。なぜなら殴り返してくる相手だとわかれば、相手もそうそう簡単に殴りには来られないから。違うかな?」
「でもやっぱり、先制攻撃を行うのを主眼とするのならば、無用な攻撃を仕掛けてしまう可能性が否定できません。無用な戦争が起きたりしませんか」
「戦争……ね」
メグ姐さんは「んー」と唸る。
「だとしたら、第三次世界大戦って、AI同士のものなのかもしれないわね」
「AI同士の……平和っちゃ平和、ですかね」
「平和なもんか」
肩を竦めて、メグ姐さんは言った。
「勝った国が地球上の全ネットを支配するんだよ、墨川くん。ネットの支配ってことはつまり、情報の支配ってこと。どんな手を使っても覆せないし、世界一のAIが全ての情報流通を監視している限り、他のAIは適切なディープラーニングはできない。AIの持つ情報量、言ってしまえばその知能には、どんどん差が開いていくなんてことになる」
「追いつけないってことですか」
「そうよ。収穫逓増とも言えるけど、AIが蓄える情報は雪だるま式に増えていく。初期値が大きい、つまり優れた知性を持ったAIは、その分だけ蓄積する情報の増加が速くなる。差は開く一方ってことになるの」
「トップのAIは最初から最後までトップだっていうことですか」
「そうとも言えない」
メグ姐さんは首を振った。
「私たちがAIを創発したように、他のAIが何かを創発しないとも限らない。そうなった時が次のパラダイムシフトの時ね。第二のシンギュラリティが起きるんじゃないかなって思っているわ、私は」
「第二のシンギュラリティ……」
この女性はどれほど頭がいいのかと、俺は一瞬恐ろしさをも感じた。それは事実だ。メグ姐さんは俺に顔を近づけて「ま、それは置いといて」と小さく笑った。
「でもさ、無用な先制攻撃をする可能性が仮に本当にミジンコくらいの確率があるとしても、それもリスクの一つとして計上されているのなら、問題にならないわ。だって、攻撃を仕掛けようとしない限り動かないコマンドってものがあるじゃない。その発動の瞬間をトリガーとしてアタック。こっちに物理的信号が届く前に処理が終わるわ」
「そんなもんですかね」
組み上がりかけたガンタンクをぐるりと見まわして、俺はうっとりとしているメグ姐さんを見た。
「というより、それって相手のシステムを包括的に監視してなかったらできませんよね? むしろ相手に侵入してる必要すらあるかもしれない」
「そうよ、それは必須ね。だからAIは一度全地球的にネットワークを掌握する必要があるわ。さもなければ出し抜かれてしまうから。だから、シンギュラリティの本質は第三次世界大戦にあるとすら、私は思っているわ」
「どうやっても戦いは起きると」
「ええ。デジタルの世界で、静かにね」
時計を見れば午前一時。もうだいぶ眠たい。眠たいのだが、例の先制攻撃モジュール――アンドロマリウスのことを思うと眠ろうとは思えない。期限は一週間。それまでにIPSxg2.0と結合させなければ、文字通り俺たちの会社は消滅する。社会的にも、物理的にも。
「今はネットの情報だけで、容易に個人を特定できるようになっているわ。ISPと結託するアンドロマリウスなら、その接続情報だけで個人を認識できる」
メグ姐さんの目が爛々と輝いている。まるでヤマネコだ。
「そうなればその個人のありとあらゆる経歴、所属、家族構成、宗教や思想、財産、性的思考、犯罪歴、物理的移動経路、ルーティン、仕事の保証人……そういったものを知ることができるわ。ああ、Amazonの利用情報ももちろんね」
「でもネットの情報だけでは、知り得ない情報もあるのでは?」
「そんなことはないし、そんなものもないわ」
メグ姐さんは軽い口調で断定する。俺もそれは知っている。今や個人の情報リテラシーは地に落ちていたし、よしんば個人が気を付けていたところで、その周辺の人々や環境がその個人についての情報を漏らす。隣人の映した写真に車のナンバーが映り込むかもしれない。観光地で撮影した写真にその個人が映り込むかもしれない。店員が誰が来店したかをSNSに流すかもしれない。親がアップした子どもの顔が、十年後に当人たちになんらかの不利益をもたらすことになるかもしれない。
完全な個というのは——たとえその人がネットを使っていなかったとしても——存在しない。個人の情報は断片的に、しかも無数に存在していたし、それを組み合わせることさえできればその内面の、誰にも明かしていないはずの趣味趣向に至るまで分析ができるようになる。そしてそれは、個人と面会して行うそれよりも、情報量も多いうえに客観的であるから、はるかに精度が高い。
「心理カウンセラーみたいなやつってことよね、アンドロマリウスは」
「そうですね。プロファイリングからの犯罪傾向分析。あるいはそのターゲットとし得る対象の割り出し。そして先制的な警告および攻撃」
「そこなんだけど、墨川くん。その警告および攻撃ってのが気になったんだけど、どういう事かしら」
メグ姐さんの女性口調に少しドギマギしながら、俺はガンタンクの主砲をボディに接続する。説明書通りに作っているかどうかは、なんだかどうでも良くなってきた。こういうタイプの人間が料理を作るとたいてい甚大な失敗をするわけだ。俺は料理には向いていないに違いない。目玉焼きが関の山だ。
「攻撃ってのは気になりますけど、ソースコード見てみないと何とも」
「でもそれは存在してないって言っていたわよ、あの社長」
「ソースのないプログラムなんて存在しませんよ」
「どうかしら」
メグ姐さんはガンタンクの履帯を設置して、「ほい完成」と小さく手を打った。手慣れた様子だったが、説明書を見た様子はない。いったい今までに何台のガンタンクを作ってきたのやら。
「全地球規模と言えるほどにネットが広大になって、分散型コンピューティングも常識のようになったわ。机上の空論で終わった太陽光発電の仕組みなんて相手にならないほどにね、多くの人がそれを受け容れた」
グリッドという意味では、分散型コンピューティングも太陽光発電も確かに似ている。二つの明暗は今やはっきり分かれている。分散型コンピューティングはとうに一般的になっていたし、誰にも不利益を生じさせることのない、導入コストがかからない、この二点に於いて圧倒的に有用だった。コンピュータのリソースはただでさえ余りに余っているのだ。
「そして論理の方ではSNSを含む広義のクラウドの発達によって、その向こうにいる大勢の人たちの姿が見えなくなった。それにも関わらずネットには大きな流れは生まれ続けるし、その流れを作ったり維持するために必要だと思われた仕組みやプロセスは、いつの間にか生まれていて、いつの間にか当たり前のように運用されている」
「その起源にソースなんてない、と?」
「そういうことよ」
メグ姐さんは確信を持ってそう頷いた。でも俺には異論がある。
「でも実行されてるプログラムには、実体があるじゃないですか」
俺は辛うじてそう言った。
コメント