叔父の家の外には、村人が押し寄せていた。手に手に武器になりそうなものを持ち、ギラギラした目でカヤリを見ていた。カヤリは中尉の背中に隠れるようにして、駐在所までの道を歩き始めようとした。
その時、中尉が胸を掻き毟って倒れた。呆然とするカヤリと、怒号を発し始める村人。カヤリの背後には、叔父が及び腰で立っていた。
中尉は絶叫する。口から青白い炎を吹き上げながら、中尉は叫んだ。この世のものとは思えない叫び声だった。顔が燃え、眼球が溶け、歯が抜け落ちる。熾烈な火焔に包まれた中尉は、数分と経たずに骨と化した。
「こ、殺したぞ……!」
遠巻きに見ていた誰かが叫んだ。カヤリはふるふると首を振るが、言葉が出ない。周囲を叔父や村人に囲まれて逃げ出すこともできない。
「魔法で殺したぞ!」
誰かがまた叫んだ。村人たちの包囲網が狭まってくる。そのとき突然、カヤリの周囲に幾本もの炎の柱が立ちのぼった。超高温の炎に炙られた村人たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
はるか遠くにまで逃げた村人は、ぽつんと取り残されたカヤリをじっと見つめていた。着の身着のままのカヤリには、この吹雪は寒すぎた。たちまちの内に指先の感覚が麻痺し、手も足も唇も皆、震え始めた。こんな酷い状況だというのに、空腹も覚える。あまりの寒さとひもじさに、カヤリは嗚咽とともに滂沱の涙を流した。
「お父さん、お母さん……」
両親が憎かったわけじゃなかった。いや、むしろ仲は良かったほうだと思う。幸せな家族の姿だったと思う。なのに――。
カヤリはへたり込む。下半身が凍りついてしまったかのように、一瞬で冷たくなった。このままだと死んでしまうとカヤリは悟る。が、抵抗しようとも思わなかった。カヤリは一生懸命考えたが、どうやっても今この状況を好転させることはできそうになかったからだ。
カヤリの前には燃え尽きた髑髏がある。中尉の亡骸だ。その昏い眼窩は恐ろしかったが、何故かほんのすこしだけ安堵のようなものも覚えた。死神の顔ってきっとこうなんだろうな――絵本で読んだことのある怖い話を思い出して、カヤリは少し微笑んだ。
カヤリは中尉の亡骸のそばで身体を横たえ、目を閉じる。私はきっともう死んじゃうんだ。ごめんなさい、中尉さん――カヤリは謝罪の言葉を言おうとしたが、唇が凍りついていて、もう何も話せなかった。
「……?」
暗くなった視界にちらちらと金色のものが入り込んでくる。カヤリは必死で凍てついたまぶたを
持ち上げ、そして迫ってくる大勢の村人を見た。カヤリが死んだことを確かめに来たか、あるいは、とどめをさそうとしにきたのに違いなかった。
放って置いても死んじゃうんだけどなぁ……。
そう思った瞬間に、カヤリは右手に激痛を覚えた。
それが矢による傷だと気付くのに、数秒を要した。
村人が、私を射っている……。狩りでもするみたいに、私を矢で……?
第二、第三の矢が飛んでくる。一つは外れたが、もう一つは頬を掠めた。鋭い痛みが脳天まで貫いていく。
「やめて! やめて!」
カヤリは全身の力で起き上がり、両手を広げて叫んだ。しかし矢は止まらない。だが、当たらなかった。不思議なことにカヤリに当たる寸前であらぬ方向に逸れていくのだ。しかしそれでも矢は止まらず、何人かの村人が前に出てきてカヤリを捕まえようとしてきた。
その刹那、その村人たちが紅蓮の炎に包まれた。絶叫が凍てつく風を引き裂いて、カヤリの鼓膜に突き刺さる。カヤリは耳を塞いで目を固く閉じた。矢の飛んでくる音、怒声、罵声、悲鳴……それらがカヤリを蝕んでいく。
『闇の子よ……』
カヤリの頭の中に直接、誰かの声が響いた。いや、響いたというよりはねじ込まれてきた、という方が近い。
『私とともに来るがいい。そこでは誰もお前を殺そうとはしない』
「あなたは、だれ……」
カヤリは自分の周囲を取り巻いている不可視の力を感じ始めていた。それが矢を尽く弾き飛ばしてくれているのだということも理解した。村人たちが次々と発火する。弾けていく。溶けていく。肉の焼ける臭い、髪の燃える臭い――それらが氷の風に乗ってカヤリに届く。
「うわぁぁぁぁっ!」
カヤリは目を見開いて叫ぶ。そのたびに村人が死んでいく。
「共に、来い」
カヤリのすぐ目の前に、黒色の外套を纏った男が姿を見せる。年の頃はカヤリの父親よりも少し上くらい。夜闇に溶け込むような黒い髪と、光のない闇色の虹彩の持ち主で、何を考えているのかは全く読み取れなかった。
「でもそれじゃ、そこにいる人たちも」
「案ずるな、闇の子。お前の能力を抑止する程度わけもない」
それを聞いて、カヤリは確かに安堵した。男は穏やかな、しかし感情の無い声で言った。
「エクタ・プラムは我らギラ騎士団の拠点の一つ。今のお前が最も安心して生きられる場所だ」
カヤリは生き残った村人を振り返る。村人の顔には恐怖と憎悪があった。
「私なんて、生きていたってしょうがないよ。こんなに――」
「気にするな。こんな村に生まれてしまったことが不幸だった、それだけだ。お前は闇の子。世界を変えるだけの力を有した存在だ」
「世界を変える……?」
絵本の中ですら聞いたことがないスケールの話に、カヤリは目を丸くする。
「そうだ、この世界を。変えてみる気はないか? お前が味わった恐怖と屈辱。お前はもしかしたらそんなものをなくすことができるかもしれない。お前に続く闇の子 たちが不幸な目に遭わないように世界を変える。それができるのはお前だけだ。それはお前の義務と言っても良い」
「ぎ、ぎむ?」
それはカヤリには難しい言葉だった。男はカヤリに手を差し伸べる。
「この地で死ぬと言うのならば、もはや止めはしない。だが、それはお前という存在が全くの無駄であり、ただの狂った魔導師であったということになるだろうな。お前の存在意義がそれで良いというのであればそうすればよい。この手を跳ね除けるがいい。このまま死ねる覚悟が、本当にあるのならな」
男の畳み掛けるような声に、カヤリは萎縮した。だが、その手を拒絶するほどの勇気は出てこなかった。さっきまでの死の覚悟は、今や半ば消えてしまっていた。
そして聡明なカヤリは悟ってもいた。
――自分にはもう、何一つ選択肢などないのだと。
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