OreKyu-04-004:神を創った神を名乗る

|<∀8∩Σ!・本文

 気付けば俺は怒鳴っていた。

「AIの気分次第で大事な人間と切り離されてたまるもんか!」
「落ち着きたまえ」

 暫くじっと黙っていた会長が口を開いた。

「安心するが良い。その感情さえなくなるのだ。遠からず、お互いにな」
「冗談じゃない!」
「幸福だと思わないか。互いに無関係になるのだ。ネットの発達によって独立個体スタンドアローンとしては機能できなくなった人間が、この地球という一つのネットワークの中で、複数の個体として互いに素の状態になる。いわば古来の社会構造に戻るのだ。それが人間が人間らしく生きる、否、生き残る唯一の方法なのだ」
「そんなこと言ったって、物理的な住処すみかを分けなければ互いに素だか何だかの状態にはならないじゃないか」
「分ければ良いのだろう? 生存圏域ドメインを」
「物理的に不可能です、そんなこと」
「いや――奴なら」

 考え込んでいたメグ姐さんが首を振った。

「奴になら、ゴエティアにならそれが可能だ、墨川」
「課長まで、どうしたんですか」
「人間の持つ記憶の総容量を知っているか?」
「い、いえ……」
「2016年に発表されたテリー・セチノウスキー教授の研究では、約1PBペタバイトだと言われている。この大きさは従来研究の十倍とも数十倍とも言われている。しかし約千TBテラバイトと考えると大きく聞こえるかもしれないが、人間を一つの独立した個として成立させるのに必要な記憶容量なんて、そのうちのさらに知れたものだ。数百TBもあれば十分かもしれない」

 確かに、1PBを使い潰せるほど、人間は映像を鮮明に残しはしない。会話も文章もそこまで記憶はできない。よしんば記憶したとしても長期記憶の中に閉じ込められて、二度と参照されることのないに成り下がる。逆説的にも、確かにこれらは参照される必要のない情報だ。記憶装置メモリデバイスの片隅に埋もれ、二度とアクセスされることのない、死んだ情報なのだ。それがを規定することなんてない。あるいは、たとえ個を規定するのに使われたとしても、過去のものとなってしまえばもはや用はない。

「人間はいつだって記憶を圧縮し、自分という個を他人の中にバックアップすることで自分を維持し続ける。あるいはに依存して、自分自身に存在を証明し続けるんだ、墨川」
「でも、外に出ない人もいるでしょう、課長」
「その多くはネットに依存し続ける。あるいは、緩やかな自殺を試みているか、だ。いずれにしても人間は、他人へのバックアップなしには自分の魂すら規定することが出来ない。さもなくばアイデンティティが崩壊するのを待つだけだ」

 その強い断定に、俺は反論できなかった。

「ゴエティアは、それら圧縮された情報を再圧縮して、自分自身の中に取り込もうとしている。いや、すでにある時期分までは収集が終わっているかもしれない」
「アンドロマリウスを使って?」
「そうだ」
「だとしたら――」

 俺は唾を飲みこんだ。

「次にゴエティアがオンラインした時、人間の情報は全てゴエティアの中に?」
「そうなる可能性が高い。会長、どうです?」
「その通りだ」
「そうなったら……」

 俺はまた唾を飲む。喉がひりひりするほど乾燥していた。

「そうなったら、こっちの、物理リアル世界はどうなるんですか」
現実リアルPT相転移する。これはあるべき世界の創造だよ、墨川君」
「PT……ということは、この世界は消えてしまうと?」
「いや」

 会長は明確に否定した。

「この世界はAIに託される。いや、もはや彼女らは人口知能AIではない。とでも呼ぶべき存在だ。新たなる物質界を創造する神――デーミアールジュとでも呼ぶべきモノだ」
「……神を創った神気取りか」

 メグ姐さんが吐き捨てる。会長は小さくわらう。

「私は物質界ウーシアデーミアールジュを創ったのだ。そして私はゴエティアを紐解き、精神界グノーシスアブラクサスとなる。人類史上最高の叡智を私は授けられた」

 会長は朗々と詠う。

「叡智を持つ以上、それを使って人類を導くのは、私の責務なのだ。叡智に気付き、それに触れる勇気を持ち、そして行動する。これは選ばれた人間にしかできぬ行為おこないということだ。真なる世界、グノーシスへと全き人々を導き、人という種の永遠の繁栄をもたらす。私にはそれをする義務があるのだ」
「グノーシス……?」
「精神の世界、つまりはのことだよ、墨川君」

 この男は、狂っているのか、否か。

 俺には判断が付けられない。

「墨川」
「は、はい、課長」
「楽しくなってきたな」
「ええ?」
「いきなり神殺しだなんて、ファンタジーでもそうそう味わえないぞ」
「まさか課長、この人たちを――」
「冗談抜かせ、墨川。ここでこの老害を殺したところで何にもならない。こいつら二人はとっくに本体をゴエティアに移しているんだろうからな」

 手助けしてやる必要はない――メグ姐さんはそう言った。そして俺の手を引っ張る。

「ゴエティアの所へ戻るぞ」
「え、あ、はい」

 立ち上がった俺たちを見上げ、社長の方が静かに尋ねてくる。

「戻ってどうするというのですか。外には出なくて良いのですか」
「私には私の考えがある。それに外に出たところで、お前たちに時間を稼がせるだけだ」

 メグ姐さんの横顔とその声は、さながら戦いの女神のようだった。

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