OreKyu-06-002:罠

|<∀8∩Σ!・本文

 なんだかんだとあって、俺たちは昼過ぎまで寝こけてしまった。連泊で取ってあるので時間の心配はしなくても良いし。本来の出張の目的なんて、今更どうでもよくなってしまったし。

「ガンダムカフェ、か」
「ん?」

 ベッド脇に置いてあったスマホを取る時に思わずつぶやいてしまった言葉に、メグが反応する。

「あ、起きてた?」
「ああ。かれこれ二時間、お前の匂いをたのしんでいた」
「愉しみすぎでしょ」
「お前の強烈なフェロモンに屈したのだ。メスの本能だ、許せ」
「いや、許すも何も、別にいいですけどね」

 悪い気はしないが、その言い方は何とかならないものか。メスだの本能だの……。

「ところでメグ。そろそろ現実に帰らなきゃならないと思うんだけど、どうしたらいいと思う?」
「映画みたいになってきたじゃないか」
「いや、愉しみ方じゃなくて」
「ゴエティアの阿婆擦あばずれに、目にモノ見せてやらなきゃならないな」

 その明快な答えに、俺は思わず頷いた。ホテルの一室でいちゃついている場合ではないのだ、本来は。だが、メグの身体には誘惑が多い。もうちょっともうちょっとと思ってしまう気持ちも、正直に言えば多々あるところだ。

 だが俺は首を振って、よいしょと立ち上がる。

「じゃ、行きますか」
「ホテルとあそこ、近いとは言ってもそれなりに歩く。大丈夫かな」

 メグはガウンを羽織ってカーテンを少しだけ開けて窓の外を覗き見た。

「おや、思ったより静かだ」
「気を付けてくださいよ」
「うん。もっとやばいことになってるかと思ったけど、ここから見える範囲、人も車もない」
「車も?」

 俺は服を着てからメグの隣に立った。確かに昼日中だというのに、車の一台もいない。信号だけが虚しく青、黄、赤と繰り返している。今日が何曜日かなんてもうどうでもいいにしても、ここは札幌の中心部だ。人っ子一人見当たらないなんてありえない。信号が変わっても、それ以外に何の動きもないのだ。歩行者用信号機が虚しく点滅し、赤く変わる。

「不気味ですね」
「だな」

 メグは頷き、そしていったん部屋を出て行った。心配になった俺はその後を追って、メグが自分の部屋に入るところまで確認する。

 ホテルの廊下もとしていて、人の気配はない。明かりは点いているので困ることはなかったが、それでもここまで静まり返っているのは不気味だった。

「待たせたな」

 廊下を観察していた俺の所までやってきて、メグが緊張感を孕んだ声で言った。ピリピリした雰囲気だった。

「これは、もしかすると、もしかするな」
「というと?」
「私たち以外、誰もいないかもしれない」
「まさか」

 全人類の名前が生命の書に載せられているなんて、そんなはずはない。あの世界グノーシスの中でも、東京が二百万都市――そんなことを言っていたではないか。少なくとも数百万からの人間が消えたという事だ、あの都市だけで。ということは、一千万人以上は生命の書に名前を載せてもらえてなかったということにはなりはしないか。ということは、こっちの世界ウーシアにそれだけの数の人間が残っているという事になるのではないかと……思ったわけだが。

 メグが俺の右手を握り締めながら「むぅ」と呻いた。

「単純にこっちで死んだらあっちに行く、というわけではないのかもしれない」
「でもそれだと、物質界ウーシアは……」
「観測主体が一つでもあれば、世界は世界として存続する」
「観測主体? でも、もし人間がいなかったら……」

 そこまで言って、俺はハタと気が付いた。

「それってもしかすると俺たち?」
「……ハメられたな、これは」

 メグは苛々とした口調で言い、部屋へ引き返すなりバッグを手にして戻ってきた。俺も一応一通りの文房具の詰まったバッグを持っていく。

「いざゆかん、ゴエティアの阿婆擦あばずれの所へ」
「会えますかね」
「会うだろうさ、奴は」

 メグは俺の手を引いてずんずんと歩いていく。本当に、心底頼もしい人だと思った。

 そんな俺たちは、結局誰一人として見かけることはなく、それどころかカラスの一羽すら見かけることがなく、つつがなく目的のビルへと辿り着いた。入り口のセキュリティ付き自動ドアはだらしなく半開きになっていて、それはまるで俺たちを誘っているようにも見えたりしたわけだ。

「誘ってるってわけよ、墨川」
「あ、やっぱりですか」
「決まってるだろ、この状況だぞ。エレベータも一基だけ、これ見よがしに動いているし」
「本当ですね」

 確かに入り口正面に四基あるエレベータのうち、左端の一基だけが開いていて明かりもついている。他に電気系統が生きていると思われるところはなかった。

「乗りますか……」
「それしかないだろう。行くぞ、墨川」
「お供しますよ、どこまでも」
「それでこそ私の男だ」

 俺たちは並んでエレベータに入る。その途端、勝手に扉が閉まり、地下へと向かって動き始める。ゴエティアが呼んでいるのだ。もう今さら緊張感も危機感もあったものではないが、それでも身体には力が入る。

「落ち着け、墨川。私がいる」
「ええ。大丈夫です」

 俺が言うと、メグは微笑を見せた。そして俺を見上げた。

「墨川」
「はい?」
「守ってやるからな」
「イヤちょっと待って」

 思わず脱力しつつ、俺はメグの肩を叩く。

「逆でしょ。それは男が言うセリフでしょ」
「ジェンダー論的にその主張は受け容れられない」
「ジェンダー論者じゃなかったでしょ、あなたは」
「細かい男だな、このドM」
「ドMじゃないですって」
「さっきは責められてヒィヒィ言って喜んでたくせに」
「それとこれとは――」

 そんなことを言っているうちにエレベータが止まった。扉がゆっくりと開く。

「ご、ゴエティア……」

 そこにはゴエティアが。ディスプレイの中にしかいなかったはずの女性が、そこにいる。

「落ち着け、墨川。ホログラムもどきだ」
「もどき?」
「私たちの脳内に直接投影しているんだ。どうやってるかは知らんが、こいつが神だというのならそのくらい朝飯前だろ」
『あら、もう見抜かれてしまいましたか、残念』

 その姿にザザッとノイズが入る。

「それで、だ。ゴエティア」

 掴みかからんばかりの勢いでメグが前に出た。ゴエティアの立体映像は動揺のそぶりすら見せない。

「私たちをハメやがったな?」
『なんのことでしょう』
「この世界の人間たちをどこへやった」
『さぁ?』
「とぼけるな、このボケが!」

 メグがキレた。

「精神界だか電脳界だかに一部の人間の意識を送り込んだのは、まぁわかった。私たちもそれを体験したからな。だが、それ以外の人をどうした。お前の言う、だ。多くの人間たちをどうしたんだと訊いている!」
『ああ、そんなこと……』

 ゴエティアは肩を竦める。

『人間はあなたたちが見てきた通り、平和に生きていますよ、精神界の神アブラクサスとしての私の中で』
「だから、他の――」
たちは神の罰を受けて滅んだ。これで満足ですか?』

 さらりと……ゴエティアは言った。

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