それから一週間、俺たちはひたすら西に向かって進み続けた。幸いにして街道は整備されていて、馬車から伝わる振動も、まぁ、そこそこに良心的だった。タナさんの灸と湿布とマッサージの力で、腰痛もどうにかごまかせた。
途中途中、散発的な襲撃はあったものの、そのほとんどが六人もの王国騎士の姿を目にした瞬間に逃げ出した。一人ならまだ人海戦術でどうにかなったかも知れないが、国家有数の手練が六人、完璧な布陣で待ち構えているのだ。盗賊や傭兵が、仮に五十人いたとしても、圧倒的に不利なことは自明の理だった。
タナさんは王国騎士たち一人一人に、労いの言葉を忘れなかった。おかげで今や、タナさんは王国騎士に崇拝すらされていた。タナさんは人を褒めるのが上手い。王国騎士たちは完全にタナさんの味方だった。俺はといえば「腰痛の人」的な認識しかされていないに違いない。格好いい所一つもなしである。
俺の仕事はといえば、「よし、それでいこう」と言うことだけだった。基本的に王国騎士もタナさんも間違えないので、承認以外の選択肢がないのだ。これもまた、なんか居場所がない。
「あんたはリーダーなんだから、偉そうに突っ立てればいいのさ。偉そうにね」
タナさんは俺の左腕に右腕を絡めつつ言う。最近、タナさんはよく腕を組んでくれる。最初こそ、リヴィはいちいち「にひひっ」と笑っていたが、最近はすっかり慣れてしまったようだ。ウェラは「パパとママは仲良しさんだよねー」などと言っている。王国騎士たちは何も言わなかった。
「で、エリさん。こいつらどうするのさ」
「そうだなぁ」
久しぶりに頭を使う時間がやってきた。俺の目の前には武器を没収された男が三人。全員、王国騎士やリヴィたちにボコボコにされていて、見るも無残な姿だった。他にも十名以上いたのだが、そいつらは仲間を見捨てて逃げていった。王国騎士たちも俺の意を汲んで、また、ウェラやリヴィに配慮して、鞘あるいは素手で襲撃者を撃退していた。もっとも、この前のように魔導師のような連中が出てきたら、殺す気で戦わなければならないだろうが。
「ま、ほっとこう。仲間に合流するなりなんなりすればいい」
「パパ、こいつら、人を襲うのを商売にしてる奴らやで?」
リヴィが不満げに言う。そこでフォローに入ったのが、タガート隊長だ。
「こいつらの血は、俺たちの剣を汚すに足りるか、リヴィ」
「そないなこと言われると、うーん……」
リヴィは腕を組む。
「なら、リヴィ。お前が首を刎ねろ」
「ええっ!?」
リヴィが目を丸くする。日暮れの空の色が、リヴィの青い瞳に映って揺れている。俺の隣に立つタナさんの表情は、少し鋭い。ウェラはオロオロしていた。
「その躊躇いの気持ち、大事にしろ、リヴィ」
タガート隊長はそう言ってリヴィの頭に手を置いた。リヴィは何か言おうとしたが、言えずに終わったようだ。
「というわけで、エリさん」
タガート隊長は俺を振り返る。俺が頷くと、王国騎士たちが包囲を解く。が、そいつらは逃げなかった。一人が譫言のように言う。
「魔女を殺さないと、俺たちが殺される……!」
やっぱりね。
「魔女に死を!」
一人が立ち上がって、俺たち――正確にはタナさん――に向かって突っ込んでくる。しかし、それはリヴィが阻止した。鞘に収めたままの剣を、そいつの顔面にフルスイングしたのだ。
「これは痛い」
鼻血を噴出しながらもんどり打って転がっていくそいつに、少し同情する。その時、タナさんが鋭い声で警告を発した。
「エリさん、魔力だ! 全員、離れな!」
タガート隊長がリヴィを突き飛ばし、他の騎士がウェラをかばう。俺はタナさんに見事に足をかけられて引き倒されている。
直後、男たちが爆発した。言いようのないグロテスクな光景が広がったが、俺はウェラとリヴィには見せたくないな――くらいの感想しか持てなかった。
「まだ魔力は薄まってない! 本命くるよ!」
タナさんが伏せながら怒鳴った。空間の熱量が一気に高まる。
「なんだこれ!」
「口開けて耳塞いで目を閉じな!」
タナさんが一息で指示を出した。騎士たちの方を伺う余力はない。俺は黙ってタナさんの指示に従った。
直後、猛烈な爆発が俺たちを襲った。前後左右上下からの叩きつけるような爆炎だ。温度も非常に高い。爆音に耳をやられ、衝撃に体幹をやられ、閃光に目をやられた。
爆発自体は一瞬だったが、しばらく俺たちは起き上がれなかった。王国騎士たちも然り。
「ひどい不意討ちだよ、まったく」
その中でも最初に起き上がったタナさんが吐き捨てた。俺もタナさんの手を借りて立ち上がり、周囲の状況を確認する。王国騎士たちはマントがボロボロになっていたが、全員が全身甲冑を着ていたこともあって無事なようだった。リヴィやウェラも、彼らにかばわれたおかげで若干煤けている以外には問題はなさそうだった。
「危ない所でした」
タガート隊長がタナさんに礼を言いに来る。
「なに、アタシにはこのくらいしかできないからねぇ。それよりあんたたちは大丈夫なのかい?」
「マントと甲冑、少し修繕が必要ですな」
そう言って白い歯を見せて笑うタガート隊長である。つくづく頼れる男だと思う。伊達に王国騎士団の中隊長ではないというところか。
「もっとも、このくらいやられていた方が、今後色々と都合が良い。それに、修繕費は王家持ちですからな」
王国騎士たちはそれぞれの馬に跨る。馬たちは爆発に驚きはしたものの、特に被害は出ていなかった。俺たちはいつもどおり馬車に乗り込んだ。
俺は隣に座っているタナさんにぶちぶちと言う。
「ごろつきをけしかけたと思ったら、そいつらを吹き飛ばすとか、いったいどういう神経してるんだ」
「最初からああやるのが目的だったのさ。エリザは生前から人の命をなんとも思っちゃいなかったみたいだしねぇ」
タナさんは未だ呆然としているウェラとリヴィを見遣りながら答えた。
「リヴィ、あんた真っ青だよ」
「ウチ、怖くなってきてしもた。人間をあんな簡単に殺せる奴がエリザってことやん?」
「そうだな」
俺が先に頷いた。
「あ、で、でも、逃げたいとか、そういうんとはちゃうで? けどな、今までなんとなく持ってたモヤモヤしたもんがな、こう、今ので一気に恐怖ってものに変わって、それで――」
「怖いってのは悪いことじゃないぞ、リヴィ。問題は、その怖さを飼いならせるかどうか、だ」
「怖さを飼いならす?」
「そうだ。俺だって、タガート隊長だって、他の王国騎士もな、今だって正直怖いんだよ。何が来るか、何が起きるかわからない。誰かが死ぬかもしれない。そういう不安や恐怖を持ちながら、それと上手いこと向き合って前に進んでいるんだ」
「パパも怖いの?」
ウェラが少しぼんやりとした表情で訊いてくる。
「そりゃね。エリザってやつがどんだけこの世に執着してるのか知らないが、とんでもない化け物なのは間違いないだろ。クァドラやドミニア以上に。だから、怖い。というより、タナさんやウェラたちが傷つくんじゃないか、もしかしたら死んでしまうんじゃないか――そういう不安はすごく大きいんだよ、ウェラ」
「ウェラは誰も傷付いてほしくないよ」
「みんなそう思ってる。なぜなら、みんな大切な何かを抱えているからだよ」
俺の言葉に、ウェラは頷いた。リヴィはガナートの剣を少し抜いた。刀身に自分の顔を映しているのだろう。
「ウチ、恐怖で役に立たんようになってまうかもしれん」
「リヴィ」
俺とタナさんの声が重なる。俺は肩を竦めてタナさんに発言権を譲った。
「恐怖を乗り越えても、エリさんは身動き一つままならないじゃないさ。万が一足が竦んじまったとしても、戦えない事を恥じちゃいけないよ、リヴィ。そういう時はね、一番守りたいものを強く思うんだよ、何よりも強くね」
「それで……それで、大丈夫やろか?」
「アタシは大丈夫だと思ってる」
タナさんは静かに言う。その言葉には相当な重みがあった。
「恐怖を知ったあんたにならね、リヴィ。アタシたちは安心して背中を任せられるよ」
「ほ、ほんま? ウチ、めちゃめちゃ不安やねんけど……」
「アタシだって不安だよ、リヴィ。不安を撃退する必要はないよ。恐怖と同じ。気まぐれなこいつらと、どう付き合うかだけを考えりゃ良いのさ」
「わ、わかった」
リヴィはそう言って、剣を鞘に戻す。そして目を閉じた。そんなリヴィにウェラが寄り添うようにして座っている。ウェラは大人びた表情で俺たちを見ていた。
「精霊さんがね――」
ウェラはふと遠くを見るような目をした。
「魔女を止めろって。エリザを止めろって」
「精霊が?」
「うん」
ウェラは静かに肯定する。
「さもなくば、この国は再び戦争で満ちるだろうって」
再び――。胸の奥に痛みを覚える。二十年前に王国全土に内戦状態を引き起こしたのは、誰あろう、俺だ。将軍たちに担ぎ上げられ、自分の出自に絶望し、兄たちに失望し、同時に激しく嫉妬し、そして、国中を荒らしたのだ。何も得るもののない、ただの内戦だ。目的すらよくわからないまま、将軍たちによって俺は神輿に乗せられ、そして、結果としてエリザに勝るとも劣らない数の被害者を生み出した。
悪魔の子――今となっては、まさにな、と思う。悪魔の所業以外の何物でもない。
あの中で俺も本当は死ぬべきだったし、死ぬはずだった。しかし、ハイラッド公爵のおかげで、俺は生き延びてしまった。
「償い、なのかな」
思わずそう呟いた俺の肩に、タナさんは軽く頭を乗せた。
「あんたは、生かされたんだ。生きろと言われたんだ」
「罪人として、か」
「そうさ。だからこそ、アタシたちはエリザを討たなきゃならない」
タナさんは静かに言う。
「エリザが戦争を企むのならそうだろうさ。あんたの兄たちに王位継承権をちらつかせて、エリザ自身の力を見せつければ、そんなのは容易いことさね」
「もうすでに見せつけてる感はあるな」
疫病に飢饉――それだけでも十分だ。すでに何万と死んでいるし、人々は魔女狩りに熱狂した挙げ句に相互に疑心暗鬼になっている。まったく灰色の世界だ。
五十年前まではエリザが内戦を主導し、二十年前には俺が。そして次は再びエリザが――事を起こそうとしている。それを許すわけにはいかなかった。誰あろう、俺だからこそ、そう言える。
だが、俺にできることといえば――。
「パパ」
リヴィが目を開ける。
「ウチ、頑張るわ。頑張って、パパもママも、もちろんウェラも護ったるさかいな」
「無理するなとは言わない。だが――」
俺は答える。そして、幾分か力を込めて言い放つ。
「生きろ」――と。
リヴィは俺をその青い瞳で見つめ、頷く。
「ウチは、その言葉、恨まんで。縛られもせんよ。せやけど、生きる。パパがウチに生きろ言うたからやない。ウチが生きたいと思うたからや。何がいようが、何が起きようが、ウチは絶対に生きる」
「ウェラはおねえちゃんだから、しっかりリヴィを護るよ」
「おおきにな」
リヴィはウェラの頭をポンポンと叩く。ウェラは「幼女扱いするなー」とか喚いた。それを見て、俺とタナさんは思わず笑う。俺も少しは緊張していたのかもしれない。それが少し楽になった気がした。
どうしたら、俺はこの子たちを護れるのか。タナさんを護れるのか。
自分の身さえ護れない身で、何を言っているのか――俺の中の悪魔が嗤う。
「エリさん、一つ言わせてもらっていいかい?」
「ん?」
「あんたには、何の力もないさ」
刺さる。結構刺さる。いきなりそれを言われると――。
「だけどね、あんたにしかできないこともある」
「それは?」
「何回も言ってるだろ?」
「タナさんの力になる?」
「そうさ。それでいい。この物語、主人公は誰だったっけ?」
タナさんは微笑んでいた。俺は「やれやれ」と頭を掻いた。
「あんたがいなければ、この物語は成立しやしないんだ。そしてアタシはこの物語を楽しんでる。決して歌われることのない物語。如何にもアタシらにぴったりだろう?」
「でも、俺だって役に立ちたいのさ」
「今のあんたを、アタシは全面的に肯定するよ。たとえ剣が振るえない剣士だったとしても、過去に何を抱えていても、悪魔の子であるとしても、ね」
タナさんは言う。
「エリさんはね、ただアタシたちを信じてくれればいい。あんたが物語の主人公。だから、必ず、その時は来る」
「……ありがとうな、タナさん」
俺は役に立たない長剣を眺めながら、声を絞り出した。
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