幸いにしてファイラスとケーナは、カヤリの魔法の範囲にはいなかった。だが、彼我の軍勢の混乱状態があまりにもひどく、イレムの元へ合流するのに相当に手間取ってしまった。
「イレム! 大丈夫か! 敵の総大将は!?」
「あいつ、強ぇわ」
ケーナに治癒魔法をかけてもらいつつ、イレムは応えた。さすがのイレムでも、今はもう戦えそうにない。
「疲労の極致、なんて、久しぶりに感じるぜ」
「無理するな、イレム」
「普通の人なら三回は死んでるダメージを受けてますよ」
ケーナはイレムに肩を貸そうとするが、イレムはそれを断った。
「神帝師団ってやつは、どんな時でも余裕の顔よ」
「今そんな事言ってる場合では」
「今だからこそなんだよ、ケーナちゃん。自軍は壊滅しているし、増援も一両日中に来ることは見込めない。だが敵は未だ数千の戦力を残している。さっきの攻撃魔法で味方の士気も壊滅的だ。ここで俺がへろへろになって戻ってみろ。何が起こるかわからんぜ」
イレムは本陣方向へと戻っていく数少ない自軍兵士たちを見ながらそう言った。ケーナは「仕方ないですね」と腰に手をあてて複雑な表情を見せ、ファイラスは「お前らしいわ」と親友の意志を尊重した。かく言うファイラスとて、元気に歩けるような状態でもない。
「ファイラス、神殿騎士はどんな状態だ?」
「ひどいもんだ。半分は戦力外だ。負傷兵と共にただちにエウドに下げる」
「そうか、わかった。エウドも完全に飽和だな。エウドにいる負傷兵、動けるやつはもっと下げるように伝えてくれ」
「それはバーツ大佐に任せてはどうだろう」
「名案だ」
イレムはその提案を承認する。イレムが来る前の討伐軍司令官バーツ大佐。かなりの負傷をしているが、今も本陣にいる。イレムが一騎士として暴れられているのは、バーツ大佐が戦術面の大半を任されているからだ。
「今となっては負傷兵の無事な帰還のほうが重要だ。俺の不始末は俺が片付ける」
「俺たち、でよくないか」
「付き合うか?」
イレムはニヤリと笑う。ファイラスはケーナを見る。
「ここにきて置いてきぼりとかイヤですよ」
「だとさ」
「……わかってる」
ファイラスは渋々ながら頷いた。
「陣は残すが、前には出さん」
溶けた大地の縁を歩きながら、イレムは顔を顰める。焦げた臭いが酷いのだ。
「ところでイレム様。あの黒騎士を暗殺するとかじゃだめなんですか?」
「ははぁ」
イレムは顎に手をやって思案するふりをする。
「だめ」
「なんでですか? 本陣のあの出城ごとぶっ飛ばしちゃえばいいのに」
「それができるなら苦労しねぇけど、そもそももっと政治的な意味があるのさ、ケーナちゃん」
イレムは歩きながら右手の人差し指を立てる。
「神帝師団と銀の刃連隊、このふたつが衝突する。この事実は極めて重いんだよ。俺もあいつも、国家の威信を背負っている。もっとも、あいつの方はアイレス魔導皇国は関与していないことになっているから、背負うものもないかもしれないけどね」
「単純に神帝師団を増やせって言うわけにもいかんしな」
ファイラスは言う。イレムは「たりめーだ」と頷いた。
「銀の刃連隊一人に、神帝が二人、とか、洒落にならんことになる」
「ばかみたいな話ですねぇ」
ケーナは素直な感想を述べる。
「勝ってから考えればいいのに、そういうこと」
「まぁ、うん、そうかな」
イレムが珍しく圧倒されている。だがイレムは滅気ていない。
「でもまぁ、勝つのは決まってることだし」
「出た、イレム様の主人公節」
「主人公ってのは、ピンチの時にこそ真価を発揮するってもんよ」
イレムの無根拠な発言だったが、それこそがイレムの力だ。そして彼は、自分の発言を反故にしたことは一度とてない。
「しかしイレム、今回のこれ、別にお前の失点じゃなくないか?」
「いやいや、失点は失点だ。そもそも元老院の爺様たちにゃ通じんよ」
「あの爺さんたちか」
ファイラスは険しい表情を見せる。もっとも、ファイラスも元老院についてはよく知らない。ただなんとなく伏魔殿的な雰囲気を覚えている程度だ。ファイラスも何人かとは面識があるが、会話をしたことはない。ただ、クォーテル聖司祭を尋ねてくることは度々あった。
「ていうか、今回の反乱だって」
イレムは声を潜める。周囲の喧騒に紛れる。
「もしかしたらあの爺様連中の仕組んだものってセンもある。ゼドレカのおばちゃんも推測ながら同じ意見だ」
「どういう、ことだ?」
ファイラスは表情を一層険しくした。
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