> notice ntc = gr.watch("Aki")
> ntc.doAnalysis()
ヒキは目の前でアキのメンテナンスを行っているアヤコの美貌を眺めながら、一人唸っていた。
「ヒキさん。顔が怖いですよ」
「そりゃぁ怖くもなるだろ」
「In3ネットワークがあの衛星群に監視運用されてるとか、そういう話でしたか?」
「そうそう」
ヒキはデスクに頬杖を突きつつ、仮想キーボードを何度か叩く。In3ネットに関する様々な情報を自動収集させていたのだ。
「どこにもそんなことは書かれてないぞ」
「それが答えですよ、ヒキさん」
アヤコは艶のあるショートボブに左手をやりながら悪戯っぽく笑った。その微笑はこの世のものとは思えぬほどに美しく、そしてまた凛としていた。近寄り難い雰囲気を醸し出すアヤコだったが、ヒキにはその手の魅了の術は通用しない。というより、ヒキは容姿の美醜に全く関心がない性分なのだ。
そもそも、容姿など物理的にはいくらでも変えられるし、ネットを通じて相手の視覚モジュールに介入しさえすれば、誰でも美男美女になることができるからだ。そして事実として、それはファッション感覚で行われていることであり、ゆえに誰も咎めようとなどしない。よって、視覚的要素は人を判断する要因にはならない。ヒキがアヤコに関心を持つのは、ひとえにその中身、能力の高さゆえである。ヒキの目から見ても、アヤコはまぎれもなく天才だったし気立ても実に良かった。ヒキがアヤコを嫌う要因はどこにも見当たらなかった――それだけだ。
「で、アヤコ。それが答え、とは?」
「ないはずがないじゃないですか、そういう類の話が」
「でも実際に存在してない。何も引っかかっちゃ来ない」
「だから、それが答えですってば」
アヤコはアキを覚醒させながらまた微笑んだ。
「ないはずがないものが、ない。つまりそれは恣意的に削除された情報だということです。誰がなんのために、となってくるとまた難しい話になっちゃいますけど」
「なるほどね」
ヒキは白い天井を見上げた。アヤコが作ったナノマシンによって常に清潔に保たれている室内の空気は、戦場に慣れたヒキには少し息苦しかった。
「アサクラさんの話、確かに簡単には信じられませんが、論理的整合性は取れているように感じます。それに実際、あのアヴァンダだって、軍の分析によってナノマシンの集合体だったという事が判明しているわけですし。GSLの戦闘端末群もまた然り。でしょう?」
「そうなんだけどなぁ」
ヒキは今一つ釈然としていない。
「そもそもそれだと、In3ネットが環地球軍事衛星群によって支配されてるってことだから、だとすると、たとえあのカタギリだってアサクラだって、そもそもGSLの本体には勝てっこないじゃないか」
「どうでしょう?」
アヤコは覚醒したアキの様子を観測しながら言った。
「環地球軍事衛星群が一つの意志体であるという先入観があるんじゃないですか、ヒキさんには」
「それは……そうかもしれない」
「でしょう? 環地球軍事衛星群もまた複数の意志体による合議制を取っている可能性だってありますよね。アサクラさんの論理で言えば、ですが。情報あるところに意志があるとするなら、その情報の切れ目もまた存在するはずですよ。そうでなかったとしたら、宇宙は全宇宙で一つの意志しか持たないことになってしまいますけど、実際には違いますよね?」
「むぅ……となると」
ヒキは、モニタの中で勝手にカテゴライズされていくネット上の情報を眺めやりながら腕を組んだ。その掌にじっとりと汗を感じながら。
「戦後十年経った今、こうしていろいろ起きているのは、In3ネットの総意……と言えるってことか?」
「かもしれませんね」
アヤコはうんうんと頷いた。その時、アキが眼球だけを動かしてヒキを見た。
「聞こえてたんだけどさ、ヒキ」
「ん?」
「アサクラさんの話、分かる気がする」
「どういうことだ?」
「あたしはあたしなんだよ、ヒキ」
アキはそこで意図的に一拍置いた。
「あたしはね、アキであってミキではない。ミキもまたミキであってあたしじゃない」
「そりゃそうだろう、なんだ藪から棒に」
「じゃぁ、あたしがあたしである理由って何だろうって。あたしがあたしたる憑代ってどこにあるんだろうって。今、話を聞きながら考えてた」
アキはよいしょと身体を起こし、座ったままアヤコの最終チェックを受けた。
「オーケー、大丈夫よ、アキ」
「さんきゅー」
アキはアヤコの両肩をポンと叩くと、ヒキのそばまで流れるように移動してきた。足音の一つも立てない、暗殺者の歩みである。その動きを見て「よし」と頷いたアヤコは、軽く右手を挙げてヒキに声をかけた。
「私、これからミキの方を再起動させてきますので。しばらく奥に籠りますね」
「ああ、頼むわ、アヤコ」
さすがに今日は疲れた。ヒキは頷いて立ち上がった。
「アキ、これからメシ食うんだが」
「付き合うよ」
アキはニッと笑みを見せる。ヒキは「すまんね」と言いながら、地上へ繋がるエレベータの一つに乗り込んだ。
「でさぁ」
エレベータの壁面に寄り掛かりながら、アキが声を発した。その淡く青光りする瞳は、エレベータの回数表示を何とはなしに見ていた。
「あたしはかつてはただの人間だった」
「記憶はあるのか?」
「あるんだけど、ない」
アキは躊躇いがちに言った。ヒキと出会ってかれこれ五年近くが経過しているが、そこまで突っ込んだ話はしたことがなかった。あくまで戦場のパートナーの一人であり、メンテナンスの主任であるという関係に過ぎなかったからだ。
「どういうことだ、アキ」
「いや、あるんだよ。人間だった頃の記憶……思い出というのかな? そういうの。子ども時代から、戦場でミンチになるまで」
「そうなのか」
「うん」
でも、と、アキは続ける。
「すごくリアルじゃないんだよね。夢みたいな。後付けの記憶ですよーと言われたら、ですよねーって答えちゃえるくらいに、すごく適当な感じ」
あっけらかんと答えるアキの横顔をチラリと見て、ヒキは再び自分のつま先に視線を落とす。
「とりあえずの前提として、この記憶が本当に人間時代のものだったと信じるとして。でもだとしたら、どうして今のあたしがあたしでいられてるのかなって、実はずっと疑問だった。だって、脳の大半も吹っ飛んじゃったんだよ。直前のバックアップはあったにしても。魂が肉体に宿る……それが仮に正しいとしたら、あたしの肉体なんてもう無いわけなんだから、どこにも魂は宿れない」
「脳が一部残ってるだろう?」
「知ってる通り、ごくごく一部だけね。でも、それが機能しているかどうかなんてわかりゃしないよ、ヒキ。たとえ活性反応が見られるとしたって、それは電脳による疑似信号の結果に過ぎないかもしれないんだし。だからあたしは、情報があるところには魂……ていうか、意識が生まれると思うんだ」
アキはぎこちなく、溜息をついてみせた。機械化人間であるアキには、溜息をつく必要も機能もない。人間的な呼吸すら不要なのだから、当然だ。ヒキはそれを見て肩を竦める。
「環地球軍事衛星群はそれを考えれば膨大な情報を集積できる場所であるわけだし、今もなお成長し続けている情報群であるとも言い得るな」
「だよね」
アキは頷く。
「だから、あそこにはあたしみたいな意識が無数にあるんじゃないかって、そんな気がしている」
「無数に?」
「そう、無数に。情報は組み合わせによって意識の形を変えていく。だから、一つの情報群の中に三つも四つも千も億も、組み合わせが発生する可能性がある……あたしはそう思う」
「でもだとしたら……」
ヒキの言葉はエレベータが停止したことで中断された。地上に出たのだ。
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