04-003「カリキュレイション」

Aki.2093・本文

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 ここは?

 アキは慌てて視覚情報の感知レベルを最大にする。周辺は暗黒で、地面は格子状に白い線が引かれており、そのりガラスを思わせる床板は、寸分の誤差もなく敷き詰められていた。無限に続く平面が存在しているだけの暗黒空間――ここがすなわち論理空間である。

黒騎士あいつは……」

 天壌無窮てんじょうむきゅうの闇の中、アキは周辺を探す。

『アキ、聞こえるか』
「あ、はい、カタギリさん」
『私は今、Agnアグネスのゲートウェイでプロトコル変換を行って、その空間にアクセスしている。だが、今の私がサポートできる範囲は広くはない。せいぜい、この空間を生成するところまでが限界だ。あとはアキ、お前の能力次第だ』

 って言われても――反論した途端、アキの目の前十メートルほどの所にブロックノイズが発生した。一秒かそのくらい後に、そのノイズの壁を打ち壊すようにして、あの黒騎士が姿を現した。黒騎士は狼狽うろたえた様子もなく、ガチャリと大剣を肩にかつぐようにして構える。

「こう来ることは予想していた……?」

 アキは眉根を寄せた。黒騎士は無言で斬りかかってくる。物理空間でのそれよりも速い。はるかに速い。だが、アキの動きも物理法則から解放されたかのように俊敏だった。

『気をつけろ、奴は玄黄観照げんこうかんしょう。インスタンスネーム・イモータル』
イモータル、ね」

 アキは両の手に保持した長剣で電光石火の打ち込みを披露する。黒騎士はしかし、防御しようとする気もないらしい。圧倒的な防御性能を持つ鎧――こいつを何とかしないと。軽々と刃を弾き返されながら、アキは少なからず焦る。このままでは控えめに言ってもジリ貧だった。

「カタギリさん、どうにかならない、あの鎧」
『スティグマタだ』
「えっと、あの、スティグマタって言われてもよくわからないんだけど」
『見つけた情報を言ってみただけだ。論理装甲の黄金の剣プロトコル版だということらしい所まではわかった。装甲の論理構造が判明すればどうにかなる』

 じゃあ急いで対処してくれよと、アキは思う。そのやり取りの間にも、アキと黒騎士は十数撃を交わし合っているのだ。アキがいくら打ち込んでもダメージにはつながらない。だが、黒騎士の攻撃は微弱であれど着実にアキにダメージを積み重ねていく。しかも悪いことに、この空間では身体へのエネルギー供給が不安定なようだ。

 この空間でのダメージが物理実体にどれほどの影響を及ぼすかはわからない。そしてそうである以上、必要以上のダメージは受けるべきではない――ベルフォメトが控えているのだから。ゆえに……つまり不利な状況はこれっぽっちも変わらない。

『アキ、攻撃を続けろ。物理実体の方は気にするな。ミキとヒキがうまくやってる』
「攻撃し続けて意味ある?」
『私を信じろ』

 まぁ、カタギリさんの言葉なら信じざるを得ないけど。特にネットワーク関連の話になれば、カタギリさん以上の言葉を吐ける人はいない。

 アキは渋々とした表情を見せながらも、攻防の手を緩めない。

「お前、玄黄観照だかイモータルだか知らないけど! なんなん、わざわざ他人ひとの国に来てさ!」
「私には、本国のことなどどうでも良い」

 機械合成音でのいらえ。

「私はただ、Agnアグネスという人間の模倣子ミームによる支配を防ぐために此処ここにいる」
「黄金の剣にしたって似たようなもんじゃないか」
「どうかな」

 重低音を響かせて振るわれる大剣を受け流し、アキは足払いを決めた。

「……ッ!」

 よろめく黒騎士。その黒い装甲が一瞬ブロックノイズに包まれた。その一瞬後、カタギリが突拍子もないことを言い出した。

『アキ、武器を捨てろ』
「えっ!?」
『素手で接触しろ』

 なんてこと言ってるの、この人!

 そう思いつつも、アキは両手の剣を放り投げた。それは瞬く間に闇の空間に溶け去った。なるほど、武器は自分との接触によって関連付けリレイトされていたというわけか。さっきの足払いの時のブロックノイズもあるいはその一端なのかもしれない。アキは距離を取って、刹那せつな、思考する。

 しかし素手であの大剣をどう凌ぐか。それは難問だった。逃げてばかりではどうにもならない。どこかで一気に懐に飛び込む必要がある。

『アキ、物理法則に縛られるな。相手もまだ不慣れだ。チャンスはある』
「と言われたって」

 アキは奥歯を噛み締めるなり、振り降ろされてきた大剣の腹を蹴り払う。その長大な剣にノイズが走る。

 なるほど――。

 アキはそのままの勢いでサマーソルトを決める。黒騎士の兜の顎に爪先が食い込み、そのまま蹴り上げる。面頬が弾きあげられて、その素顔が露出する。

「ってマジ!?」

 思わず声を上げるアキ。その兜から覗く顔は、青く輝く瞳も含めて、アキと瓜二つだったからだ。

「あたし?」
「あたしは今のあなたの上位互換」

 黒騎士はそうとだけ言った。アキはチッと舌打ちをして、また地面を蹴った。黒騎士は大剣を後ろから前に振り抜いて、アキを分断しようとする。

「なぁにが上位互換だ!」
「……!」

 アキは突然左手に小型盾バックラーを出現させて、大剣の刃を弾き返した。その瞬間、剣圧で左肩が妙な音を立てる。

 左腕、ダメか……!

 それでも押し切る。なおも降り注ぐ大剣の刃を打ち払い、右肩からその鎧に激突する。

 ザリザリという擦過音さっかおんと共に、黒い甲冑にブロックノイズが走る。

「なんだっ!?」

 アキから黒騎士にめがけて何かが流れ込んでいった……そんな感覚はあった。おそらくカタギリがアキという論理体を媒体メディアにして何かをしているのだろう。

 だが、その一方で、黒騎士の方からも何かが流れ込んできているような感触があった。

 ああ、そっか。あたし、Agnアグネスと、黄金の剣のに巻き込まれてるのか――アキは悟る。今まさにIn3に変わるネットワークプロトコルの覇権争いが起きているのだ。かつて長谷岡博士が事実上の覇権を取ったという話もあったが、中国圏の勢力をもってすればその次世代規格を塗り替えることすら可能なのだろう。

「で、あたしは何したらいいんだろ」

 アキは完全に自分の制御を離れてしまった身体を客観的に眺めながら呟いた。もっとも、その呟きも音声としては記録されない。アキの論理的本体は、黒騎士と共にブロックノイズに隠れつつあったからだ。

 これ、負けたら納得いかないな。

 アキは意識の中で腕を組んで、派手な色を散らすブロックノイズを眺めている。自分の物理実体はミキに守られている。そして意識をつかさどる論理実体の方は今やカタギリのマニピュレータとして使われている。その主体の持ち主をまるで無視してだ。

「カタギリさん、大丈夫なんでしょうね」
Agnアグネスの三割程度しか使いこなせていないが。対する黒騎士そいつのバックには中国圏のハッカーたちが何百とついている。こっちはアカリとアヤコだけだ』
「むっちゃ厳しくないですか」
『なに、こんな戦いはいつものことじゃないか』

 カタギリは少し軽いトーンでそう言った。普段感情を見せないカタギリが明るい声を出すと、それだけで不安を覚えてしまうアキである。

イモータルかたおごれるには、聖者の鉄槌が必要だろう』
「その前に、あのぅ。あたし、することないんですけど」
『意識を論理実体に乗せろ、やることはあるぞ』
「ええと」

 アキはブロックノイズに包まれ始めた空間を見渡しながら、その発信源――つまりアキと黒騎士がいる所――に目をやった。そこに一歩また一歩と近付くも、なかなか足が動かない。本能が恐れているのだとアキは悟る。わずかに跳躍一歩の距離。一秒とかからない距離のはずなのに、全然近づけないでいる。

「くっ、なんだってんだ」

 アキは名状し難い感覚――恐怖のような何かを確かに知覚して、呻いた。

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