自動的に開く扉を抜けて建物に踏み入ると、カヤリたちの背後で扉が閉まった。途端に外の賑やかだった灯りが消え失せ、全くの闇に染まる。なのに自分の手や隣にいるヴィーの姿だけはやけにはっきりと見える、カヤリにとっては極めて不可解な闇だった。床も壁も天井も何も認識できないのに、自分がなにかの上に立っていることは理解できる。その事にカヤリはひどく混乱した。
「はは、そうなるのも無理はないさ」
カヤリの右手を握りながら、ヴィーが笑う。
「この建物自体が分厚い結界で覆われていてね。この異常にでっかい建物それそのものがダミーみたいなものさ。あたしたちギラ騎士団は大手を振っては歩けないからねぇ」
「大手を振って歩けない? なんで?」
カヤリの率直な疑問文に、ヴィーは少し思案し、カヤリの手を引いて歩き始めた。全くの闇の中を、ヴィーは迷いなく進んでいく。
「あたしたちギラ騎士団はね、魔導師と大魔導で構成されているんだ」
「あの、魔法使いさんって、そんなにたくさんいるんですか?」
「それなりにね」
ヴィーは頷きながら言った。
「この国はね、龍の頭にあたる場所にあるだろ?」
「りゅ、りゅうのあたま?」
「おや? 知らないのかい?」
ヴィーは足を止める。カヤリは「うーん」と唸ってから言った。
「この世界が紫龍の身体でできているっていうことは聞いたことがあるけど、でも、そんな」
「それは真実なのさ、カヤリ」
再び足を動かし始めたヴィーが言う。
「あたしたちのこの足元にはね、八百年くらい前に世界を滅ぼした龍の身体でできているのさ。しかもその龍、紫龍は死んだわけじゃない」
「ええっ……?」
「紫龍はただ眠っているだけなのさ」
それはヴィーたち魔法使いにとっては常識的な話だった。なぜなら魔法というものは紫龍の力を拝借して行使しているものだからだ。だが、大多数の人々は、それはただの創世の物語だと信じているし、この世界が紫龍の身体で出来ているということを信じようともしない。
「ま、そんな話はおとぎ話と思われているくらいでちょうどいいのさ。あたしらギラ騎士団にとっては、そのほうが都合がいいしね」
「都合、ですか?」
カヤリからは警戒心はすっかり無くなっていた。今や好奇心が勝手に口を動かしていると言っても良い。
「そのうちわかるよ、きっと。で、さっきの大手を振って歩けないって話だけどさ」
「あ、は、はい」
そうこうしているうちにも、ヴィーはカヤリの手を引いてどんどん奥へと進んでいく。
「あたしらの力があれば、本来なら国家騎士なりなんなりに取り立てられて、左団扇の生活ができる身分さ」
「そ、そうなの? 魔法使いって、そんなに?」
「あたしらギラ騎士団は、押し並べて魔導師から大魔導級だからね。普通の魔術師クラスじゃそうまではならないかな」
ヴィーはどことなく錆びついたような笑みを見せながら言う。
「まぁ、そうだねぇ。あたしたちはみんなあんたと同じ、ワケアリ。魔法使いとしての能力が発揮されたその瞬間から、まっとうな道を歩くことを許されなくなっちまった日陰者の集まりってわけ。ギラ騎士団はそういう連中でできている」
「ひ、ひかげもの、です?」
「まぁ、そこは気にするなって」
ヴィーはようやく立ち止まると、右手を虚空に突き出した。すると突然世界が光に満たされる。実際の所はたいした明るさではなかったが、闇に慣れきった目には、夏の陽光すら凌ぐほどの威力を持っていた。カヤリは開いている左手で咄嗟に目を覆う。頭の奥にまで突き刺さるようなその輝きに、カヤリはすっかり参ってしまった。
「すぐ慣れるさ。とりあえずちゃんとついておいで」
「は、はい」
カヤリは目が見えなくなっていたが、それだけに右の掌に伝わるヴィーの女性らしい柔らかさが、カヤリを安心させていた。しかし、それと同時に、カヤリは己のガサガサの掌に羞恥を覚えてもいた。極寒の地方で日々手伝いに明け暮れていた結果、肌は荒れに荒れていた。
「気にするなって、そんなこと」
ヴィーはカヤリの心を先回りする。カヤリは俯いて、懸命にヴィーについていく。
「事の次第はハインツ様から聞いているよ」
「えっ? でも、お話する時間なんて」
「思念通話ってやつ。よくわかんないと思うけど、つまり、そうだな、ええと、離れててもいつでも話ができるんだ。あたしたちクラスになればだいたいみんな出来るんじゃないかな」
「すごいです、しねんつうわ? 手紙とか使わないでもいいってことですね?」
「これもまぁ、便利なだけでもないんだけどさ」
ヴィーは少し荒んだ微笑を見せた。
「そもそも、大魔導の力なんて、ロクなもんじゃないけどさ」
「……そうです、ね」
カヤリは俯いた。黒い瞳が潤んでいた。それに気付いたヴィーは少し慌てたように右手を振った。
「まぁ、やっちまったもんは仕方ないよ、カヤリ。後悔するもよし、懺悔するもよし、だ。わかるさ、あたしには。あんたが殺そうとして殺したわけじゃないってことくらい。あたしもそうだった」
「ヴィーも?」
「ああ、そうさ」
その頃には、カヤリの視力も回復してきていて周囲がぼんやりとは見えるようになっていた。金属のような壁に囲まれた狭い廊下がひたすら真っすぐに続いていて、しかもその床が前に前にと動いているようだった。動く床に乗っていながら、ヴィーたちは歩いているのだ。
「この道の先には何があるの?」
「研究室と、あんたの部屋があるんだよ」
「私の部屋?」
「そう、カヤリの部屋だ。ちょっとした実験につきあってくれさえすれば、なに不自由ない生活を約束するよ」
「な、なに不自由なく?」
カヤリには意味がよく理解できなかった。不自由が何であるかすら、カヤリはよくわかっていない。
「あんたはね、カヤリ。あんたは、被害者なんだよ。大魔導級の魔力を最悪のタイミングで発現してしまっただけの哀れな娘ってこと」
「だいまどう……? 私が?」
「そう言ったよ」
ヴィーは穏やかな口調で応える。
「あんたの魔力は、魔導師なんてもんじゃない。今、あたしもバシバシ感じてる。その無秩序な魔力の迸りを制御できれば、あんたはあたしなんか足元にも及ばなくなるかもしれないね」
「そんなこと……」
「才能ってやつは残酷なものさ」
ヴィーはそっけなくそう言った。
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