WA-02-06:過去を見れば袋小路

大魔導と闇の子・本文

 だだっ広く人影もまばらな実験場の片隅にて行われたヴィーによる特訓は、一言で言ってだった。

 もともと短気な性分のヴィーは、「カヤリができるようになるまで待ってやる」という発想は持ち合わせていない。ひたすらに理論を積み上げ、実践を繰り返させる。八歳だからという忖度もない。具体的には一時間で一つの魔法を完全習得させるというようなやり方だった。

 学校に行ったこともないカヤリにしてみれば、これが始めてのだった。机に向かって座るという習慣がないカヤリにとって、それ自体がかなりの苦行だった。しかしヴィーは泣き言に耳を貸さない。

「大魔導ともなると、呪文をブツブツ言ってりゃ大抵どんな魔法だって発動する。いや、それどころじゃない。カヤリ、あんたがように、思っただけでそれが現実になっちまうことだってある。文字通り思いのまま、さ。だけどね、カヤリ。それには常にリスクが付きまとう。どんな初歩の魔法にでもね。そのリスクを抑えるために必要なのが、理論だ」
「は、はぁぃ」

 カヤリは朦朧とした口調で応じる。だが、カヤリの集中力はまだギリギリのラインで持ちこたえていた。

 カヤリは非常に賢く、どんな状況下にあっても見聞きしたことは忘れないという能力を持っていた。たとえ寝ぼけていても、その時の記憶は鮮明なのだ。それはヴィーの手間を大いに省くことになり、同時にカヤリのを減衰させることにも役立った。それでも初日にして、カヤリはかなりの精神的苦痛を味わっていた。

「きついかい?」

 目がうつろになっているカヤリを見ながら、ヴィーが訊く。カヤリはふわふわと頷きながら声を絞り出す。

「同じ時間、薪割りしてたほうがずっと楽……」
「ははは! 体力には自信がありそうだね! よろしいよろしい。勉強するにあたっては、最後にものを言うのは体力さ」
「そうなんだ」
「体力があれば、いざとなれば二日三日徹夜で勉強できるだろ」
「ひぃ」

 大真面目なヴィーの言葉に、カヤリは露骨に引いた。

 昼食を食べながらもヴィーの講義は続き、時間的には夕方に差し掛かる頃になってようやく、ヴィーはカヤリに休憩を与えた。

「ついてきてるかい?」
「たぶん……」
「よしよし、良い子だ」

 ヴィーはカヤリの髪をくしゃくしゃと撫で回し、そして少し暗い表情を見せた。

「陣魔法の制御を学ぶにはね、きちんと陣魔法を習得しなければならないんだよ。あたりまえだけどね。でも、陣魔法は、紫龍セレス使。自分の封印を解くために、素質を持つ者に乱発させようとするのさ。その結果が、イーラ村のあんたの所業」
「そ、そうなの?」
「そうなの。あんたは全く知識がなかったし、紫龍セレスのことすらよく知らなかった。だからあの時は仕方なかった」
「でも……」

 カヤリは目と鼻の頭を赤くし、ポロポロと涙をこぼし始めた。握りしめた両手が震えている。ヴィーは「んー」と面倒くさそうな声を出して、その見事な赤毛を掻き上げた。

「いいかい、カヤリ。やっちまったことはどうしようもないんだよ。どんなことであっても取り返しはつきやしないんだ。過去を見れば袋小路だ。でも前を向け。横を見ろ。必ず道はあるんだよ。どんな場合だって。どんな過去に追い立てられていたってさ。そしてね、あたしたちは、少しでもその無慈悲な過去に与えられた痛みや悲しみや苦しみを無駄にしないための未来をね、選び取る責任があるんだ」

 ヴィーの言葉を受けて、カヤリはじっとヴィーを見つめる。

「あんたが仕出かしたことは、そりゃあんた一人で責任を取れるようなもんじゃないよ、カヤリ。どんなに悩んだって苦しんだって泣いたって、殺した人間は蘇らないんだから。でもね、あんたのしたこと、あれは事故だ。でもあんたは苦しんでるだろ。だからこそね、あんたはそんなクソみたいな過去に対して、徹底的に復讐する必要がある」
「過去に、復讐?」
「そうさ、そのために――」
「おしゃべりが弾んでいるようだが」

 突如割り込んできた男の声に、ヴィーの表情が硬くなる。カヤリにもその声の主はすぐにわかった。ハインツだった。

「ヴィー、魔法理論があらかた終わったら、接続実験に進むように」
「も、もう、接続……ですか?」
「ああ。も動き始めている。時間はさほどない」

 頭上で交わされる会話に、カヤリはついていけていない。だが、口を挟む勇気も湧いては来ない。

「接続は……いつまでに?」
「明日中には第一次接続実験を開始しろ」
「あ、明日ッ!?」

 ヴィーが思わず高い声を発した。ハインツは感情の抜け落ちた表情のまま、一つ肯いた。

「早ければ早いほど良い。一通りの理論は教えたのだろう?」
「い、いえ、まだそこまでは。今実験を開始したら、不完全な――」
「構わん。完全であろうと不完全であろうと、いずれにせよだからな。それ以上もつなら御の字だが、我々はそこまでは求めておらん」
「ハインツ様……」

 ヴィーの表情が暗い。カヤリはにわかに不安になる。ハインツはカヤリを一瞥すると、そのまま踵を返して歩き去ってしまった。ヴィーは変わらず下を向いてうつむいていた。

 その後は、ヴィーはハインツとの会話には一切触れず、夜中近くまで自棄ヤケになったかのように特訓を続けた。さすがに睡魔に勝てなくなったカヤリは、ヴィーの声を聞きながら気を失ってしまった。

 実験……。

 一度きり……。

 何が起きるの……?

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