WA-03-05:壊崩陣

大魔導と闇の子・本文

 まったく、無茶をする。

 グラヴァードは昏々こんこんと眠り続けるトバースを見て、小さく息を吐く。あれから丸一日が経過するが、未だ覚醒の様子はない。物理的ダメージこそ皆無だったが、あの瞬間、魔力の逆流に晒されたのだ。トバースの内外を揺蕩たゆたう魔力に、まったくもって安定性がなくなっている。通常は考えられない現象だった。

 あのが使った魔法は、対象の精神の中に甚大な魔力を強制的にじ込むものだ。それにより対象の魔力は飽和状態となり、バランス制御能力を失い、その結果暴走して死に至る。

壊崩陣エードー・ヅォーネ……だったか」

 グラヴァードが助けに入らなければ、トバースもまた塩の柱と化していたことだろう。残り時間、一秒の数分の一というタイミングで、グラヴァードはトバースを退避させたのだ。

 深入りしたものだと、グラヴァードは低く呟く。議会に働きかけるところまではグラヴァードの計算どおりだったのだが、まさかあの魔狼剣士団フォールディラスの中佐を操ってハインツの前まで出向くというのはさすがに予想外だった。トバースとしては、確実にハインツを仕留めようという考えがあったのかもしれない。あるいはせめてその動きを封じようという狙いがあったのかもしれない。

「うぅ……」

 仁王立ちのグラヴァードの視線の先で、トバースが目を開けた。まだ朦朧とした表情だった。燭台のゆらぎのせいかもしれないが、その頬はこけ、目はひどく落ちくぼんでいた。魔力の不安定さも相変わらずだ。

「まだ寝ていろ、トバース」
「ああ、いえ、大丈夫、です」

 トバースは身を起こしてベッドの端に腰掛けた。そして何度か頭を振る。

「助かりました、グラヴァード様」
「気にするな。助けに入るのが遅くなってすまなかった」
「そのようなことは」 
「それで、異常はないか? 魔力はひどいことになっているが、それ以外は」

 グラヴァードに言われ、トバースは数秒間目を閉じて沈黙する。

「ああ、大丈夫そうです。ひどい風邪が治った後、みたいな感じですね」
「そうか。それなら」

 グラヴァードはベッドサイドの椅子に腰を下ろす。

「しかし、生きて帰れただけまだ良かったというところだろう」
「まったくです。というか、助けられなかったら終わってました」

 トバースの言葉にグラヴァードは無表情に頷いた。

「しかし、さすがはハインツ。全く一筋縄ではいかんな」

 グラヴァードは目の前のテーブルに置かれている 燭台の炎を見つめる。トバースは首や肩を動かしながら、「それで」と口を開いた。

「どうしますか、グラヴァード様」
「うん?」
「あの子のあの様子では、あまり時間もないかと……」

 キルバーが殺される前に現れた小さな女の子は、間違いなくであるとトバースは確信していた。纏っている魔力があまりにも強大だったからだ。グラヴァードは頷く。

「魔力に汚染されていたな。精神状態も心配なところだ」
「汚染、ですか? あの子の魔力ではなく?」
「生来の力ももちろん強力だろう。だが、ああ、そうだ、トバース。妖剣テラの話は知っているな?」
大災害セレンファクサランスの際に現れた魔神ウルテラの?」
「そうだ」

 グラヴァードは頷く。トバースは昔聞いた伝承を思い出す。

「ええと、確か、魔神ウルテラは龍の英雄をしても撃滅に至らず。しかし力を弱めた瞬間に、二振りの剣、魔剣ウルと妖剣テラと言う形にして封印されたと」
「そのとおりだ」

 グラヴァードはまるで教師のように肯定した。

「幸いにして、妖剣も魔剣も、現時点では直接手を出せるような状況にはないようだが、ハインツはそこにを見つけ出したようだな。無限の力を引き出す手段だ」
「無限の魔力を供給する妖剣との接続……?」

 トバースの顔面は蒼白だ。

「そんなことをしたら、あの女の子は無事では済まされない」
「そうだな」

 グラヴァードは腕を組んだ。

「だが、もうすでに限界かもしれない」
「だとしたら……」
「あの少女は死ぬだろう。そしてハインツのことだ。ただ死なせるなどということはすまい。何らかの力を行使させようとするだろう」
「まるで自爆攻撃じゃないですか、そんなの」
「ハインツがそれを躊躇することはない。周知の事実ではないか」

 まるで温度のない声でグラヴァードは言う。トバースは厳しい表情で沈黙する。

「トバース。俺が出向きたいのは山々なのだが」
「あなたは監視されてますからねぇ、当のギラ騎士団に。少しでも動けばたちどころに察知されます。僕を助けたのもかなり危ない橋を渡ったと思いますよ」
「監視しているのはギラ騎士団というより、あれのだ」

 グラヴァードは言う。

「さすがに奴は厄介だ。今はまだ、極力目立つ動きはしたくない」
「確かに」

 トバースは頷いた。

「僕もこれ以上厄介な事態になるのはちょっとごめんこうむりたいので、あなたは僕の後ろでどーんと構えていてください」
「ふむ」

 グラヴァードは目を細める――笑ったのだ。

「では是非そうさせてもらおう。さしあたっては、あのについては全て任せる。やりたいようにやってみろ。ただ、ハインツはもちろんだが、あの使には気をつけろ。一筋縄で行く相手ではないぞ」
「承知しました。ただ――」
「ああ」

 トバースの言いたいことを悟り、グラヴァードはゆっくりと頷いた。

「あれだけの魔力を使った後だ。あのへの再充填にはまだしばらくかかるだろう。今は君も休むがいい」
「あの子が心配ではあります」
「焦るのは悪手だ。君がとして万全の状態にならないことには、次の段階には進めん」
「承知しました」

 トバースはそう言うと、再びベッドに横になった。グラヴァードは無言で立ち上がると、部屋を出て行った。

「ああいう素っ気ないところが不器用っつーか」

 トバースは苦笑する。

「モテない理由だと思うんだよね」

 そう言って燭台の灯を消す。室内はほとんど真っ暗闇に落ちる。

「炎使い、か」

 トバースはあの雨の中で見た赤毛の女性を思い出す。あの影のある表情が、なぜだかひどく気になった。

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